ベトナムでは今頃になると、通りのあちこちに写真のようなテントが張られ、「中秋の名月」(今年は9/27)に向けて、街中で月餅が売られる風景が見られます。
で、今回はその「月餅」のお話をインターネットからコピペしながらご報告します。
月餅とは
月餅(げっぺい、Mooncake、中国語:
月餅: yue bing、ユエピン)は、中国の菓子の一種です。月に見立てた丸く、平たい形は共通ですが、中国各地で大きさ・材料・中に詰める餡(あん)などには違いがあり、いわれについても諸説があるようです。
最も有名な物は「広式」と呼ばれる広東省のスタイルで、柔らかめの餡や皮を用い、茹でたアヒルの卵を塩水に漬け、その黄身を入れたものに人気があります。小豆餡の他、ハスの実の餡やナツメ餡なども一般的です。一方、北京など北方の物は一般的に水分が少なめの餡を使い、クルミや松の実などのナッツを入れたものが多く、一般的には砂糖を多く含み、ラードなどの油脂分も含むために、見た目以上にカロリーが高い菓子です。
水分が少ない分、保存性は比較的高いですが、これは元々大きなサイズのものを少しずつ切り取りながら食べていた為で、最近では小型なものが一般的になり、また香港では、アイス月餅など、新しく作られたバリエーションも豊富です。
月餅の起源
古代の月餅はお供え物として中秋節に食べられていましたが、時の移り変わりとともに、月餅は中秋節の贈り物に用いられる食品へと変わっていきました。中秋節に月餅を食べる習俗は唐代に出現したようです。
『洛中見聞』によれば、唐の僖宗は中秋節に御膳房に命じて、新科の進士に紅綾で飾った餅を賜ったといいます。北宋の時には、このような餅は「宮餅」とよばれ、宮廷?で流行しましたが、やがて民間にもつたわり、当時は「小餅」や「月團」と俗称されました。北宋の詩人蘇軾は「小餅如嚼月,中有酥和飴」と書き残しています。この中の「小餅」はつまり月餅でしょう。「月餅」という言葉は最初に南宋の呉自牧の『夢梁録』に現れたようで、当時の月餅は菱葩餅のような形をした食べ物で、後に円形を形どり、団円を寓意するようになりました。
明代の田汝成の『西湖遊覧記』に"八月十五謂之中秋、民間以月餅相饋、取團圓之意。"との記述があります。ここから月餅が当時民間で流行していたことが分かります。清代にはすでに月餅の作り方を詳細に述べた書籍があり、清の楊光輔は「月餅飽裝桃肉餡,雪?甜砌蔗糖霜」と書いています。
伝説によれば、元代の漢人はモンゴル人の支配下で苦しんでいました。朱元璋は反元の旗を掲げましたが、元軍の監視が厳しく反乱軍は連絡を取り合うことができませんでした。そこで劉伯温の献策により、中秋節に、中に「八月十五殺韃子(八月十五日にモンゴル人を殺せ)」と書いた紙の入ったを贈り合い、反乱の合図としたとのことです。
別の伝説によれば、清代の台湾で反清運動をするときも、月餅に紙を入れて反清復明の合図としたとのことです。
贈答品としての月餅
旧暦の 8月15日の中秋節の時、家族や親しい友人が集まり、月を愛(め)でてこの菓子を食べる風習があります。現在は、中秋節が近づく頃、親しい人やお世話になっている人にこれを贈ることが盛んです。特定の店で使える月餅専用の商品券で贈る場合もあるようです。数を多く贈ると結構な出費となるので、香港では毎月積み立てをして商品券を受け取れる様にする制度もあったとの事です。やれやれ、どこでも大変ですね。
現在では金箔を貼ったり、素材に凝った豪華な物が出てきている他、箱に時計や洋酒といった高価な商品を詰め合わせて売る商法もあり、賄賂問題となる例もあるようです。そのため、中国政府は
2005年以後、月餅の包装や詰め合わせものの価値が、月餅そのもののコストの20%を超えてはならないという法律を制定しました。こんな事を決めなくてはならないとは、おかしな国ですね。
中秋節のあとの月餅
中国では月餅は行事食であるため、中秋節を過ぎると人気を失い、中秋節が終わると、市場の月餅は低価格で投げ売りされます。月餅の消費期限は最長でも30日ですので、中秋節のあと、多くのメーカーは月餅を回収し廃棄して、餡の古い月餅が出るのを避け、ブランドの品質を保証するようにしています。
香港では家に溜まった月餅を処理するため、月餅の餡を取り出して湯圓(湯に浮いた餡入り団子)にするなどの、さまざまな方法が考えられているそうで、毎年香港政府は、市民に月餅を食べ過ぎて大量の糖分を吸収し、健康を害しないよう注意するよう呼びかけているそうです。ヤレヤレこれも大変。また、糖尿病患者向けの低カロリー月餅を生産するメーカーもあったり、また、近年では毎年香港で環境保護団体が資源の浪費を防止するため、中秋節に月餅缶回收活動を行ったりしています。
台湾では、月餅は中秋節だけの食品ではなく、蛋黄酥のような各種の台湾式月餅は、普通の菓子のように中秋節でなくても買うことが出来ます。
2001年9月3日中国中央電視台は、南京の食品メーカー・食品有限公司が売れ残った月餅を回収して翌年に餡を使いまわしていたことを報道しました。またこの会社の責任者は全国の月餅メーカーも同じことをしていると発言し、大騒ぎになりました。この「陳餡月餅(古い餡の月餅)」事件により、大陸の月餅の売れ行きは一定の影響を受けたのだそうです。中国ではマクドナルドに限らず、こんな事はよくありそうですねえ。
月餅の伝説
月の影の模様が兎に見えることから、「月には兎がいる」というのは昔から語られている伝承ですが、これにまつわる話として、以下の有名な伝説が語られています。
猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。
この伝説は、仏教説話『ジャータカ』を発端とし、『今昔物語集』などを始めとして多く語られていますが、僕は個人的には、この話はあまり好きではありません。だって、兎はただ猿と狐とに「張りあった」だけでしょう? こんな話を「美談」にするのは、いかがなものか、と思うのですが。
また、月には本来ヒキガエルが棲むとされ、その「ヒキガエル」が転じて「兎」になったのではないか、という説もあるそうです。ヒキガエルを意味する「顧菟」の「菟」の字が「兎」と誤認識されてそのまま定着したという話です。
なお、兎の横に見える影は臼で、中国では不老不死の薬の材料を手杵で打って粉にしているとされ、日本では餅をついている姿とされています。
なお、ベトナムでは、ウサギではなく、その代りに老人(仙人)が臼をついていると思われているらしいです。
余計なお話
昔、シンガポールに出張していた時、「ミスター・スエツグ、貴方は運が良い。何故なら、今だけが、一年中でこのお菓子が食べられる時なのです。」と言われた事が有ります。「ヘエー、日本では月餅は一年中食べられるけどなあ」と言ったら、「それはおかしい!!」と、本気で怒っていた。
前述したように、シンガポールでもベトナムでも、アヒルの卵の黄身を入れたリッチなものが多く、僕のような「甘いもの好き」でも、とても一つ丸々は食べられません。
(2015/8/27 末続 靖)
|