岸 英三の足跡 |
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岸 英三師匠は2022年1月9日に老衰で亡くなりました。 享年、数え年100歳(満99歳7ヶ月)でした。 葬儀は時節柄延期、2022年4月に金山にて行う予定との知らせです。
葬 儀 令和4年4月17日 新庄 玉泉院
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古い話ですが、昭和36年(1961)から37年にかけてのシーズンのことです。 オーストリーからフランツ・デルブルというスキー教師がNHKと朝日新聞社の招聘により2人の若いスキー教師を伴って日本にやって来たのです。 1956年、トニー・ザイラーがコルチナ・ダンペッツォでの冬季オリンピック・アルペン競技の三冠王となり、猪谷千春が回転競技で日本人初の銀メダルが引き金となり、第1期スキーブームが到来していた頃のことです。 彼らは12月から3月までのシーズンの間、日本にとどまり、八方・志賀・蔵王で「オーストリー・スキー教室」を開きました。 日本人が助手として何人か協力したのですが、その中にオリンピック選手で、後にオーストリー国家検定スキー教師となった長野の杉山 進もおりました。 わたしは30枚出した申し込みはがきが運良く抽選に当たり、蔵王会場の講習会に出掛けました。 |
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その時、毎日のようにわれわれの練習姿を見に来る1人のおじさんがいました。滅茶苦茶にスキーが上手なおじさんです。 そのおじさんは山形の山林王といわれた岸 三郎兵衛氏の三男、岸 英三というスキーの名手でした。昔はジャンプの国体選手だったのです。 太平洋戦争中、岸 英三は北海道大学の学生で学徒出陣し、海軍254戦闘機隊に所属していたのです。ゼロ式戦闘機に乗っていたのです。最後はベトナムに近い海南島の特攻隊におりました。そこで多くの戦友を失っています。兵隊の位は大日本帝国海軍中尉でした。 |
講習会の最後の日に、おじさんは私のところにやって来て、 「お前は眼の光がいいから、俺の友達にしてやる」 と言いわたしの手を握りました。 変わったことを言う人です。驚きましたヨ。 地元の人におじさんのことを聞いていましたので、何のためらいもなく友達にしてもらいました。それからというもの、毎シーズン蔵王通いが始まりました。半世紀にわたる付き合いです。
おじさん、いや、おやじは昭和38年に、かの有名な「オーストリー・スキー教程」を著したシュテファン・クルッケンハウザー教授の来日に際し、チーフ・アシスタントをつとめ、翌年、クルッケンハウザー教授のもとにスキー留学をいたしました。そして、日本でのスキー・デモンストレーター第1号なのです。 ちなみに本書の訳者は、法政大学教授の福岡孝行でした。スキーのバイブルでした。 |
クルッケンハウザー教授はおやじのことを「わが友、わが息子」と呼びました。 おやじの夢は、スキー教師とスキーヤーが一緒に寝泊りできるロッジを持ち、スキー・スクールを開くことでした。 親父はまずインストラクターとなるべき弟子たちを育てなければなりません。 そして昭和40年、蔵王パラダイス・ロッジに部屋を借りて”Zao Ski School”を創立しました。昭和42年には上の台ゲレンデに面した小さなロッヂを買い取り、そこにスクールを移し、現在の”Zao Heim Ski School”と改名しました。 |
岸 英三(2002年3月 79歳9ヶ月) |
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現在の蔵王ハイム・スキースクール | |
現在では、おやじの長男、岸 宏が蔵王ハイムスキースクールの校長を務めております。おやじは会長をしています。 日本体育大学を卒業後、オーストリー国立スキー学校に留学し、オーストリー国家検定スキー教師となり、その後もオーストリーの国立スキー学校のスキー教師として計6年間オーストリーに滞在しました。 |
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2代目校長 岸 宏(1953- ) |
最近では日本スキー連盟の基礎スキーの指導者として活躍しています。 ものごとの解釈の仕方が親父に似て大変ユニークで説得力があります。こんなスキー教師に一度コーチしてもらえば、あなたはスキーの何たるかがわかることになります。 どうぞ、蔵王上の台ゲレンデ、蔵王ハイムスキースクールの門を叩いてスキーの真髄を味わってください。 もちろん、ロッヂ蔵王スキースクールにお泊まりください。 |
小さなお子様にスキーをさせてみたい方はいらっしゃいませんか? 当スキースクールでは「子供スキー教室」を暮正月、春休みに開いています。合宿形式で小学生以上の子供を預かってくれ楽しくスキーを教えてくれます。小さな子供たちが蔵王の山頂から温泉まで滑って降りてくるのですよ。生活上の面倒もすべてみてくれますから躾にもなります。わたしの2人の娘は、こうしてスキーが一人前になりました。おまけに山形弁までおぼえました。「んだ!」 |
蔵王ハイムスキースクール・ロッヂ蔵王スキースクール e-mail : zaoheim[at]circus.ocn.ne.jp 案内地図 pdf Ski netのスクール案内 ■ 昭和53年に若山ゼミの冬合宿を蔵王でやることになりました。それ以来蔵王での合宿が恒例となりました。昭和56年からは夏の合宿も蔵王でやることになりました。それまでは、スキーシーズンしかオープンしていなかったのです。 |
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ハイム関係者の溜まり場でしたが、ビル取り壊しで2008年4月に閉店しました。 現在はまっこは元気にしています。⇒マッコのサイト(マゴスプランニング) ■■■■■■■ 美奈子の便り
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胸に付けているバッジが見えますか? 私が大昔に「バッジテストを受けようか」と言ったことがあります。当時の岸 英三校長は「そんなもの必要ない。お前にはもっと大きいバッジをやる」と言ってくれたのがスクールのバッジでした。したがって、私は1級のバッジも持っていません。 スクール開校当時、何種類かのバッジが作られていました。校長のバッジは「PRESIDENT」、インストラクター用は「INSTRUCTOR」、私にくれたバッジは「DIRECTOR」でした。こんなスクールのバッジを持っているのは私だけでした。岸 英三がどれだけ私を大事にしてくれたかを物語るバッジです。 |
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ビデオを撮っているとは露知らず、誰もいない三郎ゲレンデを滑っています。 撮影は山羽敦弓(97年卒) ■■■■■■■ |
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