ジャズと雑学

(13) クルーニング唱法

名古屋方面で活躍している弾き語りの菅沼直という人柄のよい歌手がおります。彼が東京に出てきて偶然に出会ったのですが、東京に進出したいといっています。

その彼から「クルーナー唱法」って何です?という質問がE-Mailで入りました。

「クルーニング唱法」っていうのが音楽事典にあります。綴りは"crooning"です。ささやくとか低い声でぶつぶつとしゃべるという意味です。"Birth Of The Blues"の歌詞の中にも出てきます。

音楽事典には1920年代からポピュラー音楽で始まった唱法とあります。つまり、マイクロホンが出来て、ささやくような声で唄っても聞こえるようになったのです。拡声器というものを歌で使うようになったのです。

先駆者として"Whispering" Jack Smith(1896-1950)や"Little" Jack Little(1899-1956)らがおりますが、ビング・クロスビーも"crooner"と呼ばれたのです。この話を仲良しのジャズ歌手、峰純子に話したら、

「そう、クルーナーはどこにも声を当てないように発声するの」

だと言いました。これは音楽的に極めて的確な表現だと思いました。事典にも書いてありません。彼女はさすがにベテラン歌手なのです。技術と知識の両方を持ちあわせたジャズ歌手なのです。



Junko Mine


峰さんは静かにソフトに唄う歌手です。それでいてボリューム感があるのです。ある年齢に達した女性にしかない落ち着いた魅力をもった歌手です。素人には難しいブレスが安定していて、聴いていてとても自然です。

その彼女にも欠点があります。たまたま、われわれの仲間だけしかお店にいない時間帯(まだ早い時間ということ)に、ソファにどっかりと座り込んで独り言をいいます。「まだ、お客さん来ないから・・・」と。客と話しながらですよ。そういうところがいいんですよ、彼女は。

私は客ではなさそうです。


この話は、先ずはクラシック系の発声法を知らない人には通じません。説明しましょう。

一番の大元はイタリアのオペラ等の発声はベルカント唱法といいます。先ず、クラシックではマイクを使いません。ホールの隅まで声を届けるには、口の中の軟口蓋を持ち上げて、声を喉の上の部分に当てるのですが、こうすると声が頭のてっぺんあるいは後頭部あたりから声が飛び出していきます。つまり、頭蓋骨に響くんですね。こうすると遠くまで声が届きます。ソプラノがピアニッシモで唄っても、バスがEやDといった低い声でも、彼らは遠くまで声を送らなくてはならないのです。

クラシック系の合唱団では通常マイクは使いません。だから、「当てる発声」法で歌います。

マイクがない頃のブルース歌手やジャズ歌手は、皆、クラシックと同様の発声法で歌いました。

しかし、マイクを使って唄うときは、マイクのあたりに声を響かせることが必要になります。頭に当てずに前歯の裏に当てるようにすると、顔の前、つまりマイクの所で声が響きます。でっかい声でがならなくともボリューム感があるのです。「声を呑まないで」という表現もあります。何処にも当てずに前に出すのです。

これを「クルーニング唱法」と呼びます。そういう発声法で歌う歌手を「クルーナー」といいます。ビング・クロスビーはクルーナーです。当てない発声はソフトに聞こえます。ベルカントと比べると「囁くように」聞こえたのでしょう。それで、「Croon」という言葉が用いられたのです。

声にいい「響き」があるとボリューム感が増します。響きとは口腔で出した声が副鼻腔から頭蓋骨にかけての共鳴によって生まれるものです。ベストな共鳴状態をイタリアでは「Timbro di voce」といいます。イタリア人には、Timbroを持っている人が多いと言います。日本では500人に1人位しかいないのです。

わたしは、かつて二期会のバリトン歌手から「Timbroだ!」と言われました。どうやら、これは先天的なものらしいです。

私が大好きだった峰 純子は、クルーナーで且つTimbroをもつ歌手でした。


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