歌と歌手にまつわる話
Story of Songs and Singers

(288) 中牟礼貞則 


中牟礼貞則
(1933/3/15- )

ジャズギターの名人、皆さんに「ムレサン、ムレサン」と親しまれて何十年。昨日、87歳になったところだが、元気でライブに出ている。私が初めてお会いしたのは30年近く前、溜池の裏道に出来たレストラン「リビアン」の2階にあったピアノラウンジだった。

私の幼馴染、谷っチョの所有する借家が空いた後を改造して1階がレストラン、2階をピアノラウンジに仕立てたという案内状が届いた。ラウンジのピアノの主は何と沢田靖司と書いてある。沢チンがブッキングをするというのだ。驚いたなんてものじゃない。谷っチョと沢チンと繋がらないのだ。後で知ったことだが、2人は田園コロシアムのテニスクラブでの仲間だったという。

ある日、黙って初めてリビアンに出かけ、2階への階段を谷っチョの案内で2人で上がって行くと、気が付いた沢チンが「えー、何で二人で・・・」とたまげて迎える。谷っチョは「どうなってるんだ??」と、これまたビックリ仰天。いや、面白い一場面だった。

普段のライブは沢チンのピアノ弾き語りに、若かった横山 裕のベースだったが、金曜日はギターが入ってトリオ演奏になった。ギターは牟礼さんと細野よしひこが交代で来ていた。

それが普通のライブハウスのように人に知られていないので、2階の客は私一人なんて日がある。沢チンとジャズクイズまがいのお遊びになる。レストランを始めたのは、丁度、名シェフがさるレストランを辞めて遊んでいたことがきっかけだった。しかし、そのシェフがリビアンを辞めることになって、リビアンは1年半か2年ほどで閉じてしまった。

短い間だったが。贅沢をさせてもらった。私の専用ラウンジみたいなものだった。それ以来、中牟礼さんとは仲良くなり、1950年代に作られたGibson ES-175の奥深い音色は、私の耳をいい気持にしてくれた。さらに、細野よしひこもGibson ES-175だった。その結果、わたしも二人と同じギターを仕入れることになった。


Gibson ES-175

(2020/3/16)


(2022/8/2)


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