沈香、あるいは沈水香木と呼ばれる風変わりな木片があります。
インドシナ半島やインドネシアなどの東南アジアの熱帯性ジャングルに繁茂する、アキラリア科のジンコウ属(学名:アクイラリア・アガローチャ
Aquilaria agallocha)の植物は、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積します。
木質に沈着した重い樹脂成分のため通常の木材より重く、水に沈み、熱すると樹脂が揮発するために強い芳香を放つので、沈香と呼ばれますが、この植物は樹齢30年を越えないと樹脂の沈着が起こらず、100年以上の古木でなければ良質の沈香素材とならない。しかも単に沈着しただけではその玄妙な香りは生じず、枯死して後、泥沼地に埋没し、バクテリアによる分解・変成作用を受けて初めて芳醇なる香りを発するようになります。このような条件を満たす原木は、ジャングル全体においてもごくわずかで、沈香が採取できるのは、そうした原木のさらに1%に満たない部分でしか有りません。つまりはたいへんな貴重品なのです。
水に沈む沈香
沈香は香りの種類、産地などを手がかりとして、いくつかの種類に分類されますが、その中で特に質の良いものは伽羅と呼ばれ、非常に貴重なものとされています。その為、乱獲された事から、現在では、ワシントン条約の希少品目第二種に指定されて、許可がないと輸出入が出来ません。
伽羅と言うのは、サンスクリット語で黒の意。一説には香気のすぐれたものは黒色であるということからこの名がつけられたという事です。
沈香は、平安朝の昔から、貿易船や使節船によって日本にもたらされていて、伽羅木ともなれば、同じ重さの黄金と比べられるほど高価でした。(注: 沈香は、今でも店頭で1g当たり100円から4,000円)
日本書紀によれば、香木が日本に渡来したのは、今からおよそ1400年前の推古三年(595年)に淡路島に漂着した大きな木が始まりとされています。
当時の島の人間が知らずに薪として火の中に入れたところ、素晴らしい香りが立ち込めたので、あわてて火の中からその漂着した流木を取り出し、時の朝廷に献上したそ
うです。
その時、聖徳太子は、その流木を見て、『これは沈(沈香木)なり』と言ったそうで
、このとき既に香木の知識・情報があったと思われます。
日本にある伽羅の中でも、正倉院に保管されている香木『蘭奢待(らんじゃたい)』が有名で、織田信長・足利義政・明治天皇がこの蘭著待の一部を切り取ったとされ、紙を張ってそれぞれの切り取り跡がしめされています。特に信長は、東大寺の記録によれば1寸四方2個を切り取ったとされています。
蘭奢待
「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅名で東大寺正倉院に収蔵されています。長さ156cm、最大径43cm、重さ11.6kgという巨大な香木で、天下第一の名香と謳われています。
かつてベトナム中部のホイアン(Hoi An)が貿易港として栄えていた時代、これらの沈香や伽羅がここから輸出され、日本からも買いつけに来ていたほどでした。
また、珠江デルタの東莞周辺から集められた香木沈香は、今の香港に集められ、そこから中国本土へ向けて出荷されていました
文字通り「よい香りの港湾」という意味の「香港」の語源は、この歴史に基づいています。
因みに、私の有能な美人秘書の名前は、Ms.
Huong(フォン(グ)) で、ベトナム語の意味は「香」。これも香港の「香」と同じです。
古くからベトナムとの国交があった日本は、江戸時代、
徳川家康の時代でもベトナムとの貿易が行われており、 ベトナムの伽羅と日本の銅が交換されていたことから、ベトナムのお金の単位を銅と呼ぶようになったとの事です。ベトナムと日本は、古くからこのように香木がらみでもつながっていた訳です。
ハノイの街にも、香木や御線香を売るお店が有ります。
この店員が抱えているのは、一本$500.-と言っていましたから、このくらいなら買えそうですが、香木には「偽物が多い」という話も聞きますので、注意しなければなりません。
でも、ほんのかけらの端っこを燃やしてくれましたが、確かに極く極く上品なお線香の香りでした。
一本$500.-
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