歌と歌手にまつわる話

(178) ラルフ・シャロン91歳で死去 I Left My Heart In San Francisco

2015年4月5日に

Ralph Sharon, longtime accompanist to singer Tony Bennett, dies at 91

と伝えた。


Ralph Sharon(1923.9.23-2015.3.31)
トニー・ベネットが来日した時、Ralph Sharonのピアノを初めて生で聴いて、その素晴らしい歌伴に心をとかされる思いだった。

よく、有名な歌手のコンサートやライブで、2,3曲はインストの演奏を聞かせるのが普通だ。大方のお客様は、インストなんかやらないでいいから「早く歌ってくれ」と思いながら聴いていることが多い。

ところが、ラルフ・シャロンのトリオの場合は全く逆だった。トニー・ベネットはもちろん素晴らしいのだが、ラルフのピアノはトニー・ベネットの歌に勝るとも劣らずであった。その音楽性の高さと品の良さはJazz Pianistの中でも稀有の存在だった。

ラルフ・シャロンはロンドン生まれのイギリス人で1953年にアメリカに移住した。

1957年にトニー・ベネットと出会い、専属のピアニスト兼音楽監督となった。その頃のトニー・ベネットはPop Singerだった。ラルフはトニー・ベネットをJazz Singerにしてしまった。

2000年のサントリー・ホールでのコンサートが最後に聴いたラルフのピアノだった。その2年後、ロンドンにいる時、トニー・ベネットのコンサートがあったのでチケットを取って聴きに行った。このときにはラルフはもう一緒にツアーをしていなかった。何とも物足りない気分がしたものだった。65年から70年代に暫らく離れたことがあったが、その時期はトニー・ベネットの音楽はどん底の時代だった。79年以降はずっと一緒だった。

”I Left My Heart In San Francisco”をトニー・ベネットに歌わせたのはラルフだった。これがトニー・ベネットの初のグラミー賞となった。この歌はDouglass Cross & George Coryが1953年に書いた歌だが、その当時にマンハッタンでラルフは作者自身の手から譜面をもらった。最初は”When I Return to San Francisco”というタイトルだったが、気に入られなく”When I Come Home”と変えた。それでもラルフは気に入らず、3度目の正直で現在のタイトルになったのだという。


Douglass Cross & George Cory

1961年12月27日にサンフランシスコのFairmont Hotelのベネチアン・ルームでの出演のために、ラルフはトニーに新曲を歌わせたいと思っていたが、タイトルの「サンフランシスコ」が目に入り、何年も積んだままになっていた譜面をカバンに入れた。

レコーディングは1962年1月。2月2日にリリース。

作者の2人は、もともとはオペラ歌手Claramae Turner(回転木馬で有名)のために書いたのだが、クラシックの歌手なのでレコーディングはせず、自分のリサイタルのアンコールで歌ったのだそうだ。皆さん、「回転木馬」の”You'll Never Walk Alone”は聴き憶えがある歌かも知れません。スリー・グレイセスの1999年のコンサートでオージーサンズはグレイセスと混声合唱で歌いました。ミッコが心こめて歌っているのがよく分かりました。

トニー・ベネット画伯が描いたラルフの額を背に

 

”Autumn Leaves”の中で、トニーベネットの歌が一番気に入っている。それは、ラルフ・シャロン・トリオの伴奏、特に間奏が好きで自分でも真似してピアノを弾き、レコーディングをしたくらいである。このビデオはロンドンでのコンサートのものだが、日本でも同じメンバーでのコンサートを見に行ったのを思い出す。

ついに、ラルフ・シャロンも亡くなってしまった。この訃報を見て今夜はラルフのお通夜だ。(2015/4/5)

  


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