歌をつくる人にまつわる話 Story of Songwriters |
(73) 元気な小林亜星さん |
前頁ではシンセサイザーの冨田 勲さんの死去を報じた。 亜星さんは高校から大学に続く合唱クラブの集まりで昔話になると「高校じゃなぁ、冨田 勲が一緒なんだぞぉ。おれはエッチ(H)組だったけどさぁ」と話す。口が悪いのは亜星さんの特許です。 図らずも、今日、17日の毎日新聞夕刊に亜星さんの取材記事が大きく出た。 冨田さん、亜星さんと高校からの同期生で外科医で作曲家、音楽三田会会長の小森昭宏さんが6月5日に亡くなったばかりで、同クラブのホームページに私が「訃報」を書いたばかり。おそらくは、毎日新聞による取材があってから今日掲載されるまでの間に、お2人が亡くなってしまったのだ。つまり、取材を受けた時はまだ訃報が亜星さんの耳に入っていない時だったのだろう。 冨田さんの「お別れ会」は6月15日に執り行われました。加藤タキさんから聞きました。 偶然とはいえ、こんなジャズサイトでお二人のページを続けて書くというのは、何の力が働いたのか不思議な縁だ。
16年前、ライト・ミュージックソ・サイエティのOB、佐々さんのバンドのライブにオージーサンズが呼ばれた。それはOZSONSの小島と佐々さんとは従兄弟だから何かあると呼ばれるのです。その時は、珍しく亜星さんがヴィブラフォンを叩いてくれた。終わっての一言が「歌いにくくてごめんナ」 毎日新聞のこういう音楽関係者の取材記事をよく川崎 浩が書いている。今回もかと思って確めたら庄司哲也と書いてある。いつも川崎が書くと、何かしらの嘘っぱちを見つけることが多い。今日は大丈夫かもね、亜星さん。(2016/6/17) |
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