ジャズと小噺

(48) 面白音楽列伝  杉作
16年間に、くも膜下出血を3回起こして死んでいった大事な後輩、杉作が元気な頃に書いてくれた原稿がある。彼の専用ページには古くから掲載されているが、ひょんなことから、こちらに採録することになった。(2019/5/6)

落語・漫才面白いものが好きだ。世の中には音楽を遊び道具にしてふざけて笑わせる人がいる。

戦後テレビが始まって以来、どんなのがいたかを思い出してみた。まず、昭和20年代末期にフランキー堺のシティー・スリッカーズというのがあった。たしかフルバンド編成で、演奏中に派手に音を外して演奏を止めてしまい、「センセー、おしっこ!」とやって受けていた。

シティー・スリッカーズというバンド名はスパイク・ジョーンズという男がアメリカでやっていたコミカルなバンドと同じである。あの名優フランキー堺はバンマス兼ドラマーであった。クレイジーの植木と谷はここの出身である。

30年代に入ると、ハナ肇のクレイジーキャッツの全盛時代である。学生の頃「夕べのシャボン玉(ホリデー)見たかよ。植木(等)がおかしかったな」などと言っていた。音楽でふざけて遊ぶと言ってもそうするからには、ミュージシャンとして確実な腕が必要である。その点でクレイジーは立派だった。「スウィング・ジャーナル」が行う楽器別プレーヤーの人気投票で、谷啓がトロンボーンの上位の常連だった。安田伸は芸大出身のバリバリである。この投票では、ハナ(ドラム)植木(ギター)は外しては悪いという感じでかろうじて名前だけが下方に載った。僕はたしか昭和37年にあったクレイジー結成10周年記念公演に行った。閑と好奇心がたっぷりあったもんだ。

昨年、某所でBGMとしてあの頃のクレイジーの曲をかけていた。新鮮で面白かった。一人でげらげら笑った。その後に無能な知事となった男はすごい仕事をしたものだと感心した。

クレイジーの後に出てきたのがいかりや長介のザ・ドリフターズである。この人たちはビートルズの東京公演で前座を務めるという大変な勲章を持つ。出番を待つビートルズの連中はどんな気持ちで聞いていたのか。今では皆コメディアンとして活躍しているのはご承知の通りである。

 ◆ 

40年代以降は、寄席に三味線だけでなくいろいろな楽器を持ち込むのが増えてきた(林家三平のアコーデオンなど)がたいしたのはいない。

レギュラーのグループではないが、臨時編成の連中がやった珍妙なコンサートを思い出す。10年くらい前である。ステージ上では肘打ちピアニスト・山下洋輔がまとめ役でひげのアルトサックス・坂田明がおり、タモリが遊んでいた。SF作家の筒井康隆(訳あって、この人が中心に仕組まれたコンサートだった)がクラリネットを吹いていた夏の暑い日曜の夕方の日比谷野音では客が盛り上がり、最前列中央には酒盛りをするのがいた。そうなればどっちもどっちで盛り上がった。アマチュア連中が入り乱れて大騒ぎのステージとなった。終わっても最前列はまだ騒いでいる。坂田が出てきて「お前ら何してんだ早く帰れ!」とケンカを売っている。坂田の言葉にばかやろーというのがあった。客に対して失礼だとなるのは当然のこと。「はした金払ったからとお客ヅラする、やだねー、これじゃ日本はよくならない。官憲の言うことは素直に聞きなさい、オレ疲れたから帰る」で終わった。あれは何だったんだろう。僕は腹を抱えて笑っていた。

以上はジャズ・軽音楽の部類のものである。クラシック畑ではと思うとあった!

これも10年近く前で、山本直純がその頃つぶれそうだった日フィルでやったサマー・コンサートである。

直純のアレンジはなかなか達者なもので、同時に3つの曲が流れたりすると、客席は大爆笑する。そのうち、その頃売出し中の小朝が打楽器奏者が出囃子をたたくのに乗って登場しプロコフィエフの語りをした。

バリトンの水野賢治さんのコンサートもおかしい。愉快で明るい水野さんに加えて才能(あふざけ)豊かな作家が組むとまるで寄席に行ったかのように笑いが爆発する。ご本人に「寄席より面白かった」と言ったのだが、歌手に対する褒め言葉として適切だったか反省している。
 ◆ 

この原稿は、2006/11/25 赤坂リトル・マヌエラにて杉作より受領。

マヌエラの常連からメールが来ました。
「またお出でください!」と。

かれはズージャにはちいとばかりうるさいのです。マヌエラのジャズ生き字引のような常連と話が合ったら大変なことになりそうです。喜ぶことでしょう。

 

ハナ肇 1993.9.10没
フランキー堺 1996.6.10没
いかりや長介 2004.3.20没
山本直純 2002.6.18没
植木等 2007.3.28没

        

  ◆ 


Index
Previous
Next