ジャズと雑学

(35) 丸山繁雄は努力の人

丸山繁雄とは2002年の夏に御茶ノ水のNARUで出会い意気投合しました。それでLittle MANUELAに連れてきて、マヌエラの常連達に歌を聞かせました。それからの付き合いですが、2011年11月に日本大学から博士(芸術学)の学位を授与されました。

初めて会ったとき、いろんな話をしました。その中心話題はジャズのスイングの源は英語という言語の音声学的特徴から来るものだという話でした。丸山繁雄も私と同じことを考えていました。「一緒に論文でも書くか?」などと冗談半分にしゃべっていたのですが、それがこのたびの博士論文のテーマでした。学究肌の人間だとそのときから思っていたのですが、丸山博士になりました。おめでとう。(2012/3/24)

    

3月31日にお祝いの大パーティがあり招待されていたのですが、若山ゼミ卒業生家族との合宿で山形に出掛けていて出席できませんでした。前々からの予定でしたので仕方なく、「おめでとう」のお祝いを届けました。

後日、祝賀会で配布した記念のCDを送ってくれました。丸山繁雄が私のことを大事に思ってくれる気持ちがうれしい。(2012/5/21)

⇒ 丸山繁雄のページ

⇒ Jon Hendlicksのページ


本日は2018年2月3日、巷では「節分」とかいう。大豆をばらまく日だ。土曜日なのでマヌエラにいた。そこに電話がかかってきた。一番若い従弟のオペラの先生、甚目裕夫からだった。名古屋からの電話だ。

「荒木豊久関係のパーティで、珍しい人に会った。ちょっと代わる」

と言って、出てきた声が丸山繁雄だった。

丸山繁雄の前に裕夫が歌ったらしい。そこで丸山が歌い終わった後に、

「わたし・・若山の・・・」

「えー!」

になったのだと言う。この世は、どこで誰に出会うかわからないのだ。


丸山繁雄と甚目裕夫

(2018/2/3)


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