ジャズとコーラス

(52) ダークダックス喜早哲 85歳で死去


喜早 哲 (1930-2016)

ダークのゲタさんが2016年3月26日に急性肺炎のため亡くなりました。85歳でした。1951年にダークダックスが結成されてから65年目です。

パクさんが5年前の正月に77歳で亡くなりましたが、ひとり、ふたりと消えていきます。不動のメンバーで続いたダークはギネスブックに長寿記録で掲載されていますが、この記録は永遠に破られることはないでしょう。

昨4月2日(日)の夕方にOZSONSの練習が組まれていました。、まこGが「ゲタさんのお通夜が6時からあるから5時には終わりたい」と3月28日に言ってきました。

まこGには、不動前から桐ケ谷斎場への地図を書いて持たせて送り出しました。

ゲタさんのご冥福をお祈りいたします。(2016/4/3)


同志社グリーの大先輩、脇地さんから、ゲタさんの死を悼み、1957年3月7日のダークダックス・リサイタルのプログラムから画像ファイルを作成して送ってくださいました。

「月下美人の脇地さん」と言えば、思い出してくれますか?季節のさくらの写真も添えてあります。(2016/4/4)

脇地さんのホームページにダークダックスの関西初公演の感想文が書かれています。

「生意気なこと書いてますが・・」とのメールですが、実に正直で正確な印象だと思います。
 


ダーク ダックス
・リサイタル
(弥栄会館)

慶應ワグネルソサイエティ男声合唱団OBということで前評判は高かった。その関西初公演。すでにいくつかのカルテットは活動を始めていた。小山欣一先輩の属するフォー・コインズなどもそうだ。でもコンサートという形の口火を切ったのはダクダクとも略称されていたダークだった。今から思うと実にアマチュアっぽいステージだった。同志社グリーにはゴールデンゲイトQをもじったシルバーゲイトがあったが、失礼にもこっちのほうが上手いなどと品定めをしたものである。デュークエイセス、ボニージャックスなどそれぞれ得意な分野があったが、ダークはロシヤ民謡=歌声喫茶=の印象が強い。このステージは今から思うと〜時代の相違だろうが〜至極きまじめなものだ。

 
⇒ 月下美人 をご覧になりますか?


ワッキーさん
 


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