ジャズと歴史にまつわる話

ギタリストの指が! Django Reinhardt

Django Reinhardt
(1910-1953)

ジャンゴ・ラインハルトはアメリカの外で主として活動した偉大なジャズ・ギタリストです。ジプシーの子としてベルギーで生まれ、パリのジプシーキャンプで育ちました。

1928年、とんでもないことが起きました。18歳で結婚してまだ新婚の頃です。ジプシーはテントが住まいです。妻は花造りをしてお金を得ていたのですが、ある晩、演奏の仕事をして帰るとテントの中に「ねずみ」が入り込んでいたのです。

テントの中には妻が作ったセロファンの造花が山のようにありましたが、ねずみはその下にもぐり込んでしまいました。

ジャンゴはローソクを片手にねずみを探して追い出そうとしたのですが、ローソクの火がセロファンに燃え移り、火事になってしまいました。妻を炎から救おうとして、彼は両足と左手に大火傷を負ってしまったのです。

薬指と小指は無残にも熱で麻痺し曲がったままになってしまいました。写真でも様子がわかると思います。

そのハンデを克服し、それまでと違った指使いの方法を編み出して再びギターが弾けるようになりましたが、早い運指は叶いません。これが、ジャンゴのギターに独特のよさを与えたのだといわれています。それでも恐ろしく早いです。

ジャンゴは1930年ころには、エリントン、アームストロング、バイダーベック、エディー・ラングを聴いてジャズに傾倒していたのです。

1946年にはじめてアメリカに渡り、デューク・エリントンとアメリカツアーをしたのです。このとき初めてエレクトリック・ギターを触ったのです。それまでは、Gypsy Swingのアコースティック・ギターしか弾いていなかったのです。

(1998/10)

珍しいジャンゴのビデオクリップがあります。不自由な左手の指をしてこの演奏が出来るのです。ジャンゴのバンドでヴァイオリンを弾くのは、ステファン・グラッペリです。解説者は、Hot JazzのViolinistと紹介してます。

 

大元からのクレームでしょう。消されました。でも復活しました。その間に、こんなのが代わりにUpされました。

 

このような演奏をGypsy JazzとかGypsy Swingと呼びます。ストーケロ・ローゼンバーグというオランダのジプシー・スイングのギタリストがいます。 ⇒ ローゼンバーグ・トリオ

日本でも真似して弾いている人のグループがあります。

ジャンゴの時代から、現在に飛んでしまいますが、同じ手にハンデを持ちながらピアノを弾いているすごい人がいます。

David Matthews and the Manhattan Jazz Orchestraのリーダー/ピアニスト/アレンジャーとして有名なDavid Matthewsが2000年に来日し、たまたま赤坂のリトルマヌエラに遊びに来ているときに会いました。それが気さくな人なのです。ピアニストには気難しい人が少なくないのですが。

爵士樂堂はデビッドが伴奏してくれるというので、遠慮もなく”When Sunny Gets Blue”を唄わせてもらいました。


David Matthews(1942- )

ところが、ピアノの脇で唄いながらデビッドの指を見ると、理由はわかりませんが右手が火傷のためでしょう。変形しているのです。小指から薬指がくっついて固まってしまっているのです。なんということでしょう。それでピアノを弾いてしまうのです。致命傷といえるハンデキャップを負いながら、明るく優しい人柄にほれ込んでしまいました。

世の中には凄い人がいるものです。(2000/12)

デビッドは日本びいきで100回以上来日している。2016年のサウンドクルージング・ミナトにも出演した。現在では港区だけでなく中央区銀座まで広がってしまった。麻布区民会館でデビッド・マシューズ(pf)、荒川康男(bs)、スインギー奥田(dr)、宅間善之(vib)、TOKU(tp,vo)という特別編成のバンドだった。

もう、ほとんど右手は使えなくなっていた。私が会ったのは16年前のことです。(2016/10/20)


Izumi Tateno(1936- )
(佼成出版社、2008年)

慶應普通部・高校から藝大に進んだ舘野さんは私の4年先輩になる。長年フィンランドに住み演奏活動をしていたが、2002年1月リサイタル中に脳溢血で倒れ右半身が麻痺してピアノが弾けなくなってしまった。

その翌年8月、左手一本で復活した。それ以来、左手一本のピアニストとして本格的にこの分野を開拓していこうと決意し、日本でもリサイタルを行い、マスコミにも大きく取り上げられた。

1952年、慶應高校1年の時に、慶應義塾楽友会の第1回発表会で混声合唱のピアノ伴奏を行った。楽友会の初期のメンバーは舘野さんと一緒にステージに上ったのだ。64年前のことです。

今年の10月、2015年暮に亡くなった高校での恩師、楽友会の創設者、岡田忠彦先生を偲んで演奏したいという申し出があり、楽友会の最長老OB男声合唱団の楽友三田会OSF男声合唱団が「舘野 泉 音楽サロン」を企画した。

今年11月10日に80歳を迎えるがお元気そのもの。同日「傘寿のコンサート」が東京オペラシティ コンサートホールで開催されます。舘野さんの演奏は感動します。(2016/11/1)


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