誕生年別アルバム
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本サイトでは色々な人物にまつわる話が出て来ます。一体、何人になるのでしょう。

2017年の3月にVerra Lynnが生誕100年を迎えました。そこで、彼女の他に生きていたら100歳になるジャズメンを集めたのが一昨年(2017)のこと。大勢出てきたのでびっくりしました。

そこで、次の年になって2018年生まれの集合です。今年は2019年生まれです。年代を遡り、2016年生まれ。2015年生まれ、・・・といくと、1720年代まで私の年表から出て来ました。

1725年とは享保10年になります。壮大な話になりました。3世紀前のことです。


若山邦紘

写真の下の名前をクリックすると関連ページにジャンプします。なお、カラー写真は生存中を意味します。

全ての人物を掲載するのに大変な手間と時間が掛かります。段々増えて行きます。

とりあえず完成か、いや未だだ

(2019/4-5-6-7)

 

1720年代 1810年代 1820年代 1830年代 1840年代 1850年代 1860年代 1870年代 1880年代 1890年代
1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代

 


1720年代

1725年(享保10年)生まれ


John Newton

Amazing Graceが書かれた話は「神の助けは存在する」という話を地で行く話だ。






1810年代

1810年(文化7年)生まれ


Fryderyk Chopin

ショパンの曲を持ってきて、歌詞をつけたら美しいポピュラー・ソングに。よく歌ったものです。





 

1814年(文化11年)生まれ


Adolphe Sax 11/6

サキソフォンを発明したベルギー人。

     
 

1820年代

1826年(文政9年)生まれ


Stephen Foster 7/4

”Old Black Joe”とか”Old Kentucky Home”を思い出しませんか?ジャズはまだ生まれていません。





 

1840年代

1848年(嘉永元年)生まれ


Frederic Weatherly 10/6

第一次大戦の前の年、1913年に、あの”Danny Boy”を書いた。





 

1850年代

1858年(安政5年)生まれ


Giacomo Puccini 12/22

「蝶々夫人」のメロディをポピュラー・ソングに頂こうとする人が出て来ました。



 

1859年(安政6年)生まれ


Victor Herbert 2/1

名曲”Kiss Me Again”を知っていますか?じゃあ、”Indian Summer”は?

     
 

1860年代

1868年(明治元年)生まれ


Scott Joplin 11/24

ラグタイム王と呼ばれ、”Maple Leaf Rag"が代表曲。





 

1870年代

1871年(明治4年)生まれ


Ben Harney 3/6

ラグタイムの父と呼ばれる。"You've Been a Good Old Wagon"が初出版譜面。

 


 

1873年(明治6年)生まれ


Otto Harbach 8/18

”Smoke Gets In Your Eyes”は彼の作詞です。


William C. Handy 11/16

ブルースの父。1914年に"St. Louis Blues"を書く。


Fred Stone

"Ma Ragtime Baby"で初めてRagtimeという語を使う。1893年


 

1874年(明治7年)生まれ


Major Bowes 6/14

シナトラを見つけ、自分の番組で歌わせ、世に送り出した人。



 

1875年(明治8年)生まれ


Fred Fisher 9/30

"CHICAGO"は誰もが知る代表作。3人の子が皆作曲家。長女Dorisが大好き。




 

1877年(明治10年)生まれ


Buddy Bolden 9/6

ジャズの創始者とよばれる男。


Joe Frisco 11/4

シカゴのボードビリアン。Jassという音楽をシカゴに伝えた。




 

1878年(明治11年)生まれ


Bill Robinson 9/6

Mr. Bojaangleと呼ばれたジャズタップの名人。サミー・デイビスJr.の先生。




 


1880年代

1882年(明治15年)生まれ


John H. Mills

ミルス・ブラザースの父。長男が若死にし、22年間代役で歌った。

 


 

1883年(明治16年)生まれ


Mamie Smith 5/26

ブルースの女王。ブルースの初レコーディングは1920年、”Crazy Blues”で大ヒット。

     

 

1885年(明治18年)生まれ


Jerome Kern 1/27

ミュージカル「ショーボート」は忘れえぬ名作。"O'l Man Riveer"は今も大事に歌ってる。


King Oliver 5/11

サッチモの先生。King Oliverと呼ばれた。シカゴでバンドを結成、ニューオリンズからルイを呼んだ。


 

1886年(明治19年)生まれ


Ma Rainey 4/26

ブルースの女帝ベッシ―・スミスの先生格のブルース歌手。


Al Jolson 5/26

1927年、初のトーキー映画「The Jazz Singer」で黒塗りの顔で黒人歌手を演じた。


Art Hickman 6/13

SFOで1910年代に活動。"Rose Room"はバンドのテーマ曲。


Gus Kahn 11/6

ドイツからの移民。"It Had To Be You"と"Guilty"は身体に染み付いている。


Kid Ory 12/25

1922年、黒人バンドとして初めてジャズ・レコードを吹き込み。

   

 

1887年(明治20年)生まれ


Eubie Blake 2/7

"Memories Of You"の作曲者。Shuffle Alongは黒人初のミュージカル作品。


Luckey Roberts 4/28

1920年代のストライド・ピアノのNo.1。ストライド奏法はハーレムで発展したピアノ奏法。



 

1888年(明治21年)生まれ


Irving Berlin 5/11

世界中が知っている曲は"White Christmas" 。1億枚のレコードが売れました。


Tom "Red" Brown 6/3

Tom Brown's Dixieland Jass Bandは1915年に初めてシカゴに呼ばれたジャズバンド。



 

1889年(明治22年)生まれ


Freddie Keppard 2/27

1912年にバンドを編成し、ロサンジェルスに移りニューオリンズ・ジャズを広めた。


Nick LaRocca 4/11

初のジャズ・レコードを吹き込んだOriginal Dixieland Jass Bandのリーダー。バンドは今も存続。


Spencer Williams 10/14

"Basin Street Blues"、"I Ain't Got Nobody"の作者。


 

1890年代

1890年(明治23年)生まれ


Paul Whiteman 4/28

シンフォニック・ジャズの創始者。ビングクロスビーを雇ったことでも有名に。


Jelly Roll Morton 10/21

譜面にあるコード記号を発明した。「ほら吹きモートン」と呼ぶ人もいます。



 

1891年(明治24年)生まれ


Cole Porter 6/9

父の姓Coleと母の姓Porterをとってつけたペンネーム。大金持ちの御曹司。


Al Dubin 6/10

Harry Warrenとのコンビで”Lullaby of Broadway”が最初のアカデミー賞。


 

1892年(明治25年)生まれ


Fred E. Ahlert 9/19

”Mean To Me”他、スタンダードの名曲を沢山送り出してくれた作曲家。



 

1893年(明治26年)生まれ


Jimmy Durante 2/10

「デカッ鼻」と呼ばれたコメディアン。"Old Man Time"を吹き込んだ。30年後にMilt Hintonがカバー。


Walter Donaldson 4/28

作詞家Gus Kahnとのコンビによるヒット曲多数。Whitingとの”My Blue Heaven”は看板曲。


Harry Warren 12/24

Mack GordonとAl DubinがWarrenの曲に詞を書いた。いずれもヒット曲ばかり。


 

1894年(明治27年)生まれ


Irving Mills 1/16

Duke Elingtonとのコンビは有名。兄のJackとMills Muusicという音楽出版社を立ち上げた。


Isham Jones 1/31

私が好きな”It Had To Be You”、”You've Got Me Cryin' Again”を書いてくれた。バンドリーダー。


James P. Johnson 2/1

ハーレム・ストライド・ピアノの創始者。Fats Wallerは彼の弟子です。


Herman Hupfeld 2/11

”As Time Goes By”は誰もが知る名曲。「時の過ぎゆくままに」という名誤訳は有名になった。


Bessie Smith 4/15

「ブルースの女帝」マイクの無い時代、クラシックと同じ発声法で力強く歌った。


Lorenz Hart 5/2

Richard Rodgersとのコンビは超有名。ヒット曲も軒並み。あの"Where or When"を聴け!


Dimitori Tiomkin 5/10

11歳の時”High Noon”を歌った。日本中が知っているのは『ローハイド』のテーマソング。


Ted Koehler 7/14

Harold Arlenとの”I've Got The World On A String”は大事な持ち歌。「進退きわまった」って歌知ってる?


Jack Strachey 9/25

Holt Marbellとの"These Foolish Things"がヒット作。グッドマン楽団が吹き込んだ。ロンドン生まれ。


Jimmy McHugh 10/10

1927年にDoorothy Fieldsと出会いコンビを組みスタンダード中のスタンダードを書きました。


Bennie Moten 11/13

カンザスでカウント・ベイシーはモーテン楽団に入り、モーテンが死んで、カウント・ベイシー楽団となります。

 

 

1895年(明治28年)生まれ


Laurens Hammond 1/11

ハモンドオルガンの発明者。高価なパイプオルガンが購入できない黒人居住地区の教会が購入。


Oscar Hammerstein II 7/25

Jerome Kernとのコンビ、後にRichard Rodgersと組んで沢山ミュージカルを書いた。


Andy Lazaf
12/16

グッドマンの"Memories Of You"や"Honeysuckle Rose"を作詞した。

 

 

1896年(明治29年)生まれ


Ethel Waters 10/31

エラやビリーより2世代前の古い歌手。しかし、歌は活き活き。クロスビーの10年前に吹き込み。


Ira Gershwin 12/6

ジョージの兄。ガーシュイン兄弟はアメリカ音楽にどれだけ貢献したのか計りきれず。

 

 

1897年(明治30年)生まれ


前野港造 1/22

日本で初めてセルマーのサックスを買ってきた「船の楽団」の楽士。


Sidney Bechet 5/14

ニューオリンズ時代からシカゴ時代のクラリネットの名手。晩年はパリ。Petite Fleur大ヒット。


Willie Smith 11/25

1920年代の3大ストライド・ピアノの1人。”The Lion”がニックネーム。


Fletcher Henderson 12/18

1920年代にNYCでビッグバンドのスタイルを確立。ルイもホーキンスもメンバー。

 

1898年(明治31年)生まれ


Lil Hardin 2/3

ルイのシカゴ時代の伴侶。賢くバンドのアレンジャー。ルイの追悼コンサートの舞台で死去。


Vicent Youmans 2/27

”Tea For Two”は誰もが知る彼の作曲。100曲しか書いていないがい評価。


Paul Robeson 4/9

バスオペラ歌手。「ショーボート」のO'l Man Riverは超有名。黒人霊歌も沢山歌った。


Geroge Gershwin 9/26

"Rapsody In Blue"はジャズを管弦楽の演奏会形式でやった最初の試み。クラシックとジャズの架け橋。

 

1899年(明治32年)生まれ


Duke Ellington 4/29

Cotton Clubのハウスバンドとして出発。父親は海軍省の高給取。子供の頃からDukeがあだ名。


Fred Astair 5/10

踊りも歌も一流。ジンジャー・ロジャースとの数々の映画は年寄りには懐かしいだろう。


Thomas Dorsey 7/1

20-30年代に「ゴスペル・ソング(福音歌)」という言葉を広めたブルースの作曲家。


Victor Young 8/8

映画音楽で死ぬまで活躍したが、それ以前の歌、"A Hundred Years From Today"はご存知か?


Billy Rose 9/6

シナトラとサミーの掛け合い"Me and My Shadow"はCraig Thompsonと2人で歌った懐かしい歌。


Hoagy Carmichel 11/11

サッチモが歌った"Stardust"を聴け。これが世界一格好いい。Hendrichs夫妻が90年に出したCDは真似できない。


 
 

1900年代

1900年(明治33年)生まれ


Kurt Weill 3/2

"Mack The Knife"は誰もが知る。"My Ship"はどうです?うんと毛色の違った作曲家。

 
Gene Austin 6/24

"My Blue Heaven"を歌って500万枚売れた。"White Christmas"が出る前はこれが記録だった。


Mitchell Parish 7/10

"Sweet Lorraine", "Star Dust"などを作詞。ミルス音楽出版社専属ライターで、譜面が売り出された。


Arthur Schwartz 11/25

"AloneTogether"、"Dancing In The Dark"等のコンポーザー。息子がWNYC FMのパーソナリティー。

 

1901年(明治34年)生まれ


Frederick Loewe 6/10

1956年、Alan Jay Lernerとの”My Fair Lady”は大成功ミュージカル。渋い人には”Almost Like Being In Love”


Holt Marvell 6/10

"A Nightingale Sang in Berkeley Square"の作詞で有名だが、本職は放送関係。


Louis Armstrong 8/4

サッチモは喋っているだけでジャズ。知らない人はお帰り下さい。


Ned Washington 8/15

いろんな人の曲に詞を付けた。”A Hundred Years From Today”が私のFavorite Song。


Joaquin Rodrigo 11/22

アランフェス協奏曲の作曲者。ギターのジム・ホールは看板曲。チック・コリアは"Spain"に拝借した。

     
 

1902年(明治35年)生まれ


Rube Bloom 4/24

"Fools Rush In"をオ―ジーサンズにアレンジしたが難しすぎて簡単になるよう書き直された。


Sammy Fain 6/17

古くはブロードウェイミュージカル、50年代以降は映画音楽を書いた。「慕情」はアカデミー賞受賞。


Louis Alter 6/18

"Do You Know What It Means To Miss New Orleans?"を作詞。誰もが知る名前ではない。


Richard Rodgers 6/28

カーター大統領の時代に第一回"The Kennedy Center Honors"を受章。Rodgers & Hartのコンビは名曲多数。

 

1903年(明治36年)生まれ


Bing Crosby 5/3

ホワイトマン楽団でデビューしたが、飲酒運転でブタ箱。挙句の果て首になった。その後、ソロデビュー。


Bob Hope 5/29

Dolores Hopeの旦那。夫婦で100歳超えとは。90歳の時に夫婦で歌った”It's De-lovely”は最高。


Helen Kane 8/4

ベティさんのモデルとなった。"Boop-boop-a-doop"は彼女がオリジナル。


Vernon Duke 10/10

本名はウラジミール・アレクサンドロヴィッチ・デュケルスキー。”April In Paris”で名をあげる。


Earl Hines 12/28

アル・カポネのMr. Pianoと呼ばれた。シカゴで毎夜休みなしに働かされた。彼のバンドには後の有名人多数。


菊地滋弥

昭和一桁時代、溜池のダンスホール「フロリダ」のバンドリーダー。生粋のKO Boy。


Vladimir Horowitz

あのウラジミール・ホロビッツです。変なジャズサイトだと思いますか?

 
 

1904年(明治37年)生まれ


Eddie DeLange 1/15

Louis Alterの相棒。”Do You Know What It Means To Miss New Orleansの作曲者。


Glenn Miller 3/1

”Chattanooga Choo Choo”のレコードが瞬く間に120万枚売れて、ゴールドディスクが初めて作られた。


Bix Beiderbecke 5/10

ルイと並び称されたコルネット吹き。禁酒法時代のアルコール中毒者。27歳で死去。


Fats Waller 5/21

ハーレムのピアノ弾き語り元祖。”I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter”が大ヒット。


Mack Gordon 6/21

Harry Warrenとのコンビでスタンダードが書かれた。”At Last”なんて60年も歌ってきた。


Seger Ellis 7/4

"After You"という誰もが知らない歌があります。サリナと4Freshmenと私が歌ってます。


Dorothy Fields 7/15

Jimmy McHughとのコンビは誰もが歌っている歌を書いてくれました。名コンビですが夫婦ではありません。


Count Basie 8/21

伯爵と言うのですから公爵の次なのでしょうか。私はベイシー楽団のJoe Williamsが大好きでした。


Constance Bennett 10/22

H.Warrenの”Boulevard of Broken Dreams”を昭和9年の映画「ムーランルージュ」で歌いました。


Coleman Hawkins 11/2

サックスをジャズに導入した最初のプレーヤーです。Body And Soulの名演奏があります。


作間 毅

大正末期から法政大学でジャズを始めた男です。英語で歌っているのが残っています。ジャズっぽいのにオドロキ。

 
 

1905年(明治38年)生まれ


Chick Webb 2/10

エラ・フィッツジェラルドを雇ったバンドリーダー。4年後、生れつきの脊柱結核で34歳で死去。


Harold Arlen 2/15

Ted Koehler、その後Johnny Mercerと組んで、数々のヒット曲を送り出した。


Red Nichols 5/8

Five Penniesは彼のバンド。「五つの銅貨」は彼の伝記映画。ダニーケイが主演した。


Jack Teagarden 8/29

トロンボーンが本職だが、歌もいい。”A Hundred Years From Today”はJack Tが歌い出した歌です。


Tommy Dorsey 11/19

シナトラで有名だが、Pide PipersやSentimentalistsは喧嘩別れや給料が安くて辞めて行った。気が短い。


Harry Barris 11/25

ホワイトマン楽団のRythm Boysでいい演技を見せている。”Mississippi Mud”を聴くべし。


Jule Styne 12/31

シナトラとバーバラ・ストライザンドに曲を書いたのは自分だけだろう、と言っている。

 
 

1906年(明治39年)生まれ


Pee Wee Russell 3
/27

20年代中頃シカゴ、27年にRed Nickolsに呼ばれNYに進出。ウイスキー中毒で演奏できない時代がある。


Josephine Baker 6/3

人種偏見から逃れフランスで市民権をとる。孤児を11人養子にして育てた。サンダース・ホームから2人連れて行った。

 

 

1907年(明治40年)生まれ


Alec Wilder 2/16

「American Popular Song」を出版。作曲家を軒並みつるし上げるような批評を書いた意地悪男。


Mildred Bailey 2/27

タコマ出身のシンガー。10ヶ月違いの弟Al Rikerがいる。クロスビーの学生時代からの相棒。


Benny Carter 8/8

エラがアポロ劇場で優勝するのを見て、チック・ウェブに紹介した。90歳になる年、来日し世良さんとライブ。


Hy Zaret 8/21

"Unchained Melody"の作詞。1955年の刑務所映画「Unchained」の主題歌。後にライチャーズ・ブラザースがヒット。


Buck Ram 11/21

プラターズを育てたプロデューサー。リードを歌ったトニー・ウィリアムスが止めて分派活動が始まった。


 Connee Boswell 12/3

ボズウェル・シスターズの長女。ミルスより先にレコード発売。コニーはソロシンガーに転身。


Al Rinker 12/20

クロスビーの相棒。姉のミルドレッドを頼ってロスまで車で来た。ホワイトマン楽団で雇われた。


Paul Webster 12/20

"The Shadow of Your Smile"ほかいい歌が一杯ある。オスカーを3回もらっている。

 

1908年(明治41年)生まれ


Stephane Grappelli 1/26

ジャンゴ・ラインハルトと共演したジプシー・バイオリンで有名。他に知る人がいない。日本にはジャズでは寺井尚子くらい。


Herbert von Karajan 4/5

カラヤンです。面白いでしょ。こんなところにお邪魔して驚きです。


Johnny Burke 10/3

Jimmy VanHeusenの最初の相棒。心臓病でサミー・カーンが後を引き継いだ。シナトラ初期の歌を書いています。


Lee Wiley 10/9

2002年、リー・ワイリーのTV番組を私のジャズサイトで宣伝し、NHKから礼状が届きました。昔っぽい話です。


Johnny Green 10/10

15歳でHarvard入学許可という天才少年だった。22歳の時”Body And Soul”をイギリスで作曲しました。

     
 

1909年(明治42年)生まれ


Gene Krupa 1/15

"Sing, Sing, Sing"のあのドラムはドラムをソロ楽器へと格上げした。グッドマン楽団のレコードを知ってますよね。


Lionel Hampton 4/12

グッドマン楽団に黒人が雇われたと話題になった。ハンプトンの1947年の"Stardust"8分は醍醐味あふれる。


 Dolores Hope 5/27

Bob Hopeの愛妻で歌手。ボブが100歳で亡くなるまで69年間連れ添った。ドロレスは102歳まで生きた。


中野忠晴 5/27

昭和一桁時代にジャズコーラスを始めた。戦後は歌謡曲の作曲。「おーい中村君」なんてご存知か?


Benny Goodman 5/30

King of Swingと呼ばれたが、創始者ではない。当時のSwing MusicはJazzという言葉の代わりに使われた。


 Henry Nemo 6/8

”'Tis Autumn”を歌う人が出て来た。Nemoの名は一般には知られてない。”Don't Take Your Love From Me”も彼。


Art Tatum 10/13

先天的な白内障で片目は全盲、もう片方も殆ど見えなかった。ベイシーは世界八不思議の8番目と絶賛した。

 
Johnny Mercer 11/18

キャピトルの創立者。マンシーニとの”Moon River"等、名曲のヒットメーカー。”Dream”は作詞作曲

 

1910年代

1910年(明治43年)生まれ


Milt Hinton 1/23

ハーレム時代のベーシスト。80歳記念に文字通り"Old Man Tiime"を吹き込み。この歌は人が歌わない私の持ち歌。


Django Reinhaldt 1/23

ジプシー・ギターをアメリカに伝えた。パリ時代にテントが火事で火傷を負った指でギターを弾いた。


Gordon Jenkins 5/12

稀代の作編曲家。沢山、逸話が残っている。それがきっかけで前田憲男と仲良しになった。ジェンキンス問題という。


Artie Shaw 5/23

グッドマンと並ぶクラリネットの名人。スイング時代のバンドリーダー。戦時中は太平洋諸島で危ない目に遭った。


Frank Loesser 6/29

”On A Slow Boat To China”の作詞作曲家。”Moment Like This”は向田邦子の愛聴盤と紹介され地味に売れた。


Alex North 12/
4

映画主題歌のポップソング"Unchained melody"を作曲。60年代にライチャース・ブラザースが大ヒット。


Louis Prima 12/7

ニューオリンズ生まれのトランぺッター、ボーカル、バンドリーダーでTrad Jazzの有名人。Keely Smithと結婚。

 
Sy Oliver 12/17

トミー・ドーシー楽団のアレンジャー、トランペット。Sunny Sideの編曲は秀逸。アイディアを拝借。


南里文雄

半年ほどニューオリンズにいた。サッチモに「日本のサッチモ」とニックネームを付けられて帰ってきた。


芦田 満

芦田ヤスシさんのお父さん。昭和一桁時代、溜池のダンスホール「フロリダ」の菊地滋弥バンドでサックスを吹いた。

   
 

1911年(明治44年)生まれ


藤山一郎 4/8

大晦日のNHK紅白歌合戦の最後に「蛍の光」の指揮をしたのは何時の事だったのだろう。「嘆きの街」って知ってます?


Maxine Sullivan 5/13

どんな歌も聴き比べるとマキシンが勝っている。派手さやはったりはないが味がある。玄人好みの歌手だ。


Mitch Miller 7/4

「ロックンロールは音楽のベビーフード」と言った。もともとクラシックのオーボエ吹きから、あの合唱団で大成功。


Gertrude Niesen 7/8

"Smoke Get In Your Eyes"を最初にレコーディングが1933年。後にプラターズが歌い世界中に流れた。


Ginger Rogers 7/16

30年代にフレッド・アステアとのコンビでミュージカル映画で大活躍した。ダンスも格好良かったが歌も上手い。


Lionel Ferbos 7/17

ニューオリンズで生まれ、この地から離れることなく102歳まで現役。「モダンなんて知らない」というTrad Jazzを吹き続けた。


Mahalia Jackson 10/26

ゴスペルの女王。1947年に”Amazing Grace”を最初に吹き込んでいる。それでアメリカ全土に広まった。


ジミー原田 12/10

両親はアメリカ人とイギリス人。帰化して日本人となった。30年代は関西でドラマー。原田イサムと忠幸は息子。


Stan Kenton 12/15

1940年代、Cool Jazz、West Coast Jazzの種をまいた。4Freshmenを発見しCapitol Recordに連れて来た。

   

 

 

1912年(明治45年7月29日まで・大正元年7月30日から)生まれ


Paul Weston 3/12

トミー・ドーシー楽団のチーフアレンジャー。"Day By Day"は今も歌われている名曲。Jo Staffordの旦那。


Les Brown 3/14

38年レス・ブラウン楽団結成。44年に"Sentimental Journey"の作曲をし、Doris Dayに歌わせて大ヒット。


Herbert Mills 4/2

ミルス4兄弟の次男。一番高いパートを歌った。60年に初来日し、サンケイホールで初めて生で聴いた。


Perry Come 5/18

ペリー・コモのTVショーが59年から放送された。"It's Impossibe"は70年のヒット。79年に来日し、テレビにも出た。


長尾正士 8/14

戦前は学生を集めてバンドを始め、戦後、ブルーコーツを結成。90歳になってもアルトを吹いていた。


Gene Kelly 8/23

映画で主題歌”Singin' In The Rain”を歌いながら踊る場面を1950年代に見た方がいると思います。

 
Teddy Wilson 11/24

グッドマンのカルテットには2人の黒人が雇われました。テディ・ウィルソンとライオネル・ハンプトンでした。

 
 

1913年(大正2年)生まれ


Danny Kaye 1/18

喜劇役者とはダニー・ケイのような人をいう。妻、シルビア・ファインは「五つの銅貨」の作詞作曲者。


Jimmy Vanheusen 1/26

シナトラの歌を沢山書いた。戦時中は戦闘機のパイロット。墓はシナトラの墓の敷地に。


Frankie Lane 3/30

ローレン、ローレン、ローレンを誰もが呟いた。ティオムキンの歌は彼が歌った。昔は歌も書いています。


Woody Herman 5/16

スタン・ケントン楽団と同じくCool Jazzのバンド・リーダー。スタン・ゲッツらサックスの名手が4人いた。


小島正雄 3/4

もともとはトランペットを吹いた。長尾さんとブルーコーツを結成。MCという言葉を作った。11PMの司会。


Sammy Cahn 6/18

シナトラの歌の作詞を沢山した。"All the Way" "High Hopes"はシナトラが歌いアカデミー賞獲得。


Harry Mills 8/9

ミルス兄弟3男。ソロパートはハリーとドナルドが歌った。4ビートでスイングする歌い方が似合う。


Helen Ward 9/19

歌は上手いし可愛い。グッドマンはプロポーズ寸前まで行ったが辛抱した。ヘレンは辞めて金持ちと結婚。


Nica 12/10

50年代にBebop Baronessとよばれたパトロン。チャーリー・パーカーやモンクは彼女の家で死んでいった。

     
 

1914年(大正3年)生まれ


Kenny Clarke 1/9

Modern Jazz Quartetのドラムス。61年に来日した。ドラムにおいてビ・バップスタイルの先駆者的存在。


Matt Dennis 2/11

ジョー・スタッフォードがドーシー楽団に雇われる時、アレンジャーとしてついて行った。"Everything Happens To Me"はシナトラのヒット。


Ziggy Elman 5/14

グッドマン楽団のトランペッター。"And The Angel Sing”はマーサ・ティルトンが歌ったが、彼の作曲にマーサーが詞をつけた。


Billy Eckstine 7/2

バップ歌手の草分け。アール・ハインズ楽団で歌っていたが独立して自分のバンドを結成。サラ・ボーンを連れてった。


Ruth Lowe 8/12

"I'll Never Smile Again"を書き、シナトラとパイドパイパースが吹き込み大ヒット。オージーサンズが歌った。


Leonard Feather 9/13

"The Encyclopedia of Jazz"1960は有名なジャズ事典。ピアノも達者で作曲もこなし、十冊前後のジャズの本を書いています。

 

1915年(大正4年)生まれ


Fred Staton 2/14

102歳まで現役で活動。そして102歳8か月で死去した。2010年に来日、このサイトでその宣伝を手伝った。


Billie Holiday 4/7

ベッシー・スミスのブルースを受け継ぎ、エラやサラなど多くの歌手に影響を与えた偉大なお手本ジャズ歌手です。


Donald Mills 4/29

ミルス4兄弟の4男。彼のバリトンボイスは落ち着きのあるソロを聞かせてくれた。彼の息子と友達になって久しい。


Doris Fisher 5/2

Dorisが書いた"You Always Hurt The One You Love"をドナルド・ミルスが死ぬ年まで歌ったのが残っている。


Les Paul 7/12

ソリッド・ギターを発明。40年代にGibsonに売り込みに行ったが一蹴された。50年代半ばからロックンロール、60年代にグループサウンズではエレキは必須。


Martha Tilton 11/14

「3 Hits and a Miss」というボーカル・グループにいましたが、1937年からグッドマン楽団の専属歌手。


Billy Strayhorn 11/29

エリントンの懐刀。彼のピースがエリントンの曲に使われた。"Take the 'A' Train"はビリーの名前でcopyrightsれてます。


Frank Sinatra 12/12

はい、私がシナトラです。


Pete Rugolo 12/25

ケントン楽団のアレンジャーです。シシリー島生まれ。後に自己の楽団を結成し4フレッシュメンのレコードを出しています。

   
 

1916年(大正5年)生まれ


Dinah Shore 2/29

昔人間には「バッテンボ〜」といえば分るでしょう。2年生の頃、レコードを買ってきて覚えました。


Harry James 3/15

シナトラが独り立ちして歌い出すのが、ハリージェイムス楽団。この頃のレコードは貴重。声が若い。


Sam Taylor 7/12

ハーレムノクターンとダニー・ボーイの入ったレコードがありました。どれ程ラジオで聞こえてきたことやら・・・

 
1917年(大正6年)生まれ


Vera Lynn 3/20

第2次大戦中、東南アジアに英国兵士慰問。前線に行く兵士と”We'll Meet Again”を大合唱。


William Gottlieb 1/28

ジャズ写真家の最初の人物。彼のお蔭でいい写真が残っている。


Helen Forrest 4/12

Swing時代にアーティ・ショー、ベニー・グッドマン、ハリー・ジェームス楽団で歌った。


Ella Fitzgerald 4/25

ジャズ歌手として最も名を上げた歌手といってよい。サミーはエラを神様扱い。


Dean Martin 6/7

シナトラ一家のディノですよ。それ以前はジェリー・ルイスと底抜けコンビ。


Dave Lambert 6/19

ランバート・ヘンドリックス&ロスを結成したモダン・ジャズコーラスの元祖。


Lena Horne 6/30

超美人歌手。自分の名前をリナ・ジョーンズにやった。はサラの


浜口庫之助 7/22

80年代赤坂マヌエラに来て歌ってくれた。ジャズがこの人の底流にある。


Charlie Shavers 8/3

15歳でデビューしたので齢を3年上の1917年生まれで登録したという。


Orlandus Wilson 8/27

Golden Gate Quarrtetの創始者。黒人霊歌の男声合唱は男声カルテットの基本。


Buddy Rich 9/30

超絶技巧のジャズ史最高のドラマー。1歳半からボードビルに出た。父親が偉い!


Thelonious Monk 10/10

性格も音楽も変人。天才宣言は有名。マイルスの伴奏をしたら嫌われた。


Dizzy Gillespie 10/21

チャーリー・パーカーと共にバップの創始者。最初のバップレコードが44年。


Jo Stafford 11/12

こんな歌手は稀!微妙に音をはずして歌った。そんなレコードご存知か?

 

 

2018年(大正7年)生まれ


Patty Andrews 2/16

アンドリュース・シスターズの3女。1940年代から50年代にヒット多数。3グレイセスが歌う。


Marian McParland 3/20

ロンドン生まれのピアニスト。シカゴ時代のジミー・マクパートランドと結婚。古い写真をFBでもらった。


Donald Kahn 7/17

Gus Kahnの息子で作曲家。Beautiful Friendshipが代表作。John Hicksの大好きな歌、彼の伴奏で歌った。


Hank Jones 7/31

Jones3兄弟の長男。99年来日の時、エレベーターの中で出会った。サインが残ってる。


Eddie Jefferson 8/3

Vocaleseの元祖。スキャットとは違う。Moody's Mood For Loveは超有名。


Norman Grantz 8/6

1944年のJATPのプロデューサー。53年には日本にも、日劇でコンサート。


油井正一 8/15

慶應出身のジャズ評論家。ラジオの語りは講談調。著書は落語調。


Leonard Bernstein 8/25

NYフィルの指揮者として有名だが、West Side Storyの作者。


Alan Jay Lerner 8/31

ケネディ大統領とハーバードで同級生だった作詞家。結構生意気だった。


Gerald Wilson 9/4

39年、ジミーランスフォード楽団のトランペット。後に自己の楽団を結成。


Bobby Troup 10/18

ルート66を書きキングコールが歌いテレビ番組になりました。ジュリー・ロンドンはカミサン。


Joe Williams 12/12

ベイシー楽団の専属歌手として名高い。沢田靖司は師匠として崇めた。


Una Mae Carlisle 12/25

Fats Wallerが見つけた天才少女。14歳の時から書き、弾き、歌う。

 
 

 

1919年(大正8年)生まれ


Ervine Drake 3/3

一夜で”It Waa A Very Good Year”を書いた作曲家で、シナトラがラジオで聴いてカバーし大ヒット。


Nat King Cole 3/17

父娘の”Unforgettable”は大ヒット。「たばこは声を低音にする」と信じ、煙草で肺がんになった馬鹿。


Don Cornell 4/21

98年に「ママギターを歌ったDon Cornellです」とメールをくれ仲よくなった。古くはジャズ歌手だった。


Paula Kelly 6/6

グレンミラー楽団のモダネアーズの華。娘が3人。1人生き残っている三女Juulieが最後のお友達。


Earle Hagen 7/9

ハーレム・ノクターンの作曲者。サム・テーラーが吹いて一世を風靡した。


George Shearing 8/13

ロンドン生まれの盲目ピアニスト。「バードランドの子守歌」はサラボーンが歌って超ヒット。

 
Art Breakey 10/11

ジャズメッセンジャースでお馴染み。軟弱なクールジャズを嫌い、ハードバップを提唱。


Anita O'Day 10/17

50年以上前に吉祥寺で出会った。ライブ録音の場だった。そのレコードを大事にしまってある。

 

1920年代

1920年(大正9年)生まれ


Carmen McRae 4/8

カーメンの歌の料理法は頭脳的です。日本には何度も来ましたが、弾き語りが最高です。


Art Van Damme 4/9

ジャズ・アコーデオンが流行った時期があります。日本の小バンドでもアコーデオン入りのバンドがありました。


John Lewis 5/3

ジャズ・メッセンジャースでクラシックのピースを入れたりユニークな演奏を考え出しました。


Peggy Lee 5/26

大砂塵という映画でJohnny Guitarを歌いました。すぐに覚えましたが、ペギーの書いた歌でした。


Charlie Parker 8/29

1955年、34歳でパーカーのパトロンの部屋である五番街のStanhope Hotelのスイートで友人とテレビを見ながら死去。

 
Al Caiola 9/7

彼のギターのバックでレコーディングした歌手たちの名前を上げたらきりがない。「荒野の7人」はカイオラ作曲。


Loonis McGlohon 9/29

ジョニーハートマンが最後に吹き込んだ"Nobody Home"という名曲を書いた。クリント・イーストウッドが大好きな歌。


Dave Brubeck 12/6

50年代終りに"Take Five"はあまりにも衝撃的だった。Iolaの内助の功であの歌詞は書かれた。


芝小路豊和

戦前、昭和10年代にハワイアンのバンド始めた。マヌエラの常連だったが、98年オルフェアンズ復活で専属歌手となる。

     
 

1921年(大正10年)生まれ


Carrol Channing 1/31

1964年にブロードウェイ・ミュージカル”Hello, Dolly!”でDollyを演じ、トニー賞をもらった。次の年、サッチモが吹き込んだ。


George David Weiss 4/9

ルイの名唱”What A Wonderful World"はベトナム戦争を嘆きBob Thieleと2人で書いた。反戦歌と知らずに歌う歌手が多い。


Hal David 5/25

バカラックの曲に詞を書いたのはHal Davidです。ディオンヌ・ワーウィックがバカラックの専属歌手のようでしたね。


Nelson Riddle 6/1

リプリーズ時代にシナトラが500曲をレコーディングし直しました。その名伴奏をしたのがリドル・オーケストラです。


Erroll Garner 6/15

"Misty"を作曲した話は誰でも知ってるが、左手と右手を巡る話はVocalにも通じる話で興味深い。


Dr. Billy Taylor 7/24

「ジャズは死んだ」なんて言われる。そんな話はぶっ飛ばせと、2007年に「生けるレジェンド」を集めてコンサートを開催した。

 Jon Hendricks 9/16

この60年間、Vocaleseを歌い続け、作り続けた。LHRの命は短かったが、よく長生きしてくれた。

 Steve Allen 12/26

Steve Allen Showはいい番組だった。坂本 九が呼ばれて行った。珍しい歌も書いている。

 

1922年(大正11年)生まれ


Dolly Baker 2/7

61年に来日。40年間東京で暮した。私のジャズのお袋。80になる前年に帰米。2014年に亡くなるまで音信は続いた。


Duke Jordan 4/1

マイルス・デイビスを擁するチャーリー・パーカーのバンドのピアニストとして有名。喧嘩が強かったんでDuke。


Doris Day 4/3

このページの作成中に97歳で死去した。映画「知りすぎた男」のケセラセラは生涯のヒット曲。この写真、カラーだったのに。


King Pleasure 4/24

50年代の初めに歌った"Moody's Mood For Love"はVocaleseの古典と言ってよい。


  Toots Thielemans 4/29

ベルギ―生まれ。ジャズ・ハーモニカの東の横綱。52年に移民、チャーリー・パーカー・オールスターズのメンバーとなった。


Judy Garland 6/10

『オズの魔法使』の"Over The Rainbow"はOZ Sonsのテーマソングだった。麻薬で変死しました。


Kay Starr 7/21

Johny Hertmanが51年に歌った"Wheel of Fortune"をカバーして52年のヒットチャートNo. 1になった。


Dickie Henderson 9/22

英国のコメディアンが、「One For My Baby」のパロディーを江戸サリバン・ショーで演じた。


Neal Hefti 10/29

57年に”Li'l Darlin'”をベイシー楽団のために書きました。翌年Jon Hendricksが言葉をつけました。”Girl Talk”を60年代に書きましたが共通性があります。

Norman Kaye

ラスベガスでフロア・ショーを妹とのトリオで始めた。"Stay"という歌を書いた。この歌を書いたのは誰かと探した結果彼のことを知った。


石井好子 8/4

シャンソン歌手、石井好子が"Stardust" をホーギー・カーマイケルのピアノで歌ったことがあります。面白い話を聞きました。

 
 

1923年(大正12年)生まれ


Milt Jackson 1/1

MJQはMilt Jackson Quartetから始まった。1年後にリーダーをJohn Lewisに譲りModern Jazz Quartetとなる。


Sam Phillips 1/5

MemphisのSun Record StudioでElvisほかのロックンローラーを育てた。ミュージカル「Million Dollar Quartet」を見に行った。


Doc Wtson
3/3

カントリー・ギターに凝った時代がある。大学の教え子が弾くのを見たのがきっかけだ。Martin OM-45を買ってしまった。


Herman Leonard
3/6

ジャズ写真家第2号。写真の専門学科の出身である。プラチナ写真を9000$で売り出したのを知りしっこ漏れそう。


Thad Jones 3/28

Jones3兄弟の2男。サド・メル楽団はビッグバンド人間にはたまらない。サドではなく、Thadです。"To You"という歌が素晴らしい。


Johnny Hartman
7/3

あの低音の魅力には痺れる。ヒットさせる前に死んで歌えなくなった"Nobody Home"を聴いてください。


Iola Brubeck 8/14

ブルーベックの愛妻です。可愛らしいお婆ちゃんでしょ?”Take Five"の歌詞は彼女が手伝って書いたものです。


Ralph Sharon
9/17

Tony Bennettを育てたピアニストで2000年まで伴奏を続けました。トニー・ベネットは元気に歌ってますがラルフは死にました。


Barney Kessel 10/17

レコーディングする時、最初にお呼びがかかる人を”First Call” ミュージシャンと呼ぶ。彼は”First Call Guitarist”でした。


Bob Dorough
12/12

”Devil May Care”の譜面が欲しいと言ったオジサンがいた。まさかBob Doroughの弾き語りを聴いたんでしょうか?

   
 

1924年(大正13年)生まれ


守安祥太郎 1/5

31歳で飛び込み自殺をしたバップの先駆者ピアニスト。横浜のモカンボでのセッションの音源が残っているのみ。


Mary Kaye 1/9

Mary Kaye Trioがラスベガスの夜中のフロア・ショーを始めた。珍しくハワイの生まれ。兄のNormanは3つ上。


Max Roach 1/10

1954年春に、双頭のクインッテットと呼ばれたClifford Brown and Max Roach Quintetを結成。しかし2年で終わってしまった。


Bill Comstock 2/1

60年に4フレッシュメンに加入。64年に初来日。73年まで続けた。いい歌も書いている。ギターも大人っぽい。


Sarah Vaughan 3/27

Billy Echsteinに妹のように可愛がられた。Billyが自分のバンドを結成した時サラはついて行った。


Henry Mancini 4/16

"Moon River"と「酒バラ」が2年続けてオスカーを獲った。3年目は「シャレード」だったが逃した。


Blossom Dearie 4/28

少女のような可愛い声で弾き語った。後世にブロッサムを手本にした弾き語りの友達が2人いる。


Charles Aznavour 5/22

仏シャンソン界最後の巨人と云われた。94歳の誕生ライブで死ぬ直前に来日公演を果たした。


Dinah Washington 8/29

"What A Diff'rence A Day Made"は生涯の大ヒット。ダイエットの薬と酒の飲み過ぎで死んだ。


Bud Powell 9/27

パウエル兄弟は若死に兄弟で有名です。弟はクリフォード・ブラウンと一緒に車の事故で死んだ。


Jimmy Carter 10/1

カーター大統領はホワイト・ハウスではじめてジャズ・コンサートを開いた大統領。


Paul Desmond
11/25

私が大学1年の時に"Take Five"を書いた。5拍子の曲のモダンさに嬉しくなった。


Ken Albers 12/10

4Freshmenのグループ#3、#4時代のバス歌手。FFの黄金時代だった。"Oh Lonely Winter"は名曲。


瀬川昌久

銀行員時代からのジャズ評論家。オージーサンズを聴いてべた褒めしてくれた。日本楽友会副会長。

   
 

1925年(大正14年)生まれ


Doc Pomus 1/27

もとはブルース歌手が「ラストダンスは私に」の作曲でヒット。自分が死んで、どん底のジミー・スコットを復帰させた。


笈田敏夫 2/21

最後の「ゲソ・コンサート」にオージーサンズを呼んでくれた。「来年も同じメンバーで」と言ったが5ヶ月後に死んだ。


Dave Pell 2/26

Les Brownのバンドに47年からメンバーだったが、53年にはWest Coarst Jazzのバンド、Dave Pell Octetを立ち上げた。


Wes Montgomery 3/6

フィンガー・ピッキングでオクターブ奏法が有名。オルガンのジミー・スミスとの名コンビは他には無い。


Roy Haynes 3/15

40年代のBig Name、チャーリー・パーカー、ビリー・ホリデイ、マイルス、コルトレーン、モンクたちと共演したBopの生き残りです。息の長い長生きの人です。


James Moody 5/26

James Moodyの吹いた”I'm In The Mood For Love”は超有名になりました。そのアドリブのフレーズに歌詞をつけた男がいます。Eddie Jeffersonです。


Don Costa 6/10

ポール・アンカの"Diana"を編曲しています。そんな関係からMy Wayをシナトラが唄ったものと考えられます。娘Nikka Costaがスタンダードを唄っていました。


Jimmy Scott 7/17

92年の初来日以来、2000年以降も来日してJimmyファンを喜ばせていました。極めつけの”Someone To Watch Over Me”を聴いて下さい。


Oscar Peterson 8/15

ピーターソンの歌はご存知か?”Walkin' My Baby Back Home”を唄うのを聴いて嬉しくなったことがあります。直ちに採譜したのを覚えています。


Art Pepper 9/1

56歳という若さで死んだウェストコースト・ジャズの中心的アルト奏者。35歳から50歳まで、麻薬中毒更生施設に。77年には初来日。


Alan Bergman 9/11

Alan、Marilynのオシドリ夫婦で50年間作詞家コンビを続けた。ルグランの「風のささやき」はオスカー。映画「追憶」の"The Way We Were"も有名。


Mel Torme 9/13

メル・トーメのファンは特別です。全てのLPを持っている人がいます。"The Christmas Song"はメル・トーメの作品です。


June Christy 11/20

45年、ケントン楽団に迎えられ、ケントンからJune Christyと名付けられた。アルバム「Something Cool」は名盤。


Johnny Mandel 11/23

"The Shadow of Your Smile"など作曲。オーケストラの編曲が素晴らしい。"Here's To Life"はオスカー。


Jimmy Smith 12/8

50年代に製造のハモンドオルガンB-3が有名で、ジミー・スミスなどジャズミュージシャンは好んで演奏しました。


Sammy Davis Jr. 12/8

サミーは歌謡曲をミュージカルにしてしまう。"Mr. Bojangles"はそんな1曲。若い頃からサミーの真似をしてきた。

 

1926年(大正15年12月24日まで、昭和元年12月25日から)生まれ


与田輝雄 1/3

シックスレモンズのリーダー。ジョージ川口、中村八大なんて懐かしい名前です。2011年6月5日85歳で死去。


Bucky Pizzarelli 1/9

ジョン・ピザレリの父。7弦ギターを発明、親子で14弦の合奏を聴かせる。長生き親父。


Bill Henderson
3/19

80代晩年になってからの歌唱が素晴らしい。昔は黒人ぽい声だったのが、張りのある歯切れ良い歌になった。


Miles Davis
5/25

バップからクールへ、そしてHard Bopへ、最後にはフュージョンへと変身。マイルスはルイ・アームストロングの後継者。


Nelson Riddle
6/1

彼のオーケストラの編曲はりプリーズ時代のシナトラを支えたと言える。50年代、キングコールの"Mona Lisa"はビッグ・アレンジとなった。


Christine McGuire
7/30

マクガイア姉妹の長女。17年のブランクの後にラスベガスで復活。90年代終りにカーター元大統領の75歳の誕生日に歌った。2004年のPBSのTVが最後。


Tony Bennett
8/3

昔はよく来日し、よく聴きに行った。そしてレコードを買った。2013年の東京Jazzに来た。100まで歌う勢いで、益々若々しい。


Buddy Greco
8/14

われわれが若い頃ジャズ歌手という印象はなかった。でも名前だけは聞いていた。"The Lady Is A Tramp"がヒットしたらしい。


Bob Flanigan
8/22

4フレッシュメンのリーダー。あのオープン・ハーモニーの高音リードを歌い続けた。高校時代から採譜して参考にさせてもらった。


John Coltrane
9/23

ジャズの救世主と言われテナーサックス。華々しい音楽活動は死ぬ前の6年くらいで、「Free Jazz革命」となります。寂しげな音色でした。


Julie London
9/26

最大のヒット曲は1955年の"Cry Me A River"ですが、Bobby Troupのプロデュースによるものです。その5年後に結婚しています。


松本英彦 11/19

97年にマヌエラに連れて来られて、親しく話をしました。愛妻の佳子さまとはそれ以来の付き合いです。前田憲男も一目置いていました。


Ray Brown
10/13

オスカー・ピーターソンのベースでした。2001年の富士通コンコルドに来たのが最後となりました。長部正太とのCDが最後の吹き込み。


原 信夫 11/19

戦後、シャープス&フラッツを率いて60年。2016年に卆壽の祝いをオークラで。愛妻の塚原愛子さんはオージーサンズをよく聴いてくれました。

   
 

1927年(昭和2年)生まれ


Leopoldo Federico 1/12

タンゴバンドのリーダー。87年にブエノスアイレスでライブを聴きに行った。即興演奏を聞かせてくれた。何度か来日している。


Eartha Kitt 1/17

子供の頃に「ウスクダラ」を真似して歌ったものだ。なんとトルコ語だった。日本では江利チエミが歌った。


Antonio Carlos Jobim 1/25

ボサノバを始めた革命児。それまではブラジルはサンバだった。アメリカに渡りシナトラと仲良くなった。


Stan Getz 2/2

ゲッツのサックスが好きな人が多い。Coolのケントン・バンドにもウディ・ハーマン楽団にもいた。ボサノバ得意。


Harry Belafonte 3/1

カリプソを広めた。「バナナボート」はベラフォンテの名前を知らしめた。古い"Danny Boy"もレコードを出し皆が歌った。


Don Barbour 4/17

4フレッシュメンのバーバー兄弟の兄。60年まで歌いソロ歌手に転向しようとコムストックに替わったが、61年に交通事故で死んだ。


ジョージ川口 6/15

ビッグフォーはJATTというラジオ番組で有名になった。リクエストをする番組のさくらがいた。仲良し親父の佐藤宏さん。


Ward Swingle 9/1

SwingleSingersをパリで立ち上げ、バッハを「バダバダ・・」とやってしまった。後にイギリスで新グループを立ち上げ。


Elvin Jones 9/9

Hank、Thad、Elvin3兄弟の一番下。ThadとElvinが早死にして長男Hankが長生きして、何度も来日した。最後に会ったのは99年。


尾田 悟 9/27

帝国海軍の軍楽隊出身。戦地で散り行く兵士たちを音楽で送り出した。グレン・ミラーも同じ話。音楽家も戦時中には、こういう場面に身を置くことになる。


Jimmy Slyde 10/2

ジャズ・タップの有名人。川村隆英はJimmyの弟子でTaka Slydeいうステージ・ネームをもらって来た。


Chris Connor 11/8

ケントン楽団の3人目の専属歌手。Smokey Voiceで低音が美しく、スタン・ケントンはオーディションでたちまち気に入ってしまった。


Patti Page
11/8

「テネシーワルツ」は看板ソング。一人の歌手が多重録音でコーラスを吹き込んだのは彼女が世界で最初らしい。"Old Cape Cod"は4重唱。


Norman Gimbel 11/16

「イパネマの娘」ほか、ジョビンの歌の英語版を書き、ルグランの”Watch What Happens”他も英語詞を書いている。

   
 

1928年(昭和3年)生まれ


Dorothy McGuire 2/13

マクガイヤ姉妹の次女。だから真ん中のパートを歌った。3人の中で最初に亡くなった。84歳だった。


フランキー堺 2/13

中目黒の台地に家を建てた。みんなが電車から「フランキーの家」と指差した。昭和20年代末にシティー・スリッカーズでコミックバンド。


Fats Domino 2/26

ニューオリンズR&Bの弾き語りロック歌手。プレスリーからビートルズが若者のハートをつかむ時代で、陰に隠れていた。


Keely Smith 3/9

ニューオリンズのルイ・プリマのバンドで専属歌手となり、後に結婚した。長生きして2017年89歳で死去。


Maynard Ferguson 5/4

ハイノートヒッターと呼ばれる。カナダ生まれで、ケントン楽団。ダブルHigh Cを吹いた。TVの「ロッキーのテーマ」は彼の作曲。


Burt Bacharach 5/12

60年代以降のポップソングの作曲家。Hal Davidが作詞をしている。ディオンヌ・ワーウィックは専属歌手の如しと言ってよい。


Rosemary Clooney 5/23

ロックが始まり、ビートルズ時代になって引退同然の時期があったが、70年代半ば、ビング・クロスビーによって復活した。


Herb Reed 8/7

プラターズのバスで、あの低音の”You Never Know"は忘れられない。プラターズは分派してバラバラになったが、最後まで生き残った。


Eddie Fisher 8/10

デビー・レイノルズと結婚したが割って入ったのがリズ・テイラー。その後も3人と結婚した色男。他に48人彼女がいた。


Eydie Gorme 8/16

ラテンを歌うのが好きだった。パンチョスともレコーディングしている。伴侶、Steve Lawrenceとのラスベガスでのショーが語り草。


Horace Silver 9/2

アート・ブレイキーとHard Bopを始めJazz Messengersを立ち上げた。彼が書いた"Song For My Father"がヒット盤。


Cannonball Adderley 9/15

Nat Adderleyは弟。ライナーノーツで間違って書かれているものがある。最後は兄弟一緒に活動した。45歳の若死に。


Junior Mance 10/10

シカゴ生まれのピアニスト。2000年代以降も来日し演奏活動を続けた。マンスのピアノは鍵盤が歌ってくれる。


Ernestine Anderson 11/11

シアトルの有名歌手だった。96年夏にシアトルに行った時、既に店を畳みライブを聴けずに帰ってきた。


Andy Williams 12/3

ミスター・ムーンリバーと異名をとる。いつぞやの紅白歌合戦に来日して出場した。他にそんな歌手はスーザン・ボイルか。


Moe Koffman 12/28

Swinging Shepherd Bluesを作曲したカナダのフルート奏者。エラがスキャット入りの名唱を吹き込んでいる。


Ross Barbour 12/31

4フレッシュメンのオリジナル・メンバーで3rdボイス、ドラムス、トランペット。オリジナル・メンバーでは最後まで生き抜いた。


Severino Filho

リオっ子(Os Cariocas)のオリジナルメンバーで1942年から亡くなる2016年まで歌い続けた。Filhoはピアノを弾きながら歌った。

   
 

1929年(昭和4年)生まれ


Benny Golson 1/25

FJSのメンバーが”Wisper Not”を歌いたいと言って編曲をした。2004年スピルバーグ映画「The Terminal」の終りに出てくる。


Jane Little 2/2

アトランタ交響楽団のコントラバス奏者として71年間の世界記録をもっている。87歳で演奏中のステージで亡くなった。


Cecil Taylor 3/25

60年代半ば、コルトレーン、オーネット・コールマンらとバップに飽き足らず、フリージャズ革命を起こした。


Gene Puerling 3/31

4フレッシュメンの向こうを張ってHi-Lo'sを立ち上げ、難しい編曲を書いた。後にSingers Unlimittedを結成。


北村英治 4/8

慶應のライトミュージック出身。気持ちの若々しい先輩で100まで吹いてくれるものと思います。


ナンシー梅木 5/8

ブルーコーツ初代の専属歌手。アメリカ映画「サヨナラ」で助演女優賞を獲得した唯一の東洋人。


Mel Lewis 5/10

サド・ジョーンズと双頭のバンド、サドメル・オーケストラを結成した。それまでのアレンジとは全くものだった。


Bill Evans 8/16

おそらく日本人ジャズファンが一番好きなピアノと言えばビル・エバンスの名を上げるものと思います。


Carroll Coates 9/23

”Rondon By Nigght”を書いた英国のライター。シナトラが吹き込み、Singers Unlimittedがアカペラで歌った。


Marilyn Bergman11/10

夫Alanとのコンビで50年作詞を続けた。"How Do You Keep the Music Playing?" は83年のアカデミー賞。


芦田ヤスシ 11/22

父、芦田 満は昭和一桁時代のサクス奏者。ヤッさんは私の一回り上。それでよく気が合った。もらった古い資料は本サイトの記事になっている。


Barry Harris 12/15

バップの生き残りと言われるピアニスト。ニュージャージーのNicaの家に住んでいる。タップの川村隆英が師匠に連れていかれた。


Chet Baker12/23

アムステルダムのホテルの窓から投身自殺をした。彼を師匠と崇めるヒロ川島は彼のトランペットをもらった逸話がある。

     
 

1930年代

1930年(昭和5年)生まれ


ハナ肇 2/9

クレイジーキャッツがデビューした50年代に銀座アシベでのライブを見に行ったものだ。高校生の頃だった。その後、シャボン玉ホリデーは誰もが見ただろう。


Ornette Coleman 3/9

フリージャズ3人の1人。「高松宮殿下記念世界文化賞」を2001年に受賞した。意味不明の“ハーモロディクス”理論を唱えた。


Tommy Flanagan 3/16

60年代〜70年代まで、エラ・フィッツジェラルドの専属ピアノ。ロリンズの名盤「Saxophone Colossus」やコルトレーンの「Giant Steps」のピアノ伴奏。


Stephen Sondheim 3/22

West Side Storyの作詞の後、作曲もした。"Send In The Clowns"はサラ・ボーンの歌があるが真似なんて出来るものではない。


松崎龍生 4/30

ヴィブラフォン奏者。私が高校生時代、鈴木章治とリズムエースだった。渋谷のプリンスに学校の帰りに寄り道した。


Betty Carter 5/16

カーメン・マックレーが最大の賛辞を送る大歌手。ベティのスキャットや歌のフレーズ作りは、独自のものだ。


Clint Eastwood 5/31

ドリー・ベーカーはクリント・イーストウッドの大ファンで、いつも"I love Clint Eastwood"とうっとりしては言っていました。


Dakota Staton 6/3

Fred Statonの来日に際し宣伝記事を依頼されて書いた。John Millsが「Dakotaはfamilyだってな」と書いてきた。


Helen Merrill 7/21

15,6歳の時初来日。チケットをもらいコンサートに行った。その41年後「41年ぶりです」「Oh, it's yesterday」と来た。


Annie Ross 7/25

ランバート・ヘンドリックス&ロスはランバートが事故で早世し、来日公演がない。ヘンドリックスだけが丸山に呼ばれて来た。


Sonny Rollins 9/7

この顔を見ると”St. Thomas”を思い出す。ロリンズの母親がSt. Thomas島の出身で、この元歌の民謡を聴かせたから生まれた曲だ。


Ray Charles 9/23

”Georgia On my Mind”は生涯のヒットだが、日本人歌手が歌うとレイチャールス節がちらちら見え隠れする。


Nancy Harrow 10/3

一度だけ花見に来日した。一晩だけのライブが組まれ呼ばれて聴きに行き。一発で大好きになった。軽いスイングで歌ってくれた。


Clifford Brown 10/30

マックス・ローチと双頭のバンドを組んで大人気だったが、2年後、事故で死んでしまいバンドは無くなった。


Jim Hall 12/4

76年に来日し”アランフェス協奏曲”を演奏した。33年後、再び「アランフェス」を銘打つコンサートに来日した。ロン・カーターも一緒に来た。


Milli Vernon

向田邦子の愛聴盤の記事が雑誌に出て、レコードが売り切れて、一枚3万円の値段が付いた。後年、CDが復刻された。

 

1931年(昭和6年)生まれ


海部俊樹 1/2

三木武夫の采配で首相になってしまった。三番町マンションには警備のポリスボックスが出来てしまった。うちの親父に会いに来たものです。


Pinky Winters 2/1

2度来日している。2度とも聴きに行きいい気持になりました。張り上げない歌にはボリューム感が豊か。流石、本場の本物の歌手です。


Phillis McGuire 2/14

マクガイヤ姉妹の一番下。メロディー・パートを力強く歌った。2人の姉は先に他界した。マクガイヤ・メドレーを編曲してマヌエラシスターズが歌う。


Marilyn King 2/11

キング・シスターズは6人姉妹だった。マリリンは一番若く、最後にあの世の姉サンたちのところに合流した。若い時は美人でした。


Joao Gilberto 6/10

Richie Powell 9/5


Leslie Bricusse 1/29
 


Anthony Newley 9/24
ボサノバの神様だ。来日してコンサートに行ったが酷いものだった。開始も1時間40遅れ。新幹線で来た客は早く帰った。アメリカでは誰も呼ばない。
クリフォードとマックスローチのバンドのピアニストだが、彼の嫁が運転する車でクリフォードと一緒に死んでしまった。
1961年にロンドンからやって来たコンビが、”STOP THE WORLD - I Want To Get Off” (地球を止めてくれ―俺は降りたいんだ)という凄いタイトルのミュージカルを書いた。サミー・デイビスJr.が主役を演じるようになった。心に迫るストーリーと歌だ。


Brook Benton 9/19

”Rainy Night In Georgia”を歌い唯一のヒットと言える。これを沢チンが歌いたくて歌った。ロックの歌だが上等なのだ。私も歌ってる。


原田イサム 9/28

ジミー原田の長男。忠幸は弟。日本楽友会(ジャズ関係の人の親睦会)の会長。30年以上の付き合い。


Phil Woods 11/2

チャーリー・パーカーが34歳の若さで死去した後、残された未亡人と結婚し、子供たちの継父となった。


Nat Adderley
11/25

60年の”Work Song”は囚人の労働を歌った代表作だが、56年に”Sermonette”という奇妙なタイトルの曲を書いている。

 

1932年(昭和7年)生まれ


Grady Tate 1/14

ドラムスが本職だが歌もよく歌った。沢チンの78年のLPはグラディの太鼓、ハンク・ジョーンズのピアノだった。


Michel Legrand
2/27

名曲を沢山残してくれた。コンサートでは、ピアノを弾いて歌を唄ってオーケストラを指揮し忙しい舞台だった。


世良 譲 3/10

オージーサンズを可愛がってくれた世良G。いつも「揃って来るなら歌いなさい」。最後は世良Gの追悼コンサートだった。


Debbie Reynolds 4/1

エディ・フィッシャーの愛妻だったが、リズの浮気から始まり、娘も生まれたのに別れた。娘、キャリー・フィッシャーが60歳で死去し母も。


Francis Lai 4/26

「男と女」はダバダバ・・で誰もが知っている歌だ。オージーサンズまで歌ったのです。フランス語の意味も分からないまま。


五十嵐明要

若々しいトシちゃんは自ら後期高齢者バンドKKBを立ち上げた。演奏もいいのだがジョークが面白い。


冨田 勲 4/22

シンセサイザーの考案者。高校の同級生が一番下の弟だったので、63年前から知っている。オートバイ好きだった


小林亜星 8/11

慶應高校に音楽愛好会(楽友会)を創設したのが亜星さんたち。70年を超す歴史を持っている。仲良しの先輩です。


Frank Busseri 10/10

4Ladsを1950年に創設して以来、歌い続けた。日本にも度々来て、この顏は忘れることはない。86歳で死んだ。

     
 

1933年(昭和8年)生まれ


白木秀雄 1/1

雪路、良重、たまみの3人娘がいた。水谷良恵と結婚したが、自殺で幕を閉じた。藝大の打楽器科に入ったんですよ。岩城宏之は同級生。


Sacha Distel 1/29

”Good Life”はディステルが書いたフランス製の歌です。イケメンで有名だったそうです。知らずにいてフランス語の歌を聴いたのです。


渡辺貞夫 2/1

「なべさだ」と呼ばれて久しいジャズ・レジェンドです。バークリー音楽大学(旧音楽院)からは名誉音楽博士号を授与された。


Nina Simone 2/21

アメリカの人種差別社会から逃れてフランスに行った人は多い。彼女もそんな歌手の1人である。


Ann Burton 3/4

アルバム「Blue Burton」は彼女の遅咲きのデビューアルバムで1967年のリリースである。度々来日し日本でも人気歌手になった。


Edmonia Jarrett 3/11

シアトルの婆ちゃん歌手で、日本人には馴染みがない。私はたまたま聴きに行ってCDをもらってしまった。チップをはずみました。


Quincy Jones 3/14

80になって日本に32年ぶりに来てコンサートをやった。4時間の変なコンサートに参った。前座の馬鹿がくだらなかったのですよ。


マーサ三宅 5/13

世良さんの追悼会でオージーサンズはマーサの1曲前で歌った。入れ替わりの時、褒めてくれた。当たり前だ、我々は心込めて歌ったのだ。


岩浪洋三 5/30

サリナとスージー黒岩が好きなジャズ評論家。ライブには一人で現れるので、いつも私のテーブルで一緒した。


Wayne Shorter 8/25

まだ元気で現役でレコーディングもしている。2007年に来日し全国ツアーをした。本サイトが宣伝に一役買った。


Conway Twitty 9/1

”It's Only Make Believe”をヒットさせたロック歌手が”Rainy Noght in Georgia”をサム・ムーアと歌ったのを見つけたまげた。


光井章夫

元気者の光井バンチャンも病後はラッパが支えられなくなった。この写真を撮ったのが2008年11月。バンチャンに会った最後だった。


渡辺正典

巨人軍の応援団長。2年先輩が我々の所に連れて来た。ハービー・トンプソンのライブに応援に来たのは驚きだった。

     
 

1934年(昭和9年)生まれ


Bob Shane 2/1

キングストン・トリオの”Tom Dooly”は毎日聞こえてきた時代がある。最後まで歌っていた只一人の生き残り。


大橋巨泉 3/22

11PM以前はジャズ評論家としてレコードのライナーノーツを書いていた。タイトルの誤訳が話題になる。


Shirley Horn 5/1

彼女が晩年にジョー・ウィリアムスの持ち歌だった”Here's To Life”を断りもなく吹き込んでグラミーを獲ってしまった。


Udo Jurgens 9/30

ペドロ&カプリシャスのデビュー曲「別れの朝」の原曲をUdoがドイツ語で弾き語りをしている。若々しい。


前田憲男
12/6

見ず知らずの前田憲男からメールが来て仲良くなった。ある疑問に原書を紐解きその答えを見つけたからだ。

高橋伸寿

浅草のサンちゃんと呼ばれ人気者だった。名刺交換をしたのは20年か30年前だった。グローバル4のライブは面白い。

   
 

1935年(昭和10年)生まれ


Elvis Presley 1/8

エルビスのレコードがスケート場で掛かった。度肝を抜かれた。ロックンロールはバカにしていたがエルビスは上手かった。


Steve Lawrence 7/8

伴侶のイーディ・ゴーメとのラスベガスショーはテレビか映画で流された。今や語り草となった。


Johnny Mathis 9/30

”Chances Are”とラジオから聞こえてきたのを記憶している。その後のことは何にも知らない。


根市タカオ

11PMのサラブレッズの1人だった。この齢になっても矍鑠としてベースを弾いている。驚きの爺ちゃんだ。


Sam Moore 10/12

モータウンサウンドにSam & Daveがいることは知っていたが、興味はなかった。が、”Rainy Noght in Georgia”を歌った。これには脱帽した。


Armando Manzanero 12/7

メキシコの小さな巨人と呼ばれる作曲家。英語の歌詞をつけられた歌がある。”Yesterday I Heard The Rain”をお聴き。

   
 

1936年(昭和11年)生まれ


清水万紀夫 3/5

昭和一桁時代の東 松二郎はチョロさんのお父さん。清水君子はお母さん。国立音大の出身でクラシックから。


Scott LaFaro 4/3

ビル・エバンスの秘蔵っ子のベーシスト。交通事故で25歳で死んだ。今や伝説の人物だ。


Glen Cambell 4/22

カントリーの歌手でJjim Webbと仲がよく”McArthur Park”を歌った。ギターソロも凄腕を見せた。


Engelbert Humperdinck5/2

芸名はドイツの作曲家エンゲルベルト・フンパーディンクに由来する。イギリス人なのにと思っていた。

Bobby Darin 5/14

若くしてこの世を去ったが、「マックザナイフ」や「ラメール」を残して行った。


Levi Stubbs 6/6

4トップスのリードを歌ったが、その歌唱力は彼独特のもので人には簡単に真似は出来ません。


Kris Kristofferson 6/22

”Sunday Morning Coming Dawn”を書いたカントリーの歌手。Dollyがこの歌を教えてくれた。


原田忠幸 7/20

原田イサムは実兄。最後の「ゲソの気まぐれコンサート」で一緒の舞台に立った。面白い経験だった。


Bruce Belland 10/26

4プレップスというポップコーラスのリダー。2004年のPBSテレビ番組に50年代グループ総出演で、その後、新グループ復活を果たした。


Mary Travers 11/9

PPMはフォークグループ華やかなりし頃、日本にも来て歌った。3人の中で最初に死んでしまった。フォークも歌ったものです。


菅野邦彦 11/13

ジャズピアノの天才と言われた。昔の店MISTYのハウスピアニストで古いジャズ人間が通ったものだった。


杉原 淳

巨泉の11PMのサラブレッズは懐かしい。成子坂上のハーモニースクエアの管理人だったので、いろいろな行事に出掛けた。

 

1937年(昭和12年)生まれ


Shirley Bassey 1/4

ジェームス・ボンドの”007 Goldfinger”を歌ったのは彼女だ。もう半世紀も前の話とは若い人には通じません。


Roberta Flack 2/10

”Tonight, I Celebrate My Love”は、DOMINANTで昔の娘が歌っていたのを思い出す。男声パートはPeabo Bryson。


Nancy Wilson 2/20

ポチャポチャの丸顔でマイクを顔の前で振り回しながら歌った。新しいCDで”This Is All I Ask”を聴いた。ちぇっ、ボチャノバだった。


Claude Garden 2/27

フランス人のハーモニカ奏者。トゥーツ・シールスマンとが両横綱と言われた。マヌエラにゲストで呼んだ。次の年に死んだ。


Ron Carter 5/4

マイルスのベースとして活動。VSOPにもメンバー。沢チンがNYで一緒にレコーディングした。Jim Hallとも来日。


山本邦山 10/6

山本邦山さんと一緒にヘレン・メリルの楽屋に尋ねた。ヘレンと邦山さんをつなげたのが私の知人の奥さん。


池貝政俊

巨泉とザ・サラブレッズのドラマー。日本楽友会理事長。不思議な縁でメンバーだった根市タカオ、杉原 淳とも親しくしてきた。

 
 

1938年(昭和13年)生まれ


Zola Taylor 3
/17

プラターズの女声。分派して彼女のプラターズを結成して歌っていた。2004年の全米テレビ番組にベッドで出て来た。勿論歌えず。


Lee Morgan 7/10

年上の女房にピストルで撃たれて死ぬという目に遭った。偶然が重なっての結果だが、映画にもなった。


Kenny Rogers 8/21

本来はカントリー歌手だが「ジャズを歌う」というCDが出て買って聴いた。”You Are So Beautiful”を頂戴した。


霧生トシ子 9/22

夜が更け始める頃、今は無いINDIGOに現れた。ざわざわ客がいないので、私にショパンとスコットジョプリンを弾いてくれた。


Tony Butala 11/20

レターメンを立ち上げ60年を越した。「ボーカル・グループ栄誉の殿堂」を97年に創設した。今も歌っている。


Connie Francis 12/12

「可愛いベイビー」「ヴァケーション」など誰もが口ずさんだヒットソングを送り出した。日本語の歌詞でも歌っていた。


Etta James

代表曲は”At Last”。Harry Warrenの渋い歌だが1960年にリリースしている。私が60年代から歌っている曲だ。


Judith Hendricks

Jon Hendricksの愛妻。サッチモの”Star Dust”の演奏部にJonが歌詞を書き、それを2人で歌ったレコードがある。絶品だ!

 

1939年(昭和14年)生まれ


高田敬三 1/5

最近の歌手の招聘に関わっているケースが多く、一緒になることが度々。志保沢さん関連で会うのが多くなった。


Joe Sample 2/1

フュージョン系のジャズピアニスト。ジャズ・クルセーダースを結成した。新聞に訃報がデカデカと出てビックリ。


Bobbe Norris 6/26

一度だけの来日の時、聴きに行って旦那ともども仲良くなった。出版譜面には歌詞が無い曲の歌詞を送ってくれた。


菊地雅幸 10
/19

アメリカに住むジャズピアノだったが若くして死んだ。彼の兄、藝大出身の作曲家が書いたミュージカルに出演した。


Jimmy LaRocca 10/27

初めてジャズレコードを出したODJBのリーダーNick LaRoccaの2代目。ニューオリンズに来いと言ってくれる。


沢田靖司 12/5

Dolly Bakerのライブ応援に来るので友達になり、後には教室に通った。沢田スクールの弟子たちとは長い付き合いだ。

   
 

1940年代

1940年(昭和15年)生まれ


Al Jarreau 3/12

アルジャローの歌を初めて聴いたのは、”We Are The World”の放送だった。”Spain”に歌詞をつけたのには驚いた。


Herbie Hancock
4/12

12年前、2007年に来日する時、このサイトで宣伝を依頼された。まだ、SNSが流行る前のいい時代だった。


Nancy Sinatra
6/4

シナトラは息子には歌わせなかったが、娘とは一緒にレコーディングもした。”Something Stupid”は大ヒット曲。


Tom Jones
6/7

"Green, Green Grass of Home"が彼の歌だとは何十年も知らなかった。2年先輩のクロージング・テーマだった。


森サカエ

80年代から90年代の遊び場DOMINANTで毎週会った。サカエさんが私にリクエストする歌があった。


Joel E Siegel 6/25

Shirley Hornの”Here's To Life”に書いた記事が白々しいインチキ記事だと私がレポートした。


John Brunious 10/12

ニューオリンズ・フレンチ・クォーターのPreservation Hall Jazz Bandのリーダー。浅草に来たこともある。

 
 

1941年(昭和16年)生まれ


Sergio Mendes 2/11

セルメンが登場し、日本でハワイアンをやっていた学生バンドがポップスに転向して行った。最初がブラジル66。


Buffy Sainte-Marie 2/20

”Until It's Time For You To Go”の作詞作曲をしたのは、カナダの先住民だった。インデアンとは初めて出会った。


Chick Corea 6/12

何度も来日しテレビにも出演している。彼の有名作に「スペイン」があるが、アルジャローが歌詞をつけてしまった。


Vikki Carr 7/19

蝶々夫人に因む曲”Poor Butterfly”と”Stay”をつなげて歌った。あまりにも素晴らしく、私のレパートリーに。


Paul Anka 7/30

30歳になる頃、ラスベガスでコンサートに行って来た。ピンキーが越路吹雪の真似をして歌うがごとく聞こえた。


Meredith d'Ambrosio 9/13

”Everybody Knows”という誰もが知らない歌をうたった。80年代後半だ。ところが、聴いたら知ってる歌ばかり出てくる。


Louis van Dijk
11/27

オランダの歌手アン・バートンの伴奏はヴァンダイクのピアノトリオだった。日本には根強いファンがいる。


John Hicks 12/12

来日時、2回会って仲よくなった。”A Beautiful Friendship”が好きな歌で私が歌い彼が伴奏してくれた。


Tim Hauser 12/12

マントラのリーダーで、元はマンハッタンのタクシー・ドライバーだった。今は親分のいないマントラが歌ってる。

   

 

 

1942年(昭和17年)生まれ


Carole King
2/9

「夕方フレンド」という歌曲を書いた。これをサリナが心を込めて歌ってくれた。「Kuniのために歌う」と言って・・


David Matthews 3/4

マンハッタン・ジャズ・クインテットのリーダー。来日多数。一度はマヌエラで歌伴をやってもらった。


Aretha Franklin
3/25

ゴスペルの血が流れている。力強い歌を沢山歌い残して行ってくれた。オバマ大統領就任式を今も思い出す。


Leon Russell 4/2

"A Song For You"をアニタ・オデイが歌ってくれた。凄いジャズバラードになってしまった。伴奏も採譜して歌った。


Barbra Streisand
4/24

"The Way We Were"をよく歌った。映画「追憶」を見ましたか。ベイブリッジの一方通行を逆にして撮影したのを・・


Artie Butler 12/2

”Here's To Life"という歌をよくぞ書いてくれました。この曲を持ってラスベガスのジョー・ウィリアムスの許に行った。ジョーは死ぬまで歌った。


Jerry Jeff Walker 3/16

”Mr. Bojangles”を書いたカントリーのシンガー。このカントリー・ソングをサミー・デイビスJr.が歌って元歌をミュージカルに変えてしまった。

 
 

1943年(昭和18年)生まれ


Barry Manilow 6/17

80年代に初来日した時聴いて感心した。シナトラを継ぐ歌手になると思った。しかし、色んなことに手を出し、歌の進歩が止まった。


Tony Joe White
7/23

”Rainy Night In Georgia"を書いたカントリーのシンガーソングライター。この歌だけでつながっている。他のことは何も知らない。

   
 

1944年(昭和19年)生まれ


Frank Sinatra Jr.
1/10

シナトラの息子は歌わせてもらえなかった。フランクが死んでから歌うようになったが、フロリダで客死した。


Salena Jones
1/29

私はサリナにとって日本で一番大切な人間だと思われている。不思議な縁だ。ロンドンにサリナ訪問もした。


Peter Allen
2/10

ジュディ・ガーランドが香港で見つけてアメリカに呼んだ。オーストラリア出身の作曲家。シナトラの歌を書いた。


Joe Cocker
5/29

ロックの歌手でゴニョゴニョ歌う。真似したくありません。この写真だけでも「ゴニョゴニョ」って聞こえませんか?


Marvin Hamlisch 6/2

バーバラ・ストライザンドのリハーサルピアノを弾いたことから、「追憶」の"The Way We Were"を作曲した。


鈴木史子

昔のLamp Lightで出会い30数年、家族付き合いになり、オージーサンズとは、どれだけステージを踏んだのか。


有福 隆

南青山にLanp Lightを開いた。80年代半ばに通い始めた。Dolly Bakerに出会って私の音楽人生が変わった。


山口勝利

80年代終り頃、テレ朝通りのDOMINANTに連れて行かれた。毎晩のように通った。バンマスが大事にしてくれたから。


Paula Kelly Jr.

モダネアーズのPaula Kellyの3人娘の2女。長女、マーサが死に、ポーラJr.が死に、3女、ジュリーが生き残った。

     
 

1945年(昭和20年)生まれ


Rod Stewart 1/10

"Have I Told You Lately?"を歌うのを聴いてたまげた。女性のキーで歌っている。80年代終りの年の話。


Bette Midler 1/21

一度も日本に来たことがない大物歌手。”The Rose”を歌っているのを知って「へー」だった。勝枝ちゃんの歌うやつ。


Keith Jarrett 5/8

クラシックもバリバリと弾いてしまう。ただのジャズ・ピアニストではない。85年にチック・コリアとリサイタルがあった。


Gary Brooker 5/29

プロコルハルムを90年代に再結成し続いている。デンマークでのライブビデオを見て再認識したところ。


峰 純子 6/19

ずば抜けて歌の歌い方を知っている歌手だった。音楽の理論と実際を分かっている数少ない人でした。


Van Morrison 8/31

"Have I Told You Lately?"を書いたアイリッシュのライター。自分でも歌ってレコードを出している。


Jose Feliciano 9/10

いつ頃だったか、ホセの名前がよくラジオで流れてきた。70年代の初め頃、「ケサラー、ケサラ、ケサラー・・・」が流れた。


Tony Williams 12/12

60年代、マイルス・クインテットの第2世代のメンバーだった。76年のニューポートJazzFesにVSOPの1人。

 

1946年(昭和21年)生まれ


Dolly Parton 1/19

カントリー歌手だが、70年代に"I Will Always Love You"でヒット。90年代にホイットニーがカバーして大ヒット。


まきみちる 3/7

日本でアイドル歌手のはしり。芸能界の空気が合わず、スタジオ・シンガーになって久しい。オージーサンズと家族同様。

Liza Minnelli 3/12

ジュディ―・ガーランドが母親。89年、シナトラ・サーミ―と3人で来日した。本来ならディノが来るはずだったが、リハをすっぽかし外された。


中尾ミエ 6/6

3人娘の1人だが、いろいろな縁繋がりで一緒に歌ったりもした。髪を染めない4人のオバサン、チームソルトンセサミのメンバー。


Jimmy Webb
8/15

"McArthur Park"が彼との結びつきになった歌だ。問題の多い歌だが、不思議な魅力がある。


長部正太 8/23

68年以来、サンフランシスコで活動している。来日中に暇が出来るとマヌエラに遊びに来るので合流する。

   
 

1947年(昭和22年)生まれ


Carole Bayer Sager 3/8

"Arthur's Theme (Best That You Can Do)"は1982年のアカデミー賞。シナトラが"You And Me"を歌ってヒットせずだが、私の持ち歌。


Ry Cooder 3/15

キューバの老人ミュージシャンを世界に知らせてくれたロックのギタリスト。ブエナビスタ・ソシアルクラブは大ヒット映画になった国際フォーラムでコンサート。


Banu Gibson 10/24

ニューオリンズに住む歌手だが来日した時、聴きに行った。力強い歌を歌ってくれた。ジョージアのヴァースを歌った。


スージー黒岩

96年に札幌の店に行って以来、応援してきた。人間が出来ているので長続きしている。心のこもった歌を聴かせる。

 

1948年(昭和23年)生まれ


西村 協 2/22

何でも歌いこなす器用人。GSからPops畑を通り、ジャズ歌手になってVocal大賞まで獲ってしまった。


Larry Dunlap 6/13

一度だけパーティに呼ばれ来日した。一晩だけライブがおまけにあった。ピアノ伴奏できたのだが、歌に痺れた。


Donna Summer 12/31

昔、ドナ・サマーのLPを買った。"McArthur Park"を聴くためだった。ディスコサウンドは素晴らしい。

 
 

1949年(昭和24年)生まれ


Billy Joel 5/9

昔、DOMINANTで佐藤さんが、♪Don't Go Chainging, to try and please me …と歌ってた。頭にこびりついている。


Daryl Sherman 6/14

2012年の暮に初来日。聴きに行って仲良くなった。それ以来、来日の度に会いに行く。ブロッサムの弾き語りと同じく可愛い。


高岡けい子 11/14

沢田ボーカル教室の講師で多くの生徒を教えた。ドラマーの清水 閏さんの伴侶。スイング感は沢チンを凌ぐ。

 
 

1950年代

1950年(昭和25年)生まれ


大原江里子

八城一夫門下のピアニスト。 神楽坂もりのいえで演奏しています。オージーサンズの面倒を20年見て来ました。


Patti Austin 8/10

クインシーが名づけ親。パティはクインシーを「オジサン」と呼んでいた。クインシー80歳の来日時には連れられて来た。


木村由紀夫

世良一家の太鼓。オージーサンズとは縁が深い。何度、一緒にやったか数えられないくらいだ。不思議なコレクター。


八代亜紀 8/29

演歌歌手がNYのBirdlandでライブをやって話題になった。それでジャズアルバムの2枚目が発売、売れるらしい。

 

1951年(昭和26年)生まれ


Crystal Gayle 1/9

ローラ・フィジイの"Don'tt It Make My Brown Eyes Blue"が色っぽ過ぎるので、クリスタルの歌を聴いた。これも色っぽい。


Peabo Bryson
4/13

R&Bの歌手だが"Tonight I Celebrate My Love For You"をDominantでみんなが歌うのを聴いて知った。


Richard Leigh 5/26

"Don'tt It Make My Brown Eyes Blue"をカントリーの作者の歌を聴いた。クリスタルもローラフィジイも色っぽくて危険だった。


本田富士旺

沢田スクールの発表会でピアノを弾いてくれたのが最初の出会い。"McArthur Park"なんて知っていてくれた。


丸山繁雄

ジャズ博士は日本では丸山1人。初めて会った時から「スイング理論」を話題に盛り上がった。マヌエラに呼んで歌わせた。


遠山晃司

何でも独学で一人前になると言うベーシスト。壊れたOSを1人で修理してしまった。うちの大学院生より賢い。

 

 

 

1952年(昭和27年)生まれ


James Ingram 2/16

"How Do You Keep The Music Playing?"をラジオで聴いて彼の存在を知った。クインシーの秘蔵っ子。


渡辺サバオ 6/7

根市タカオを通じて、バレンタイン前夜に、二子玉川高島屋のホールでの大ライブで伴奏をしてもらって仲良くなった。


Janis Siegel 7/23

マントラのティム・ハウザーのタクシーに乗ったことが縁となった。リーダーが死んで、興味が半減してしまった。


Tom Baker 9/9

ジャネット・サイデルのパートナーだったがオランダで客死した。トムがジャネットを呼んだのか二人ともあの世だ。


横山涼一

世良一家の宴会幹事役だった。法政の学生時代からプロ活動を始めた。オージーサンズの合宿にも参加した。

     
 

1953年(昭和28年)生まれ


細野よしひこ 12/5

細野のライブ・スケジュールは私のサイトで上げている。30年以上、Giibson ES-175の音色を聴いてきた。


Diane Schuur 12/10

彼女の弾き語る3オクターブの声にはビックリするしかない。目は見えないが、天は凄い声を与えた。


青木弘武 12/17

90年代後半、初めて出掛けて行って歌ってしまった。今は無い恵比寿のサンマリノだった。よく出会うピアノだ。


宮之上貴昭 10/7

田辺君の師匠。ウェス・モンゴメリー流の演奏を聴かせてくれる。知り合いの息子が習いたいと言うので紹介した。


嶋田トオル

80年代のサーカスのメンバーだったことがある。DOMINNTの仲間だった。スガナミ楽器でボーカルの先生。

     
 

1954年(昭和29年)生まれ


中川ヨウ 1/4

幼稚舎からの後輩でジャズ・ジャーナリストで記事を書くのが仕事。慶應アートセンターに「油井正一アーカイヴ」を開設した。


Elvis Costello 8/25

Diana Krallは彼の3人目の奥さん。イギリス人でロックの分野で、ジャズ爺は彼をよく知らない。


ジャンボ小野 9/17

なぜかライブハウスでよく出会う。ピアノが青木弘武や本田富士旺のことが多いからだろう。彼の名器をご存知か?

 
 

1955年(昭和30年)生まれ


Janet Seidel 5/28

2001年に初めて会い、その後、メール交換をするようになった。62歳の若さで亡くなった。残念でしょうがない。


伊藤 潮 8/22

90年代、西麻布にINDIGOありし頃、毎週、潮のベースで歌ったものだ。もう、20年近くご無沙汰してる。


Laura Fygi 8/27

舞台から降りてきて、客の膝の上に座って1曲まるまる歌う歌手なんて彼女しか見たことが無い。


Kenny WAshington

サンフランシスコのジャズ歌手で来日の時に会って話をした。ライブにも行った。恐るべきテクニックを持つ。

伊藤 潮 8/22

1956年(昭和31年)生まれ


Elmer Hopper 4/14

Paul Robiのプラターズで20年、1999年から新生ミルス・ブラザースで歌ってきた。死ぬなんて若過ぎだよ。


John Mills II 5/6

ミルス4男Donaldの次男、父と2人で83年から99年まで歌い、その後、エルマーと続けた。


Harvey Thompson 7/28

デトロイト出身。2002年から大阪に現在は東京に住む。"Here's To Life"に驚かされた。


Dianne Reeves 10/23

力強い歌を唄うだけでなく、不思議なスキャットはアフリカのスキャットとか??

 

1957年(昭和32年)生まれ


ヒロ川島 2/23

あのチェット・ベーカーに大事にされた日本人は川島さんしかいないだろう。ペットも歌もチョット・ベーカーと言われます。


横山 裕

慶應の後輩で、学生時代はモダンジャズ研究会だった。沢田靖司のベースになって知り合った。よく一緒にやった。

   
 

1958年(昭和33年)生まれ


     
5 29

1959年(昭和34年)生まれ


八城邦義

ピアノの八城一夫は邦義の父親。若い時から先輩ミュージシャンに取り上げてもらった。子供が還暦になる。

     
 

1960年代

1961年(昭和36年)生まれ


Susan Boyle 4/1

話題になったのは2009年のテレビだった。見かけと歌う歌のギャップがあり過ぎて有名になってしまった。


Barack Obama 8/4

オバマ大統領はジャズソングの歌詞を就任演説で引用しました。気が付いた人はいますか?


Wynton Marsalis 10/18

我々にとっては若々しすぎるトランペット。18歳の時にアート・ブレイキーに抜擢されて、一編に有名になった。


水口昌昭 12/9

笑うセールスマンでなく、笑うギターと称される。オージーサンズ・コンサートのバックをやってくれた。

 

1962年(昭和37年)生まれ

Max Raabe 12/12

ドイツの変わった若者。クラシックぽい歌い方で、ユダヤ人が書いた歌を選んで歌う。


小川理子

慶應工学部の20年後輩。松下電器に勤めたが、音楽活動が許されていた。ストライド・ピアノは一流。

   
 

1963年(昭和38年)生まれ


Whitney Houston 8/9

80年代に大人気を博したが、その後、薬でおかしくなった。2000年頃に落ち目になって48歳で風呂で溺死。


右近 茂 4/24

世良一家のサックスで知り合った。オージーサンズ・コンサートにはバックを務めてくれた。ゴルフはプロ並みの腕。


大角 一飛 10/10

90年代からマヌエラに毎週来てベースを弾いている。30年の付き合いになる。

 
 

1964年(昭和39年)生まれ


Diana Krall
11/16

90年代にCDを出した頃はよかったが、NYに出て腕利きのプロデューサーがのし上がらせてしまった。生意気でダメ。賢いと思えない。


Craig Thompson
12
/27

海兵隊で三沢基地にいた頃、相撲を習った。体重400ポンド。それがジャズ歌手になった。2人で掛け合いで歌った。若死にして残念。


高瀬龍一

オージーサンズ・コンサートのバックをやってくれた世良一家のトランペット。お客様の評判がすこぶる良かった。サクスは右近だしね。いいコンビ。

 
 

1965年(昭和40年)生まれ


田辺充邦 1/13

深川の駄菓子屋さんの息子。ライブで喋りたがるので、ギターを聴きたい人には困る。落語より面白いのに。

     
 

1968年(昭和43年)生まれ


Stochelo Rosenberg 2/19

ジプシー・スイング・ギターはジャンゴの系統だが、凄いテクニックには驚くのみ。ローゼンバーグ・トリオは来日した。


川村隆英

まだ渡米する前、Dollyのライブで踊るのを見た。13年のブランクの後、再会した。深い繋がりのタップダンサーだ。


ほんごさとこ 7/13

ライブハウスではない赤坂マヌエラにゲスト・ボーカルで3回も歌った。四谷のBullly'sには、彼女の日にまこGと出掛けたもんだ。

 
 

1970年代

1970年(昭和45年)生まれ


ロベルト杉浦

タンゴ歌手。20年前は南米諸国でボレロを歌い有名人になり活躍した。名古屋、大谷大学出身。

     
 

1974年(昭和49年)生まれ

Jeb Patton 8/17

彼の愛妻は沢田靖司門下の寺嶋(旧姓)一恵。毎年、来日しツアーを始めた。ピアノの腕は保証付き。

     
 

1980年代

1984年(昭和59年)生まれ


Gerald Clayton 5/11

2009年の100Fingersに25歳最年少で来日した。Junior Manceに着いてライブをしに来た。

     

1985年(昭和60年)生まれ


Jennifer Sanon

マルサリスに「傑出したボーカリスト」と絶賛され、Lincoln Center Jazz Orrchestraのツアーに17歳のときから参加することになった新星歌手です。