ジャズと歴史にまつわる話 |
ニューオリンズのジャズクラブ Preservation Hall | |
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Preservation Hall in New Orleans |
ニューオリンズのフレンチクォーターに何軒かジャズクラブがあります。そのひとつにPreservation Hallという古い建物があります。まさに、ジャズを保存するのためのホールです。 昼間は写真で見るように閉まっています。夜だけオープンされ、ジャズのライブがあるのです。 古びた建物は18世紀の半ばに建てられたものですが、1960年代初めにジャズライブが行われるようになりました。ここで演奏するバンドはPreservation Hall Jazz Bandと呼ばれ、ホワイトハウスからソビエトまでツアーしてきました。 (1998/10) |
■■■■■■■ 2008年2月17日の新聞で一人のトランペッターの訃報が掲載されました。その訃報はPreservation
Hall Jazz Bandのリーダー、ジョン・ブルニアス、John Brunious(Oct 12, 1940 - Feb 12,
2008)の死去を伝えるものでした。享年67歳でした。皆さん、この名前をご存知でしたでしょうか。ディキシーファンにはビッグネームです。 |
2005年8月、ハリケーン・カトリーナのためにクローズされてしまい、ここで演奏していたミュージシャンは自分たちの場所を失い、余儀なく解散となってしまいました。 ブルニアスは家を失い、ニューオリンズからひとつ北の州アーカンソーの避難所に仮住まいしました。後にオーランドに移住します。救命ボートで助けられたのです。しかし、6本のトランペットは1本も持ち出すことができなかったそうです。 その1ヶ月後に、MSNBC TVのマンハッタンのスタジオで、被害を受けたニューオリンズ・ジャズのアンバサダーとして演奏をするためにニューヨークに招かれました。バンドのメンバーがNYCに揃ったのです。彼のラッパは借り物です。 |
Preservation Hall Jazz Band, 2005 |
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右上は「NYCでPreservation Hall Jazz Bandが再結成」とAP通信により報じられたPHJBのRadio City Hall前でのメンバー再会の写真です。トランペットのおじさんがジョン・ブルニアスその人です。この時は64歳です。 そして、彼らはたった1曲を演奏するために呼ばれたのです。その1曲とは ”Do You Know What It Means To Miss New Orleans?” でした。この曲についての詳細記事はここにあります。 翌年の2006年4月にはニューオリンズのPreservation Hallは再開されました。2007年にジョン・ブルニアスは浅草のニューオリンズ・フェスティバルにオールスターで来日していますが、それが最後だったと思います。Wendell Brunious(tp)は実の弟で、やはり来日したことがあります。 外山さんがさぞやがっかりされていることと思います。 (2008/2/17) |
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このページを書いたのは1998年10月、それから10年後の2008年2月の2回です。 ◆ ◆ ◆ 今日は2024年6月3日です。5月31日に閉店になったリトル・マヌエラから、ことりが一枚のモノクロの絵を持って帰ってきました。New Orleans French QuarterのPreservation Hallの入口の絵です。私には見ただけで分かります。 おそらくは、マヌエラの古いお客様がニューオリンズに行ったお土産に買って来たのではないかと想像しています。インターネットにもゾロゾロ出てくる有名な絵なのです。 こんな珍しいものが手に入ったお蔭で、このページが16年ぶりに更新されたのです。亦楽しからず哉。
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(2024/6/3) |
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