ジャズと小噺
Jazz and Topics

(46) 前田憲男のいない前田憲男コンサート

前田憲男(1934-2018)

2018年11月25日、前田憲男はこの世を去った。昭和9年大阪生まれの83歳だった。

前田さんとその仲間たち、先ず最初に上げなければならないのが「前田さんが、歌伴をするのが楽しいと言った唯一の歌手、ドリー・ベーカー」「ドリーのコンサートのバックを務めたWe 3の皆さん」

次に「トリプルピアノの羽田健太郎さん」「ウィンドブレーカーズの数原さん」・・・この2人はウィンドブレーカーの太鼓、石松 元の弟が経営する広島お好み焼き「凡」に通っていた。この店は、東京で一番美味しい。何年か前までは四谷三栄町にあった。

いつぞやのトリプルピアノの時、差し入れに「凡」のお好み焼きを私の車に積んで、サントリーホールのリハーサルの最中に届けたことがある。

奇しくも、2018年は羽田健太郎没後10年になる。 亡くなった当時、前田さんは実に寂しそうだった。毎年楽しみにして通ったトリプルピアノは、消滅した。

セイコーは前田さんのTV番組やコンサートのスポンサーとなって久しい。音楽好きの服部真二CEOは、私の一回り下で幼稚舎からの後輩で、歌仲間で特に親しい。

われわれのホームグランド、赤坂のリトル・マヌエラに前田さんを連れてきて2回、スペシャル・ライブを開催した。

10月初めに 急に体調を崩し入院をして、戻ることはなかった。  

  

そんな前田さんが、「前田憲男でございます」とメールをくれた。ベニー・グッドマン楽団のクロージング・テーマ、Gordon Jenkins作曲の”GOOD BYE”にまつわる疑問をわたしに尋ねてきたのである。日本人では誰も知らない話だった。大阪の方では「ゴードン・ジェンキンス問題」と言ってジャズ仲間では有名な疑問になっていたものだった。

私は原書の文献を調べ、ついに4年後に「ゴードン・ジェンキンス問題」を解決した。

こんな関係があって、前田さんとわかGは「メル友」になってしまったのです。

  

毎年、この時期に開催される前田憲男のコンサートには真ちゃんに頼んでチケットを送ってもらうことになっている。

前田さんの入院に伴い、10月5日のライブがキャンセルとなった。ところがこのコンサートはエキストラを迎えて、中止にはしないという知らせが来た。当初の予定では、前田憲男トリオとゲストに阿川泰子というキャスティングだった。

前田さんの代わりに、7人のミュージシャンを急遽集めての演奏となった。しかし、ウィンド・ブレーカーズの譜面がいくらでもある。何の苦労もない。おまけの初代のメンバーから稲垣次郎さん、原田忠幸さんに現在のメンバー西山健治さん。それに珍しく、大阪から平原まことさんらがいる。


次郎さん


まこと さん

たーちゃん

わが師匠、沢田靖司がデビューしたのは、稲垣次郎カルテットだった。70年頃のソウルメディアとの共演コロムビア・レコードが、CDに復刻されている。次郎さんとも昔話してきた。

平原さんとはこれまた奇縁がある。20年程前、わたしがこのジャズサイトを立ち上げた時、ご自分のサイト「The Healing Lab」と相互リンクをしようとメールが来た。まきみちるのリサイタルには、平原さんが呼ばれていた。楽屋まで行って初対面をしたのはいつのことだったか・・・10数年ぶりに再会した。また楽しからずや。

忠幸さんとは15年前におなじ舞台でバックをやってもらったことがある。最後の「ゲソの気まぐれコンサート」だった。豪勢なバンド:岸ミツアキ(Pf)/青島 信幸(Bs)/猪俣 猛(Dr)/細野 義彦(Gt)/五十嵐明要(Alt Sax)/原田 忠幸(Bari Sax)/北里 典彦(Tp) そしてゲスト:大橋 節夫/スリーグレイセス/OZ SONSです。

  

前田さんのいないコンサートに行ってよかった。お土産が用意されていた。前田さんが亡くなる前に描いた自画像のハガキだった。

前田さんのページ

  

会場には可愛い後輩の中川ヨウちゃんが来ていた。終わったら楽屋に行こうと言う。「平原さんは、久し振りだから・・」と楽屋に入って行った。

なんと、前田憲男の部屋が予定通り用意されたままになっている。

阿川泰子さんは昔、沢チンの所でジャズボーカルを勉強していたころがある。以前にも沢チンのライブで一緒になったことがあり、同じテーブルで話をした。会うのはそれ以来。初めて会ったのは20年以上前、夜更けの遊び場、六本木のDOMINANTに現れた時だった。わかGの歌を聴いて彼女は言った。「本格的ですねェ」と。


中川ヨウの自撮り


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