歌と歌手にまつわる話 Story of Songs and Singers |
(221) 10ヶ月違いのRinker姉弟??? |
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ワシントン州タコマ生まれのMildred Rinker Baileyには10ヶ月違いの弟、Al Rinkerがいた。親に連れられ同州スポーケンSpokaneに引っ越した。同じ年に生まれた姉弟なんて初めて見た。なんて強い母親だったのだろう。 Mildredは10代の頃からシアトルに出て、Sheet Musicのデモンストレーターや無声映画のピアノ弾きを始めた。Ted Baileyと結婚し離婚するのだが、Rinkerという姓よりBaileyの方がアメリカ人らしいと言ってBaileyで通したのだそうだ。その後、いい仕事を求めてロサンゼルスに出る。 |
Mildred Baileyは所謂スイング・バンドに先駆けて「スイングの女王(The Queen of Swing)」、「Rockin’Chair Lady」、「Mrs. Swing」などの愛称がある。言うまでもなく「King of Swing」はベニー・グッドマンです。1951年、ミルドレッドは44歳の若さで亡くなった。そのヒットソングをお聞かせしよう。
同じくタコマ出身のBing CrosbyがSpokaneのGonzaga大学の学生の頃、Mildredの弟、Al Rinkerとバンドを組み、Duoで歌っていた。その二人がミルドレッドを頼ってロサンゼルスまで、2000Kmの道のりをT型フォードを運転して行った。 1925年、Milderedはロスにやって来た二人に仕事の世話をした。二人の歌を聴いたのが当時の大御所、Paul Whitemanだった。1926年、ホワイトマンは二人を自分の楽団の歌手として雇った。ところが、その当時のホワイトマン楽団の贔屓たちは、興味を示さなかった。1927年、ホワイトマンは歌も書き、ピアノも弾き語りする器用なHarry Barris(1905-1962)という男を二人に加えトリオ・コーラス、The Rhythm Boysを結成した。 このような経緯からクロスビーは彼女をホワイトマンに紹介し、20年代終わりから30年代初めまでホワイトマン楽団で吹き込みをしている。
Rhythm Boysの話はこちらをご覧ください。⇒ King of JazzとRhythm Boys (2017/2/7) ところが、Mildred Baileyは1903年生まれだという資料が出て来た。でも、1907年生まれのデータが正しそうです。 (2019/3/7) |