ジャズと歴史にまつわる話 |
1930年代日本の爵士楽士 |
10何年か前のことだと思う。6歳のときからの親友、金子忠敬が「若山が持っているほうが役に立つ」と言って昭和一桁時代のわが国のジャズメンの写真のコピーを丸ごとくれた。 大事にしまってあったのだが、度重なる引越しで何処かに姿が見えなくなっていた。なんていうことは無い。大事なものがしまってあるキャビネットの中にちゃんとしまってあった。 貴重な資料をお目にかけよう。 |
Wakayama and Kaneko |
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谷口又士 東松二郎 松本 伸 橘川 正 田中和男 菊池滋弥 芦田 満 角田 孝 渡辺 良
■ ■ ■ ■ ■ 菊池滋弥とフロリダオールスターズ 昭和4年に赤坂溜池にフロリダ(FURORIDA)というダンスホールが出来た。同5年に菊池滋弥(pf)&ヒズ・カレッジアンスが演奏をした。生バンドが演奏することを売り物にしたという話だ。このフロリダは昭和7年8月に焼失したが、10月には再建され、菊池のバンドは、フロリダ・オールスターズ・バンドと呼ばれた。 菊池滋弥は慶應幼稚舎からの生粋のKOボーイで、父親が貴族院議員の菊池武徳で大正8年にアメリカに渡り、滋弥も2年間アメリカ暮らしをした。そこで、ジャズに触れて夢中になったのだという。
■ ■ ■ ■ ■ コロムビア・ジャズバンド この当時、コロムビアもビクターもテイチクもジャズのレコードを吹き込んだ。渡辺 良(bs)がリーダーとなったコロムビア・ジャズバンドは菊池のバンドと人気を二分したのだという。 しかし、そのメンバーを見てもらえば分かることだが、共通のミュージシャンが何人もいる。仲良くしてくれた芦田ヤスシさんのお父さんの芦田 満(As)も両バンドのメンバーである。
FURORIDAと書いてあるのが面白い。Floridaではないのだ。
森山良子の父、森山 久(1910-1990)はサンフランシスコ生まれの2世。 (2012/5) |