SUEのエッセー

ハノイの街角より

2XXXドン札


日銀が公開した2013年度の日本銀行円発注計画で、二千円札の製造量がゼロになり、2004年度から連続で製造が見送られた形となりました。

「2で始まるお札になじみが薄いことが理由かもしれません」と話してくれた人が居ますが、日本にも昔は二百円札などがあったのです。ただ、二千円札が出るまで50年以上、日本では2のつくお札が造られていませんでした。

そもそも二千円札は、2000年7月の九州・沖縄サミットをきっかけに発行されましたが、2003年度(平成15年度)以降は製造されておらず、2010年(平成22年)からは、大量の二千円紙幣が日銀の金庫に保管されたままの状態になっています。

日本では、過去の2銭、20銭、2円、20円、200円の硬貨や紙幣は現在では全て通用停止になっているのです。

ただ海外に目を転じますと、ほとんどの欧米主要国では「2のつくお金」が発行され、よく流通しています。例えば、米国20ドル紙幣、英国20ポンド紙幣、フランス 200フラン紙幣は、各国の銀行券流通高の約2〜3割を占めています。これらは、日本円で2,000〜3,000円に相当する紙幣です。米国の場合は、「なるべく高額の紙幣を持ち歩きたくない」と言う事もあるのでしょう。偽札も多いので、ホテルやお店で、100ドル札での支払いを断られることも良くありますね。

さて、1gから9gまでの重さを量るのに必要な分銅は、
「1」 と「5」だけの組み合わせの場合は最大5個となりますが、
「1」「2」「5」の組み合わせの場合は、全て1〜3個で済みます。
つまりは2xxxのお札や分銅が有れば、組み合わせの個数を少なくすることが出来るわけです。

例えば、ハノイで買い物をして、例えば175,000.-ドン(≒850円)を払おうとすると、我々は、
100,000ドン札1枚+
50,000ドン札1枚 +
10,000ドン札2枚 +
5,000ドン札1枚
(の計5枚)で払おうとしますが、キャッシャーの女の子(普通の女の子です)は僕の財布を覗いて、(驚くほど瞬間的に)、
200,000ドン札1枚 +
20,000ドン札1枚+
5,000ドン札1枚(の3枚)を取って、
50,000ドン札(1枚)のお釣りをくれます。

このように、2xxxと言う紙幣は、慣れれば非常に使いやすいのですが、どうも我々にはなじみが有りませんね。

もしかすると、ベトナムの人たちが「数字に強い」のは、この2XXXの紙幣のせいかも知れません。確かに、2,000ドン、20,000ドン、200,000ドン、などの紙幣はとても使いやすいのです。

ハノイのレストランやスーパーマーケットでは、キャッシャーの女の子やレストランのウェイトレスが、まっこと「勘定に強い」事に驚かされます。  

ある時、10人くらいでカフェに入って、皆勝手に好きなものを頼みました。 普通レストランでの支払はテーブルでしますので、各自がそれぞれに手持ちの紙幣で支払いました。 メモを取っている訳でもないので、「ちゃんとお釣り持ってくるかしらねえ?」と皆心配でしたが、それこそ一銭の間違いもなく、正確に全員のお釣りを持ってきたので、「凄いわねえ」と驚いたものです。 今までにも、「お釣りを間違えられた」と言う経験は、ハノイではまず有りませんから。

今巷に流通しているのは、普通1,000ドン(¥4から¥5)までで、それ以下のお札(500ドンや200ドン)は殆ど見かけませんし、レストランなどでは、1,000ドン未満のお釣りは(紙幣が無いので、)まず戻ってこない(結果的には、数円のチップになる)、と、思った方が良いのです。

8年前に同じハノイに駐在していた時は、500ドンや200ドンの「紙幣」、100ドンや200ドンや500ドンの「貨幣」が流通していましたし、それ以下のおつりには、代りに「飴玉」を一個くれたものでしたが、この頃はそれも無くなりました。 要はベトナムでのインフレがそれだけ進んでいる、という事なのでしょう。

ベトナムのお札を並べてみました(どれにもホー・チ・ミンの肖像が印刷されています)。 最大の額面は、500,000ドン=約2,500円です。 (10万ドンが、約500円)

どれもデザインは同じ(=ホー・チ・ミンの肖像)で、色が違うだけです。(小額紙幣は、大きさがほんの少し小さくなっています。)

なお、ドンは日本では円やドルに換金できませんので、ベトナムを出国する際には、全額をドルか円に換金しておかないと、残ったドンは日本では「紙屑」にしかなりません。

ご注意!ご注意。

(2017/12/6)


カッパさん、
12月になったけど、「ベトナム美人百花 61-80」がまだ揃わないので、ちょっと短いけど「47. ハノイの街角より 2XXXドン札」を書いて見ました。

今年はこれでおしまいかな?

末よ
同じ学科の古林教授は、20年間、国立大学にいて恩給の資格を確保するや、「若山さんのところに行く」と履歴書を送ってきた東大計数工学出身でマスターの時からの友達だが、2,000円札が好きだった。何とか普及させようとしていたが、回りは無関心者ばかりだった。彼にはベトナムの血が流れていたのか・・・
かっぱ