ニューラテンクォーターといえば、70歳前後以上の方の中には、なつかしく思われる方も多いことでしょう。昭和30年代からホテルニュージャパンが火事で焼けるまで東京でのナイトクラブとしてハイソサイエティたちの社交場だったのです。
日本経済が高度成長を始めた頃のよき時代だったのです。
このミルスのショーは、そのラテンクォーターでのものです。
爵士樂堂はサンケイホールなどでの公演には必ず聴きに行きましたが、ナイトクラブに出入りする歳ではありませんでした。まだ学生でした。
だいぶ後になってからですが、爵士樂堂は一度だけ叔父につれてってもらったことがあるだけです。トリオ・ロス・パンチョスでした。
芦田さんのライブではトークも面白いのです。演奏もわかる人には嬉しいものです。いろいろな音色を吹き分けてくれます。注文すれば、コルトレーンの音だって聞かせてくれます。
日本のジャズも捨てたものではありません。戦前から素晴らしいプレーヤーが沢山いたのです。
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