ジャズと雑学

(43) 瀬川昌久「慶應ジャズ史」

瀬川昌久(1924-2021)

慶應義塾大学アートセンター油井正一アーカイヴ主催の公開研究会が開催されました。7月に続き秋の研究会となります。

今日、9月10日はジャズ評論家瀬川さんの出番です。ヨウちゃんから電話がありました。それで、アートセンターにメールをして、私のサイトでも宣伝をするため、下のチラシを送ってもらいました。今季は3人の評論家が登場します。

初めて慶應で話すので、ジャズのルーツ校としての慶應ジャズ史を話したい」とのご希望でした。
 


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Speaker:Masahisa Segawa and Moderater:Yo Nakagawa

2013秋の公開研究会のテーマは「ジャズ評論家の昭和史」、一番バッターは今年89歳になられた瀬川昌久さん。瀬川先生とは機会あるごとによくお会いし親しくさせてもらってきた。

今夜の話は、昭和初期からの日本人ジャズメンの話、それも慶應出身の人たちを中心に戦後まで話が続いた。最初の人物は菊池滋弥(溜池フロリダのバンドリーダー、pf)だった。幼稚舎出身のKOボーイだ。ジャズに詳しい人でも、今時は聞かない名前かもしれない。

最初のサウンドは「私の青空」からでした。鈴木啓次郎、中川三郎といったタップダンスの名手がいました。”Bye Bye Blues”のレコードにはタップの音が入っています。

長尾正士さん(2003年90歳で没)は大学生のビッグバンドを編成しました。フラタニティ・シンコペーターズといいます。このバンドが戦後、オルフェアンズさらにブルーコーツとなり、70年の歴史を守り続けています。スリーグレイセスの白鳥華子(ハンコ)は旧姓、長尾です。長尾さんの姪っ子です。長尾さんの長男、崇さんは慶應での2年先輩で仲良くしてもらったのですが、73歳という若さで急逝しました。

長尾さんのバンドでは慶應の学生が服部貞一(sax)、馬渡誠一(ts)、内藤美加人(tb)、平沢信一(gt)、牧田清志(ds)、渡辺忠恕(pf)らの名前はブルーコーツでも名高いので誰もが知る人達だろう。古い音源が瀬川さんのところにはコレクションされている。今夜はそんな珍しいサウンドを三田の教室で聴いてきた。

戦後になって、学徒出陣でばらばらになって楽人が復員し、スイング・オルフェアンズ、スイング・エスカイアーズ、スインギング・サーフライダースなどが、学生やOBが主体になって編成された。

今晩の聴講者の中に慶應ライトミュージック・ソサイエティの創始者、高浜さん(ts)にもお会いしました。高浜さんは慶應OB主体のスイング・エスカーアーズのメンバーでした。高浜さんは98年に長尾正士さんが再結成したオルフェアンズのメンバーなのですが、10年ほど前にオルフェアンズのディナーパーティにオージーサンズがゲストで歌ったことがあります。


OZ SONS and Orpheans, Tokyo Westin 2004

にこにこ微笑みながらオージーサンズを見守っている高浜さんが写っています。いやー、若々しいです。これは、わかGが”Paper Doll”をソロで歌っている写真です。このバンドのもう一人のテナーサックス、芦田ヤスシさんも一緒ですが、わたしがこの歌を歌うので嬉しくて、昔のミルスブラザースの伴奏をしている写真を持ってきてくれました。誰も”Paper Doll”なんて歌う日本人を見たことがありません。 ⇒ ミルスと芦田さんの古写真

古いところでは戦前・戦中にかけて高輪の自宅でハワイアンバンド(カルア・カマナイアス)の練習をやっていた朝吹英一(木琴)は戦後になって、サーフラーダースで戦中にも一緒だった朝比奈愛三らと活躍している。

馬渡誠一が本邦初のバップの編曲・演奏を始めたのだという。”Billie's Bounce”を聴いた。なるほどです。”Cool For May”なんて初めて聴いたのがいい感じだった。

現在も現役、万年青年の北村英治(cl)、幻の守安祥太郎の名アレンジ、若くして亡くなった三保敬太郎(pf)の話まで及びました。三保敬さんの編曲の”Lamona”には、80半ばで今も元気な河辺浩市(tb)も吹いていたのだという。

慶應義塾に新制高校が開設された1948年に現在の塾高に音楽愛好会を設立した世代の学年で、昨年1月に亡くなった作曲家、林 光さんの「ゴールドラッシュ」という合唱曲がありました。三保敬さんは生前中、慶應義塾楽友会の演奏会で伴奏者として出演してくれたことがありました。50年近く大昔のことです。

慶應ではありませんが、中野忠晴とコロンビア・リズム・ボーイズの話も飛び出し、昭和一桁時代の日本初のジャズコーラスの音も出てきました。中野さんの息子さんの忠彦さんを瀬川先生から紹介されたこともあるくらいで、ジャズコーラス狂いの私にはこのコーラスが面白くて仕方がありません。上野音楽学校出のクラシックの発声しか知らないカルテットがジャズコーラスに挑戦したのです。彼らにはクルーニング唱法を知る由もありません。戸惑いながら歌っています。

去年の5月だったか、古い日本ジャズメンの写真がひょんなことから戸棚にあるのを見つけた。これは、瀬川さんにと思い、「何にでも使ってください」と、9枚をプリントしてお送りした。思った通り喜んでもらえた。 ⇒ 1930年代日本の爵士楽士
 

 
帰りの三田通り、東京五輪開催決定を祝う

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のイルミネーションが東京タワーに輝いていた。片手運転で片手カメラでもちゃんと写る。人にはお勧めしませんが・・

講演後に「お宅までお送りしましょうか?」とお聞きすると「大丈夫、車で送ってもらえる。それより、次はジャズクルージングで会おう」と。

1999年、手作りで開催した第1回のRoppongi Jazz Cruisingは六本木のジャズのライブハウス6店による1週間のクルージングだった。前夜祭から後夜祭まで8日間続いた。今年は16回目、港区のお祭りとなり、Sound Cruising Minatoという。11月5日〜7日まで。(2013/9/10)

「ジャズに情熱をかけた男たち ブルーコーツの70年」

2013年に出されたCD、

瀬川昌久秘蔵コレクション「戦前モダン・ミュージック集Vol.1」コロンビア

のライナーノーツに、昭和初期のコロンビア・オーケストラの写真が6枚も使われて、Special Thanksに若山邦紘と印刷されている。ColumbiaのCDのライナーノーツに自分の名前が載っているのは不思議なもの。

瀬川さんからこのCDを頂きました。


幻の門を過ぎて次の信号手前


SUMMER 2013の研究会は7月に開催されました。 ⇒ その様子


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