12月の18日(金)と19日(土)の二晩、ハノイのオペラハウスで、本名 徹次の指揮、ヴェトナム国立シンフォニー・オーケストラの演奏で、ベートーヴェンの第九を唄いました。 「SUEの・・」の10回目の通信でご紹介したものです。
プログラムとステージの写真(最後列、左から6人目に居ます)を添付しますが、合唱は、ヴェトナム・オペラ・バレー合唱団、国立芸術教育大学合唱団、ハノイ・インターナショナル合唱団(ハノイ在住の西欧人中心の合唱団)、ハノイ・フロイデ合唱団(ハノイ在住の日本人の合唱団)で、S/A/T/B=33/35/27/24の、総勢119名の合唱でした。
(プログラム)
(ステージ)
兎に角、ヴェトナム人のメンバーは、@おしゃべりはするわ、A1-3楽章で座って待っている間に貧乏ゆすりはするわ、Bソプラノのソロを勝手にハミングするわ、C地声でがなりたてるわ、と、それはそれは大変でしたが、そんなことは客席からは分からないので、結果大きなトラブルもなく、無事に終わりました。
一番心配だったのは、「フーガで指揮を見ないで走りまくるのでは?」でしたが、本名の指揮がめちゃくちゃ早かったので、とても「それを超えて走る」事も無く、テンポがガタガタになったりせずに無事に終わりました。やれやれ。
所で、CD(コンパクト・ディスク)の規格は、フィリップスとソニーが共同で開発したものです。その時フィリップスは60分の録音時間を主張したのに対し、ソニーの大賀社長(彼は声楽家でもあるのですが)がカラヤンにお伺いを立てたところ、カラヤンが「第九が一枚に入ると良い」と言ったので、結局、一枚74分42秒の規格に決まりました。殆んどの「第九」の演奏は60分を越えて70分に近いのです。1951年のフルトヴェングラーによる、「バイロイトの第九」のライブ録音でも、74分32秒ですから、この規格(74分42秒)の選定は正しい選択と言えるでしょう。ちなみに、今回の本名による演奏は、62分でしたから、かなり早い演奏であったと言えるでしょう。だから、「合唱が走らなくて済んだ」のです。
なお、ご紹介した「フルトヴェングラーのバイロイトの第九」(=僕の最愛聴盤)は、「第二次大戦中にナチスに協力した」として、戦後世界の音楽界から完全に排斥されていたフルトヴェングラーが、復活して戦後初めて演奏した「第九」で、彼の溜まりに溜まったエネルギーがほとばしる凄まじい演奏です。シュヴァルツコップのソプラノも、それはそれは凄い。後にも先にもこの演奏を越えるものは無いのではないかと、僕は思います。
フルトヴェングラーと言うと、やはり戦後に初めてメニューインと演奏した「ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲」を想い出さなければなりません。メニューインはユダヤ人でしたから、フルトヴェングラーには恨みこそ有れ、とても一緒に演奏しようと思う相手ではなかったはずでしょうが、メニューインは、「フルトヴェングラーの才能を音楽会から消し去るのは、忍び得ない」と言って、自ら申し出て、この共演をしたそうです。メニューインも凄い!!
さて、演奏は、自分では大変満足できるものでしたし、聴きに来てくれた人たちからも後で絶賛の言葉を頂戴しました。最初の合唱が一段落した時に、思いもかけず客席から大変な拍手が沸き上がりましたから、(こんな経験は初めてでしたが)、良い演奏が出来たのではないかと、自画自賛しています。
高校一年で楽友会に入ってから55年経ちますが、これが「初めての第九」でした。
まあまあの出来が嬉しく、「やっぱり唄は止められない」と言う気持ちになりました。
(2015.12.22)
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