The Memories of
MASAO KOJIMA
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 おおば比呂志
 団 欒

13

 吉田 健一

14

 捧げる
  ■ 補 遺
 岩城宏之の履歴書
 
日経新聞03/10/28
 ブルーコーツの70年
 
2004/10/20出版
 

資料提供 小島 恂
Web制作 若山邦紘
上記HPには小島正雄さんにまつわる話があります。
       

 


Masao Kojima(1913-1968)

小島正雄さんと爵士樂堂との共通点は、なんていうとオコガマしい話ですが、2つあります。それはジャズとスキーをこよなく愛していることです。小島さんは54歳の若さでこの世を去ってしまいました。

ふしぎな縁で小島さんの息子と親友になり、いそがしい合間を縫ってジャズコーラスをやっているのです。

周知のとおり、ダークダックス、スリー・グレイセスなどポップスのコーラスを日本で大衆化したのは小島さんの戦前からのジャズコーラス好きの産物です。

つい最近、ダークダックスが事務所を整理していたら、1968年の「小島正雄追悼アルバム」が見つかり、それが小島家に戻って来たのです。小島家からダークが34年間借りて行ったままになっていたのです。

小島正雄さんのお名前が登場するインターネットのページが無いわけではありませんが、小島さんの人柄を語るサイトがなかなかありません。それが書けるような人たちは存命中であっても、パソコンなどに縁の無いお年寄りであったり、あるいは既にあちら側に行ってしまったのかと想像するのみです。

それぞれの分野で活躍し有名だった人たちを取り上げたページがどうも少ないのです。音楽でいえば、日本では「がきミュージック」とかいう言葉があるそうですが、人生の糧にならない「がきミュージック」のページはいくらでも出てきます。しかし、忘れてはいけない故人を思い出させるページの少ないことは世界一です。そこが日本人の底の浅いところといいたいわけです。

アメリカでは昔々に亡くなった人たちを、多くの人たちが愛し、永くトリビュートし、今も生きている現役かと錯覚するようなサイトが作成されています。 

幸い、わずかではありますが貴重な資料が手許にあります。

それは、小島さんを偲ぶ親しい友人、後輩、弟子たちの皆さんによる「追悼アルバム」であります。

それを、小島さんの面影を懐かしむ人たちや何も知らない若者たちにも、広く見られるようにしておこうと思うのは当然のことでしょう。

小島 恂(マコG)から借りてきたこの小冊子「The Memories of 小島正雄」、ダークの二の舞をして、どこかにしまいこむことのないようにしましょう。

 
2003.1 爵士樂堂主人 若山邦紘