歌をつくる人にまつわる話
The Story of Songwriters

(58) Benny Golson Whisper Not


Benny Golson(1929- )

FJS女声ジャズ合唱団の石井さんが”Whisper Not”を歌いたいと言った。2003年か2004年になってからだったか。「随分、難しいのを選んだな」といいながらアレンジしたのを思い出す。

ベニー・ゴルソンがディジー・ガレスピーの楽団にいる1956年に作曲した曲だが、ものの本ではジャズメッセンジャースのために書いたことになっている。

同じく、ものの本では後にLeonard Featherが詞をつけたとになっているが、それは間違いか嘘でLeRoy Jacksonが書いたというのが正しいらしい。

直接、ベニー・ゴルソンに確かめたわけではないので「らしい」と書いておく。

何故、今頃ベニー・ゴルソンのことを改めて書いているのかを話そう。つい先週のことだが、ベースの大原 潤さんが感動もののDVDをと言って2枚のDVDを家内に貸してくれた。そのひとつがスピルバーグ、2004年の「The Terminal」という映画だった。
 

この映画制作のきっかけは一枚のジャズミュージシャンの写真である。1958年に遡る。Esquire誌に雇われたArt Kaneという男の初仕事がHerlemの街路上で57人のジャズミュージシャンの集合写真を撮ることだった。

それがEsqire Magazineの1959年1月号に掲載された。この写真だ。シャルルドゴール空港で18年暮らしたナセリというイラン難民が実在した。この話をこの写真に重ねてみたものだ。20年もあるいはそれ以上前にこの写真を見て覚えている私だが、いい勉強になった。一枚の写真から一編の小説を書くことを考えることができるのだ。

誰が写っているのか興味のある人は、こちらのページを参照して欲しい。⇒ この写真の拡大

さて、この写真をEsquire Magazineで1959年以降に見た人は世界中にたくさんいたはずだ。映画の筋書きは、ソ連圏のとある国にいたジャズファンがここに写っているいるミュージシャンのサインを集めたいと考えた。ものすごいことを考えたのだ。彼はアメリカに手紙を書き、40年かかってサインを1人ずつコレクションしたのだが、1人だけを残してこの世を去ってしまった。志が遂げられなかったのである。

そのジャズファンの息子、ビクター・ナボルスキーが親父の遺志を継ぎ、2004年に残された1人のサインをもらおうとニューヨークに向かった。残った1人とはBenny Golsonのことである。幸いベニー・ゴルソンは今でも生きている。

ところが、ニューヨーク国際空港に向かっている間に、ビクターの母国でクーデターが起きて無政府状態となり、パスポートもビザも無効となって入国手続きができず、空港から一歩も出ることができない。入国管理の責任者は帰国するように勧めるのだが、ベニー・ゴルソンのサインをもらわずには帰れないのだ。彼は母国が正常化することを願い空港で大工仕事のバイトをしながら暮らすことになる。

ピーナッツの缶のようなものに親父が集めたサインが全部入っている。ビクターは「ジャズの缶詰」という。これは宝物だ。

始めは英語がろくに分からなかったのだが、ここで暮らす間に勉強しぺらぺらになってしまう。

空港の係員や労働者は始めスパイじゃないかと怪しんでいたのだが、人柄の良さを知りみな彼の味方となり、ビクターを空港から脱出させる。ベニー・ゴルソンはあるホテルのラウンジでライブをしていた。この映画に本人が登場しているのだ。映画の中では”Killer Joe”を吹いていた。ビクターは親子2代かかった目的を遂げ、タクシーで空港に向かう。

「さあ、家に帰えろう」

(2012/8/24)

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この写真にはいろいろなミステリーがある。その話は ⇒ 別ページに


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