ジャズとコーラス |
(2) バーバーショップ・コーラスとMills
Brothers English version |
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男性のジャズ・コーラスの草分けはミルス・ブラザースであります。生まれ故郷のPiqua, OhioからNew Yorkに進出し、1931年にレコード・デビューし、”Tiger Rag”と”Dinah”が大ヒットし一大センセーションを巻き起こしました。 彼ら4人の兄弟の父親John Mills, Sr.はたまたま床屋の主人で、The Four Kings of Harmonyという文字通りのバーバーショップ・コーラスをやっていたのです。 この伝統的なバーバーショップ・コーラスの歴史は古く1870年代に遡ります。南部の黒人たちの四重唱団が生み出したものです。そして、1910年に”Play That Barbershop Chord”という歌が出版されたときに初めて”Barbershop”という語が使用されたといいます。 |
もちろん、床屋は日本でも浮世床というように、あちらでも人々の集まるところで、名前の由来は文字通り床屋であります。どこの床屋にもカルテットがあったといってよい時代があります。 男声カルテットの一つのスタイルをこう呼ぶようになり、現在もバーバーショップ・コーラスを唄う人たちの協会が世界各地ありますが、彼らはバーバーショップとジャズ・コーラスとは違うものとはっきり言っています。 グリークラブの人達が唄うクラシックに近い歌唱法でコードが黒人音楽的という感じと思えばいいと思います。また、無伴奏のアカペラで唄うのが原則です。ジャズの太鼓のリズムはありません。指揮者による自由な棒振りにより歌います。ミルスのコーラスと本来のバーバーショップとは異質なものです。
ジョン・ミルスJohn Hutchinson Mills(1882-1967)85歳の息子たちは、お父さんのバーバーショップ・コーラスを生まれたときから聴いて育ちました。4兄弟とは、以下の4人のことです。
Donaldが7歳のときから、お兄さんたちに加わって歌うようになりました。これがThe Mills Brothersの始まりです。ものの本には1931年結成とありますが、これはニューヨークに出て、最初のレコーディングをしたときです。1920年代の終わりころにはCincinnati Radio Stationでミルスのコーラスは電波に乗るようになりました。上の写真は唄いだした当時の4兄弟です。1922年と思われます。左から長男John、次男Herbert、三男Harry、四男Donaldと並んでいます。 60年間以上も唄いつづけたのですが、最後には1999年にDonaldが死にました。 ミルス・ブラザースはバーバーショップ・スタイルを基礎に置き、そこに当時流行したスイングを導入してジャズ・コーラスのスタイルを確立して有名になったのです。 ドナルドは、自分たちを”Barbershop Swing”と語っていました。 世界中に、これ以上温かみのあるスイング・コラースはありません。非常に単純なハーモニーかと思うと左にあらず、6th、9thやテンション・ハーモニーをごく野暮ったくしかも有効に使っていることが、今なおモダンさを感じさせるのでしょう。 |
初期のころは、Kazooというパラフィン紙を張った「ブーブー」と鳴る楽器(おもちゃみたいなもの)をラッパ代わりに使っていたのですが、ある時、カズーを忘れてきました。そこでHarryが両手の掌を口に当て、カズーならぬトランペットの音まねをしたのだそうです。瓢箪から駒とはこのことです。 |
右の写真は長男が1936年に突然26歳の若さで亡くなった後、22年間お父さんJohnが代役をしていた頃のものです。ラッパの擬音も彼らの十八番でユニークな味を出しています。 "Caravan"は特に有名です。スキャットはサッチモが始めたものですが、このスタイルはミルスの専売特許です。後列真ん中のおじさんDonaldのトロンボーンの真似は絶品です。 |
長男がギターを弾いていたのですが、亡くなってしまったので、1936年にギタリスト募集の広告を新聞に出したところ長蛇の列が出来てしまいました。
そのとき先頭の男を造作もなく雇ってしまいました。この先頭の男がNorman Brown(1912-1969)で、30年間ミルス一家の一員だったのです。何をやっても「ほのぼの」としています。じつは、このNorman Brownはカウント・ベイシー楽団のギターで有名なFreddie Greenの紹介があったのだそうです。そりゃあ、直ちに雇うわけです。 |
その後,1958年お父さんが引退して兄弟3人で続けることになります。日本にはじめて来たのは3人になってからです。3人のMills Brothers全盛期の頃の写真です。 彼らが初めて日本に来たとき、わたしは大学2年生ころだったと思います。そう、1960年8月にコーラス仲間と産経ホールに聴きに行きました。その時の司会が重鎮、小島正雄氏です。小島さんの大好きなミルスの公演です。他の司会者にはさせたくなかったことでしょう。普通は志摩由紀夫あるいはいソのテるオがよくコンサートの司会をやっていたのです。今は、どのグループも自分たちでMCをやるのが当たり前ですが、むかしは司会者が出てきたもんです。
会場には、小島さんの教え子ダーク・ダックスをはじめ、デューク・エイセス、リリオ・リズム・エアーズなどずらりと並んで聴きにきていました。やはり小島さんの育てたスリー・グレイセスが前座をつとめたような気がしているのですが、古いことなので定かではありません。ところが、脇地さんからこの時のプログラムを送ってきました。半世紀前のミルスのプログラムです。 ⇒ 中身が見たい人は 1990年頃にパリのノートルダム寺院の付近のCD Shopで、Millsの結成当時の録音盤を3枚見つけました。イギリス盤でしたが人より先に手にいれてご機嫌でした。今では、タイトルやジャケットは違いますがアメリカ盤が出回っています。Bing CrosbyやConnie Boswell、Boswell Sistersなども共演しています。古臭くて楽しいもんです。 |
■ 3人兄弟は1981年のコペンハーゲンでのコンサートが最後でした。その時の”Nevertheless”のVideoをご覧ください。 この時、既にHarryは糖尿病で目が見えなくなっていました。帰国して翌82年に死に、Herbertも引退して、Donald一人が残されました。 |
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Donaldは自分の息子、John Mills II(1956.5.6- ) と二人でツアーを始め、1999年Donaldの晩年まで18年間続けたのです。1999年、Donaldの最後のレコーディングが行われました。Johnが80年代に書いた"Still There's You"という歌を唄っていますが、涙なしには聴けません。 「目を閉じれば、あなたたちの夢をみる・・・まだ、そこに居るみたいに」と唄うのですから。そうです。われわれの心の中にもミルスは生き続けているわけです。 |
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2002年のことです。どうしてもこのCDを手に入れなくてはなりません。ホームページを調べて、Webmasterに依頼したところ、John Millsから直々にメールがあり、「CD販売のページが動かないで申し訳ない」と手紙を添えておまけのGift CDもつけて送ってくれました。
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現在は、3代目にあたるJohn Mills II にElmer Hopperが1999年に加わり、ミルスの歌を唄い、Mills Brothersの名を継いでいるのです。お父さんと3人の時期が少しだけあります。 エルマー・ホッパーはPaul Robiにかわいがられ、ポール・ロビの率いるプラターズで21年間リードを唄っていました。 2001年のSacramento Jazz Jubilee にはJohn Mills IIの甥のEricが入って3人編成のミルスが登場したそうです。 |
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OZ SONSがMills Brosの十八番”PaperDoll”を唄っているのですが、2004年4月のオルフェアンズのディナーショーで日本最古のジャズバンドをバックに唄うことになりました。当日、テナーサックスの芦田ヤスシさんが、秘蔵の写真を持って来てくれました。「君達がミルスを唄ってくれるから」と言うのです。嬉しいことです。 その写真は、かつて赤坂ニューラテンクォーターで芦田さんがMellow Notesのバンドリーダー時代のものです。芦田さんの「お宝」に違いありません。それを借りて来てしまいました。かれこれ40年前くらいの写真です。 というわけで、惜しげもなくご披露します。 Mills Bros and Yasushi Ashida |
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■ Mills Brothersは2005年10月に来日することになりました。何と40年ぶりの話です。時代は変わり息子の世代になっているのです。その息子といってもちっとも若いわけではありません。 http://ozsons.jp/MBinfo05.htm 10月10日に六本木のスイートベージルでプライベートパーティがあり、そこでジョン・ミルスとエルマー・ホッパーの2人に会って来ました。フルバンをバックに主催者であるもんプロの西蔭さんの祝いに3曲唄いました。 甥を加えて3人でやった話を聞いたところ、「Ericは警察官」ということでした。
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10月13日のJZ Bratでのライブに出かけました。ジョンもエルマーも熱唱でした。心に響く歌と言うのはいいもんです。私たちにはそれ以上に先代のサウンドを重ねて聴いてしまいますから、その懐かしさがまた余計に感動させるのです。 この写真はエルマーが帰国してすぐにメール添付で送ってきました。 JZ Bratでは演奏中の写真は撮らせてくれません。エルマーのデジカメで係りの者に撮らせたのです。 2人でミルスのサウンドとスイングを見事に聞かせてくれました。感動ものです。 |
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Official Site http://www.themillsbrothers.com/ |
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この2人のCDは出ていません。しかし、You Tubeでビデオを見つけました。しかし、現在は見られなくなっています。そんなこともあるかと思って、ビデオファイルをダウンロードしてムービー・ファイルに変換してあります。You Tubeに出されたビデオが引っ込められるケースは頻繁です。珍しいものは取っておかないと見られなくなるかもしれません。 |
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Mills
Brothers 2007 Video
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John Mills II からメールが届きました。(2008/7/8)
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1年後の8月にエルマーからです。 Elmer Hopper からメールが届きました。(2009/8/25)
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松本英彦を見てみろというメールです。スリーピーが亡くなった話はエルマーには伝わっていませんでした。私のところに「スリーピーは元気か?」と聞いてきたのです。 xplatter.comと書いてあるので、http://www.xplatter.com/にアクセスしてみました。 そうしたら、エルマーの書いているブログでした。2009年5月にはじめた出来立てのほやほやです。 何と私が書いたページからの引用が8月25日にアップされた「Kind Words said about Hopper」という記事です。参照したページは、プラターズの記事で、http://ozsons.jp/platters.htm の英語版です。 ■ | |||||||
You Tubeには”OzWkym”というサイトネームで何人かのパフォーマンスをアップしています。それを見たTheHopさんからコンタクトがありました。彼のところで「Mills Brothers Promo」というクリップを紹介していました。TheHopさんは何とElmer Hopperでした。 昨年、短期間だけでしたが、新世代のミルス・ブラザースのパフォーマンスがアップされていました。どうやら、このプロモーションビデオは消されないと思います。 貼り付けておきますので、ご覧になってください。 | |||||||
こんな写真が出てきました。2010年8月にロサンゼルスで開催されたミルスのコンサートの写真です。Donald Jr.は初めて見ました。お父さんそっくりで驚きです。Johnの兄だそうです。GinaはMr. Bと呼ばれたBop歌手のBilly Eckstineの娘です。 o
先代のBasin Street Bluesです。80年代初頭です。 | |||||||
2012年は記念すべき年 JohnがFacebookのMills Brothersのページでこんなことを書いています。そこで、この話は私のミルスのページで取り上げるとCommentしてやったら、あっという間にレスポンスがありました。 Johnがお父さんのDonaldとツアーを始めたのが1982年です。30年になると言っています。 4兄弟が揃って歌いだしたのは1922年ですから、来年が90年だと言っているのです。
2005年以来日本に来ていません。一度、来日の話があったのですが実現はしませんでした。彼らも来たがっているのです。どなたかミルスを呼んでくれるプロモーターはいませんか? 今日は下の娘に女の子が生まれました。(2011/12/16) | |||||||
終 幕 2013/7/20のことです。JohnのFacebookのWallにこんなことが書かれました。
91年の歴史の終わりを宣言しました。何とも言いようがありませんが、John自身が書いたことです。(2013/8/19) | |||||||
再 演 いろいろありましたが、2014年11月にJimmy Dorsey Orchestraをバックにコンサートをやるといってきました。
(2014/10/7)
(2014/11/1) (2014/11/16) | |||||||
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訃 報 2010年のコンサートで3人のMills Brothersがお目見えしました。お父さんとそっくりなDonald Jr.の応援出演にはびっくりしました。 ところが、2015年7月23日、FacebookでDon Jr.の死が伝えられました。詳しい状況は分かりません。(2015/7/23) | |||||||
訃 報 Elmer Hopper of the Platters. Mills Bros. Dies
◆ ◆ ◆ Culver City Newsの訃報欄にエルマーの葬儀案内が報ぜられている。詳しい死因は不明。70年代から90年代までポール・ロビの率いるプラターズで歌い、99年からはミルス・ブラザースの一家になった。 エルマーは1956年4月14日生まれ、63歳だった。 プラターズ時代に何度か来日している。そんな時代にサックスの芦田ヤスシさんと知り合った。2004年11月に、「芦田さんの連絡先を教えてくれ」とメールが入ったのが最初の出会いだった。 2005年に現在のミルス・ブラザースが一度だけ来日し親しく初対面した。喜んでくれた。その後もメールの交換はしばしば何かある毎にしてきた。
Johnも寂しがっているだろう。慰める言葉など見当たらない。R.I.P.
(2019/5/11) | |||||||
Randy Taylerを迎えて活動再開しました。 (2022/1/1) ミルスブラザース100周年 ミルスブラザースの歴史もついに100周年を迎えました。オメデトー John! (2022/5/18) |
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