ジャズと歴史にまつわる話

前野港造遺品のアルバムより

明治30年(1897年)生まれの前野港造は日本のジャズの誕生に携わった楽士である。大正の初めから北米航路の「船の楽団」に7年間参加したという。

セルマー製のサキソフォンをサンフランシスコで購入してきたのが、日本でのジャズ・サキソフォンの先駆けとなったのだそうだ。関東大震災までは東京でハタノ・オーケストラのメンバーとして演奏活動をしていたが、震災後は関西に戻った。

戦後、昭和38年に戦前・戦後のジャズ楽士たちの親睦会「日本楽友会」が結成された。その構成員の主だった人たちは皆、前野氏の薫陶を受けたジャズ・ミュージシャンだった。年1回の懇親会には岡山から前野氏を招待して開催されたのだという。

この写真は昭和47年5月、東京後楽園飯店での一枚である。


昭和47年5月7日に後楽園飯店での日本楽友会懇親会

左のお2人が前野氏御夫妻。皆さん、懐かしい顔が並んでいるのがわかると思います。淡谷のり子、笠置シズ子、水島早苗、清水君子、中川よう子、バッキー白片らの顔が見えます。

水島早苗はジャズ・ボーカルの草分け、マーサの先生。清水君子は東松二郎の奥さん、清水チョロさんのお母さんです。中川よう子はタップの中川三郎の奥さんでシャンソン歌手、3人とも溜池のダンスホール・フロリダで歌い始めたということです。

日本楽友会の懇親会は今も続いています。つい先週の日曜日、第55回懇親会が開催されました。(2018/6/19)

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