SUEのエッセー

ああ‥また腹が立ってきた


カッパさん、
このごろの「自民党の超右傾化」にアッタマに来てる延長で、一寸書きたくなった。

−−− 「島 唄」−−−−−−−−−−−−−−−

1993年6月21日、THE BOOMの「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が全国発売となり、150万枚以上を売り上げる大ヒット!その年の大晦日の紅白歌合戦に出場、「レコード大賞」でも「ベストソング賞」を受賞した。そんな大ヒット曲の「島唄」だが、その歌詞には哀しい想いを込めた意味があった。

2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、「島唄」の創作秘話が語られている。  

−−−「宮沢和史」−−−−−−−−−−−−−−−

(宮沢和史の旅する音楽:その1)

たった一人のために「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼく(宮沢)は、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手

−−−「戦犯と東京裁判」−−−−−−−−−−−−−−−

沖縄は、ひどい話だ。

軍隊は、国民を守るはずじゃあなかったのか。情けない連中だ。

東京裁判って、戦勝国が敗戦国を裁いたのだが、これもおかしな話だ。

本当は、日本国民が、戦犯を裁いて、絞首刑にするべきだった。

だって、あんな無謀な戦争を始めて、200万人も「自国民を」殺し、何の関係もない他国民もたーくさん殺したのだから。

それに、本当は、東京裁判では日本国民がアメリカを裁いても良いはずだった。

だって、空襲とか原爆とかで、非戦闘員の人間を何十万人だか何百万人だか殺してるんだから。

アメリカ国民は全員バカだから、「原爆投下は正当だった」と思いこんでいるし。

「安倍は危ない」って俺はずっと言っていたのに、バカな国民は自民を選んじまった。国民も情けない。

公明党は、「政権に入りたくて」、国民を裏切って自民に擦り寄りやがった。

民主党も社民党も情けないし、ちゃんとしてるのは、悔しい事だが、もう共産党だけだ。

−−−「ナチスとアイヒマン裁判」−−−−−−−−−

東京裁判は日本人が裁くべきだったが、ハイデガーの愛弟子だった哲学者のハンナ・アレント(ドイツ出身のユダヤ人哲学者)が、アイヒマン裁判について同じような台詞を言っている。彼女は、「アイヒマン裁判」はこうした教訓を伝えることでシオニズムのイデオロギーを語る舞台としてのショーの役割をになわされた。本当は「イスラエルでなくドイツが裁かなければならなかったのに、イスラエルに盗まれた」と批判した。

ただこんな事を言ったおかげで、ハンナ・アレントは、ユダヤ人からもドイツ人からも批判と攻撃を受け、アメリカへ逃げる事となった。

−−−「草 枕」−−−−−−−−−−−−−−−−−−

いつの世も、「大衆に迎合しないと、住みにくい」。

夏目漱石が「草枕」で、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と言っているのは、まさにその通りだ。

また、腹が立ってきた。 (2015/7/6・末続)