歌と歌手にまつわる話 Story of Songs and Singers |
(129) 長部 正太 This Is All I Ask |
Shota Osabe(1946- ) |
1968年に渡米してからサンフランシスコに住み着いてしまいました。長部正太は米国作詞・作曲家協会正会員(A.S.C.A.P.)、米国音楽家ユニオン会員(Local No. 6)というアメリカに登録されたミュージシャンです。 近年は年に2,3度は帰国してライブやコンサートなどに出演しています。2006年に30年ぶりに沢田靖司と初めて共演することになりました。長部正太の兄の寺島さんはロサンゼルスに本拠を置く音楽プロデューサーでした。 1978年だったか、沢田靖司がニューヨークでロン・カーター(bs)、ハンク・ウィリアムス(pf)、グラディ・テイト(Dr)、レモ・パルミエ(Gt)と「イマジネーション−沢田靖司イン・ニューヨーク」というほとんどデビュー・アルバムといっていいLPをレコーディングしてきたのですが、このレコードのプロデューサーは寺島さんです。 |
3大テノールのコンサートが国立競技場で行なわれたのを覚えていますか?これも寺島さんのプロデュースです。 そんな古い繋がりがあるのですが、私は2006年の沢田靖司と長部正太のスペシャル・コンサートで初めて長部正太のピアノを聴きました。それ以来、洒落たフレーズのとりこになりました。 スペシャル・コンサートの後で2人だけのライブを六本木ヒルズクラブStar Barで行ないました。 |
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さぞや気持ちがよかったことでしょう。 見ているだけで分かります。 その後も、来日のたびにライブをやるようになりました。時間の許す限り聴きに行きます。 一番直近の大きなライブは2010/11のJZ Bratでのライブです。すごいメンバーでした。⇒そのページ |
これが長部正太のお奨めCDです。ベースはレイ・ブラウン、ドラムスはハロルド・ジョーンズです。粋で大人好みのCDとなりました。ピアノが歌っています。それに収録されている曲がユニークです。レイ・ブラウンはこの年(2002)の7月にうたた寝している最中に亡くなってしまいました。このCDがレイ・ブラウンの最後のレコーディングです。⇒レイ・ブラウンのページ
1曲目には”This Is All I Ask”という曲が入っています。これは私が敬愛してやまないGordon Jenkinsの作詞・作曲になる歌で、20年来、時々思い出したように歌っています。⇒ゴードン・ジェンキンス |
(2010/12) ■ ■ ■ ■ ■ このページを書いてから5年目、2015年4月です。今年も長部正太は東京に帰ってきました。6日の赤坂のZIPANGUでのライブは賑やかでした。翌7日の火曜日に学生時代からのお友達とリトル・マヌエラにやって来ました。店からすぐに電話が入って駆けつけました。ZIPANGUのライブにもいらしていた皆さんです。その中に、学生時代からのバンド仲間の演奏が始まりました。実にいい雰囲気です。 正太さんが「何か歌え」と言います。そこで、 「”This Is All I Ask”を歌おう」 ついに長部正太の伴奏で歌いました。 ■ さて、今日は同じ週の土曜日、店にいた客は後輩のシゲヤスだけ、静かな日になりそうな雰囲気だったのですが、テーブルに「予約席」の札が出ています。 「誰が予約したの?」「松本さまです」「松本だれ?」「マツモトヨシコさまです」「わーっ!」 スリーピーの奥様です。7人ばかりのお仲間を連れてです。10数年前に犬丸一郎さんが松本英彦夫妻を連れて来店された時が初めてでしたが、その後、スリーピーが亡くなって何年かしてヨシコさん、前田憲男を連れて現れました。「皆さーん、前田さんに伴奏してもらいなさーい!」 本気にしたマヌエラの客は歌うのですよ。多分、前田憲男は「歌伴が好きでない」ことを素人の皆さんは知らないのです。でも、前田憲男もヨシコさんの言うことには逆らえません。私がお会いしたのはそれ以来です。「15年経ってもまだ寂しい」とおっしゃいます。それは本当のことでしょう。 ところがお連れさんたち、何だかカラオケ屋の雰囲気になって大変なことになりました。でも、中田はミセス松本に「日本語の歌は弾けません」と言えません。「当店は歌謡曲や演歌は伴奏できません」ということになっているのです。特別な貸切り日にしか使わない「歌謡曲のすべて」を台所の奥から持ってこさせてやっちゃったのですよ。シゲヤスは私の顔を見てニヤニヤしながら尻尾を巻いて逃げ帰りました。 そんなところに長部正太一行が入ってきました。渡りに船とはこのこと、早速、3人にバンドチェンジ。これで、カンフル注射を打ったがごとくマヌエラはジャズの店に戻りました。ミセス松本ご一行は静かに聴くしか、どうしようもありません。その中でもすべて訳が分かっている三原さんは「やれやれ」とホッとされていました。(2015/4/11)
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