ジャズと雑学 Jazz and Trivia |
(83) プロデューサー寺島忠男 | |
Tadao Terajima(1935- ) |
偉大なるプロデューサー、寺島忠男さんとは90年代半ばにマヌエラで、小島 恂(まこG)に紹介された。来日時は私に前もってメールを呉れるので、関係者に声をかけて集めておいたものだ。 しかし、寺島さんの名前を知ったのは、はるか以前のことだった。沢田靖司がニューヨークでレコーディングした1979年発売のLPがある。 |
メンバーは沢田靖司(vo)、Remo Palmier(gt)、Ron Carter(bs)、Hank Jones(pf)、Grady Tate(dr)である。沢チンは死ぬまで、このレコードを愛し続け、私は聴き続けたのである。実際、沢チンからもらったお宝LPなのです。このLPのプロデューサーがロサンゼルス在住の寺島さんだと話をしてくれた。 寺島さんは日大芸術学部学生時代にティーブ・釜萢の弟子で、ブルー・コーツの歌手として進駐軍将校クラブで歌い始めた。この時代に小島正雄さんと知り合っている。65年に渡米、66年に結婚しアメリカ永住を決めた。71年には、パシフィック・ミュージック・エンタープライズを設立、ジャンルを跨ぐ多くのアーティストを日本に送り込んだ。 最も大仕事だったのが1996年の「3大テノールのコンサート」を国立競技場での開催だった。実現するのに6年もかかったとのこと。
最後に、寺島さんに会ったのは2017年、真夏のマヌエラでのことだった。コロナ時代に入ってしまい、もう5年も会っていません。この写真は私が撮りました。
2019年、永年の日米文化交流促進の業績に対して、外務大臣表彰を受けました。伝達式はサンフランシスコの領事館で行われました。 ◆ ◆ ◆ もう一つの奇遇なこととは、サンフランシスコで50年活動していたピアニスト、長部正太は寺島さんの義弟だということ。正太さんと沢チンのとは古い古い繋がり、正太さんが帰国すると一緒にライブをやったものだった。たまたま、寺島さんも帰国中でコンサートの会場でばったり会ったこともある。
この日は、私が仕掛け人でマヌエラでライブを開催しました。 長部正太は近年、アメリカを引き払い東京に住んでいる。コロナ時代になって、ずっと会えなくなったままだ。 (2022/6/1) |
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