歌と歌手にまつわる話
Story of Songs and Singers

(221) 10ヶ月違いのRinker姉弟


Mildred Rinker Bailey
(1907.2.27-1951)


Al Rinker
(1907.12.20-1982)

ワシントン州タコマ生まれのMildred Rinker Baileyには10ヶ月違いの弟、Al Rinkerがいた。親に連れられ同州スポーケンSpokaneに引っ越した。同じ年に生まれた姉弟なんて初めて見た。なんて強い母親だったのだろう。

Mildredは10代の頃からシアトルに出て、Sheet Musicのデモンストレーターや無声映画のピアノ弾きを始めた。Ted Baileyと結婚し離婚するのだが、Rinkerという姓よりBaileyの方がアメリカ人らしいと言ってBaileyで通したのだそうだ。その後、いい仕事を求めてロサンゼルスに出る。

 
1925年にはハリウッドのクラブでPop、Jazz、ボードビルの混ざった歌唱で歌っていたという。エセル・ウォータース、ベッシ―・スミス、コニー・ボズウェルの影響を受けたと言われる。

Mildred Baileyは所謂スイング・バンドに先駆けて「スイングの女王(The Queen of Swing)」、「Rockin’Chair Lady」、「Mrs. Swing」などの愛称がある。言うまでもなく「King of Swing」はベニー・グッドマンです。1951年、ミルドレッドは44歳の若さで亡くなった。そのヒットソングをお聞かせしよう。

 

同じくタコマ出身のBing CrosbyがSpokaneのGonzaga大学の学生の頃、Mildredの弟、Al Rinkerとバンドを組み、Duoで歌っていた。その二人がミルドレッドを頼ってロサンゼルスまで、2000Kmの道のりをT型フォードを運転して行った。

1925年、Milderedはロスにやって来た二人に仕事の世話をした。二人の歌を聴いたのが当時の大御所、Paul Whitemanだった。1926年、ホワイトマンは二人を自分の楽団の歌手として雇った。ところが、その当時のホワイトマン楽団の贔屓たちは、興味を示さなかった。1927年、ホワイトマンは歌も書き、ピアノも弾き語りする器用なHarry Barris(1905-1962)という男を二人に加えトリオ・コーラス、The Rhythm Boysを結成した。

このような経緯からクロスビーは彼女をホワイトマンに紹介し、20年代終わりから30年代初めまでホワイトマン楽団で吹き込みをしている。


The Rhythm Boys
Bing Crosby, Harry Barris, Al Rinker

Rhythm Boysの話はこちらをご覧ください。⇒ King of JazzとRhythm Boys

(2017/2/7)


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