歌と歌手にまつわる話 Story of Songs and Singers |
(213) Leon Russell 74歳で死去 A Song For You |
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1970年ころ、ロックンロールのシンガーソングライターのレオン・ラッセルが”A Song For You”というロッカバラードの歌を書いて歌っていた。 1フレーズ聞いただけで、バッチイので聴くのを止めた。もともと少年の頃からロックンロールをバカにしていたのだ。しかし、これはいい素材の歌だったのでレイ・チャールスらがカバーしたが、大して変りない。が、カーペンターズが歌って大衆に受けた。これは可愛いカレンが上品に歌ったからだ。 |
2016年11月13日(日)に、爵士楽堂が学生時代に歌っていたクラシックの合唱団のOB、それも平均年齢77歳というOSF男声合唱団のFamily Concertでどういうわけか、私のソロ・ボーカルのステージが組まれて、この歌を歌ったのです。 丁度、私が歌っている当にその時刻に、レオンはナッシュビルの自宅で息を引き取ろうとしていたという。不思議なことに地球の裏側からトリビュート・ソングを歌っていたのだ。R.I.P. 爵士楽堂がこの歌を歌うきっかけを作ったのはアニタ・オディだった。確か吉祥寺のSOMETIMEに来て歌ったのを聴いたときに脳天をガツンとやられたような衝撃を憶えている。これはジャズ・バラードだった。彼女のCDには何通りかのバージョンが吹き込まれているが、この時のライブで歌ったのが気に入った。後にレコードが出た。ピアノ伴奏の譜面を起こし自分でカラオケ伴奏をレコーディングして歌った。 この曲以外のレオン・ラッセルは聴いたこともないし、CDも持っていない。1曲だけの縁というわけだ。 ジャズの世界に足を突っ込んで以来、クラシックの合唱は歌えなくなってしまった。それは発声法も歌の表現法も何もかも違う。昔の歌い方は脳みその中にはしまわれているが、実際に歌うと苦しくて終わりまでもたない。 だから、OSF男声合唱団では、もっぱら連絡係・広報係をやって古い繋がりを切らないようにしてきた。宴会やコンサートには必ず出かけるのだ。わたしはそれで十分なのだが、回りはそれでは気が納まらず、何とかして一緒のステージに引っ張り上げようと考えたらしい。 昨2015年の忘年会で、親愛なる先輩のZZが「かっぱ、シェナンドーのギター伴奏をやってくれ」と提案した。むかし、合宿でわたしがギターを弾いてはみんなと歌って遊んでいたのを憶えているのだ。私のつたないギター伴奏より、いつものピアノ伴奏の方が余程歌いやすいはずなのだが、私を引っ張り出すための手段なのです。よく分かります。理屈じゃないのです。どっちが歌いやすいかじゃないのです。これは引き受けないと・・・。 ”Shenandoah”は1800年代初め頃のアメリカ民謡で、ヴァージニア州のシェナンドー河あたりに住んでいた原住民インデアンは中西部の地へ強制的に移住させられた歴史がある。その原住民がシェナンドーを愛し懐かしむ気持ちを歌った歌である。学生時代から口ずさんでいた懐かしい歌です。そのギター伴奏ををやれというZZの気持ちはまともに響きます。
ところが、これで終わりじゃなかったのです。わたしも、そこまでは計算に入っていません。 3月になって、1期生のコンダクター筑紫さんが「かっぱぁ、みんなの喉を休めるために、10分間で2曲ぐらいソロで歌わないか」と言いました。「選曲は、まり子と2人で考えろ」となり、まり子ちゃんを家に呼んで曲選びをしようということになりました。まり子ちゃんは筑紫さんのお嬢さんです。わたしは雁字搦めになりました。 結局、”枯葉 Autumn Leaves”と”A Song For You”に決まりました。普通では考えられない選曲です。
(2016/11/15) |