ハノイ市の中心部に、ホアン・キエム(Hoan
Kiem)湖と言う湖が有ります。
過去に紅河が何度も氾濫を繰り返した際にできた湖の一つで、かつては紅河とも繋がっていて、"ho
Luc Thuy"(緑水湖)として知られていたそうです。そのあと湖は2つに分かれて、一つがホアンキエム湖となり、もう一つが
"ho Thuy Quan"(水軍湖)となりました。水軍湖には、かってはベトナム海軍の訓練場が置かれていたそうです。
<ホアンキエム湖>
湖の北岸の近くにある島には、18世紀に建てられた玉山祠
(Den Ngoc Son) と言うお寺が建っています。これは13世紀の元に対する戦いで活躍した陳興道、文昌帝 (Van Xuong
De Quan)や、1864年に寺の修理を担当した儒者者で作家の阮文超 (Nguyen Van Sieu) らを祀っているものです。島と岸の間には、赤く塗装された木製のフク橋(Cau
The Huc, 棲旭橋)が架けられていて、いつも多くの地元の人や観光客や、結婚式用の写真を撮るカップルで賑わっています。
<玉山祠入り口>
このホアンキエム湖と玉山祠には、ベトナム人なら誰でも知っているストーリーが有ります。
もともとベトナム中部タインホアのラムソン(藍山)の豪族であった黎利(れい
り、Le Loi(レ・ロイ、廟号レ・タイ・ト(Le Thai To、黎太祖=1385年- 1433年)は、1406年の明の永楽帝によるベトナム侵攻とその後の支配に抵抗。1416年、のち重臣となるグエン・チャイ()らとともに、ラムソンで挙兵に及び(藍山起義)、以後、10年に及ぶ明への抵抗運動を続け、明をベトナムから撤退させることに成功。1428年、正式に明から独立し、ドンドー(東都、現ハノイ)で帝位に就き、黎朝を創始しました。宰相グエン・チャイらの補佐のもと、国家制度の整備を行い、均田制・科挙制なども導入、諸法典の整備に取り組んだ、ベトナムの後黎朝大越国の初代皇帝です。(在位:
1428年 - 1433年)。
黎利が明と戦っていたある時、川で魚を採ろうとして網を入れると、一本の剣がかかります。これを川に投げ入れて、他の場所で網を入れると、又同じ剣がかかります。その前に野原で拾っていた剣の柄と合わせるとピタリと合ったので、「これは何かある!」と思ってこの剣によって明と戦い、明に勝利します。その後、黎利が船で湖を渡ろうとすると、金の大亀
(Kim Qui) が現れ、「その剣は竜王が授けたものであるから、返すように」と啓示するので、湖の中心近くにある小島で亀に剣を返すと、亀はそれをくわえて湖の底に潜って行ったという伝説です。これが、この湖が「還劍(剣をかえす)」(「かん・けん」=ベトナム語で「ホアン・キエム」)と呼ばれるようになった由来です。その伝説の小島には、亀の塔
(Thap Rua) が建てられています。
<かめ(鼈=スッポン)の剥製>
玉山祠は、この亀の塔とほぼ反対側の北岸の近くに有り、棲旭橋を渡って中へ入ると、大きな亀(シャンハイハナスッポン)の剥製(長さ210センチメートル、幅120センチメートル、体重250キログラム=1968年に発見された)が「この伝説の亀」として祀られています。
<棲旭橋>
ホアンキエム湖のすぐ北側には、ホー・チ・ミン元国家主席が1956年に子供達のために建てた、緑色の建物のタンロン水上人形劇場があり、日に何回か、このストーリーの「水上劇」を公演しています。
<人形劇場>
なお、このホアンキエム湖には、今でも大型の亀(スッポン)が生息している事が確認されていて、2016年1月19日にも、別の大亀(体長185cm、甲羅の幅100cm、体重169kg)の死骸が市民により発見され、多くの市民に守られる中、同湖の小島に建つゴックソン祠に運ばれました。
ホアンキエム湖の周りは、遊歩道で一周する事が出来、又、土・日には、近くの道路は交通が遮断されて「歩行者天国」となっていて、その一帯は市民の憩いの場となっています。子供たちがスクーターで遊び回ったり、時には若者が集団遊戯などのパフォーマンスをやっているのに出会う事もあります。
<歩行者天国でのパフォーマンス>
皆様も、この歩行者天国を散策し、あちこちにあるカフェでお休みになって、ゆっくりした時間をお楽しみになったらいかがでしょうか?
(2017/2/15)
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