ジャズと歴史にまつわる話 History of Jazz |
映画「King of Jazz」 と Rhythm Boys と Bing Crosby |
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1929年に制作、1930年封切の映画に「King of Jazz」があります。主演はPaul Whitemanと彼の楽団です。内容は伝記とか物語ではなく、いわゆるレビュー映画です。この時代をご存知だと思いますが、アメリカを大恐慌が襲った頃です。 この映画はPaul Whitemanの名を知らしめましたが、ホワイトマンはシンフォニック・ジャズを1920年代に始めた先駆者であります。ホワイトマン楽団では、無名時代のビング・クロスビーが雇われます。 この映画の中では、The Rhythm Boys,というコーラスのトリオBing Crosby, Harry Barris, とAl Rinkerで”Mississippi Mud”を歌います。この曲を書いたのはHarry Barissで1927年です。90年近く前のアンサンブルとは思えません。ホントに素晴らしいです。 Harry Barrisって名前ご存知ですか?Barry Harrisなら知っているって?間違いじゃないんです。達者な人です。わたしは一発でやられました。あー・・・ |
このビデオは映画から取ったものです。オリジナルの譜面がありますが、このコーラスは此処だけのもので全く違います。そんなこと気が付くと言うのは変人なのでしょうかねェ。興味が湧いたら原譜を見てごらんなさい。 分かりました。 "Mississippi Mud"に"So the Bluebirds and the Blackbirds Got Together"をつなげたようです。 さて、Bing CrosbyはAl Rinkerとワシントン州東部スポーケンのGonzaga大学の学生時代からバンドを組み、デュエットを組んで歌っていたのですが、大学を首になりSpokaneからT型フォードを運転し、Al Rinkerの姉のMildred Baileyを頼ってロサンゼルスまで来ました。 2人で歌っているところをポール・ホワイトマンが聴いて、週150ドルで雇いました。 |
Paul Whiteman Family |
ところが、ホワイトマン楽団のファンにそっぽを向かれ、ちっとも喜ばれなかったのです。そこで、ホワイトマンはシンガー・ソングライターのハリー・バリスを加えたトリオで歌わせることにしました。1927年のことです。これがThe Rhythm Boysであります。
映画「King Of Jazz」の制作が始まったとき、クロスビーは大酒飲みで、度々飲酒運転で豚箱の中に。そのため何度も撮影に出て来られない。仕方なく、ホワイトマンはその筋に手を回してクロスビーを釈放させるように図ったが、手錠のままスタジオまで警官に連れられて来たということだ。そうしてこの映画が出来上がったが、1930年には、ホワイトマンは愛想を尽かして、クロスビー等を首にしてしまったのです。ですから、このグループの名前を知る者は余程のマニアでしょう。
その後、リズム・ボーイズはGus Arnheim楽団に雇われることになりますが、ここでクロスビーはソロ・シンガーとしてVictorからレコードを出し、ラジオで大人気のクルーナーとなりその名声を築くことになったのです。Harry Barrisの書いた”I Surrender Dear”を歌ったのです。1931年の話です。 (2017/2/5) |