SUEのエッセー
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熊谷守一(1880-1977)という、明治・大正・昭和の時代を生きた画家がいます。今年は彼の没後42年です。その生誕140周年を記念して、2020年と2021年に、全国数か所にて展覧会が開かれます。で、それに関連して、熊谷を紹介するこの本(画集も含む)が発刊されました。楽友会12期の福井淳子さんはこの熊谷の研究者の一人で、今回も執筆を担当されましたので、ここにこの本をご紹介いたします。 熊谷は、日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられていますが、作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近しました。 1897年、17歳で上京し、芝公園内にある私立校正則尋常中学に転校しますが、絵描きになりたいことを父に告げたところ、「慶応義塾に一学期真面目に通ったら、好きなことをしてもよい」と言われたため、1897年(明治30年)に慶應義塾普通科に編入し、一学期間だけ通って中退します。 自らチェロやヴァイオリンや三味線を奏でる音楽愛好家でもあり、作曲家の信時潔(塾歌の作曲者)とは30代からの友人で、後に信時の娘と熊谷の息子が結婚するほど親しい間柄でした。さて熊谷守一の最初の個展は、意外にも墨絵(日本画(毛筆画))でした。 写実画から出発し、表現主義的な画風を挟み、やがて洋画の世界で「モリカズ様式ともいわれる独特な様式-極端なまでに単純化された形、それらを囲む輪郭線、平面的な画面の構成をもった抽象度の高い具象画スタイル-を確立し、面と線だけで構成された独特な画風による作品は、現在も高い評価を得ています。 「モリカズ様式」とされる下絵デッサン(線)が塗り残された作品で、山々や海・風景が描かれたものについては、若い頃のスケッチブックを広げて油絵にしていました。自然や裸婦、身近な小動物や花など生命のあるものを描いた画家で、洋画だけでなく日本画も好んで描き、書・墨絵も多数残しています。大原美術館に所蔵されている「陽ノ死ンダ日」は、熊谷の代表作の一つです。 |
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本書には、201枚の絵(と書)が紹介されていますが、その内の8枚(風景・猫・夕暮・小鳥をそれぞれ2枚ずつ)を、ここに添付して紹介いたします。どれも前述の「モリカズ様式」が良く分かる作品で、熊谷が、やはり不思議な画家で有ることが良く分かります。彼の絵を見ていると、「日本画の手法のような輪郭線=これ藤田つぐはるとも共通か?」と「大胆な厚い塗りつぶし」を使って簡略化する事で、その絵を観る人の、「対象についての想像力」を、最大限引き出そうとしているのではないか? と、思えて来ます。 例えば、「夕暮」を観ていると、「夕暮れのその一瞬を切り取って、その絵を見ている人に、その瞬間の前後の空気の動きを想像させようとしている」のではないか、と感じたりします。 猫・小鳥などは、単純な輪郭線で表わされているにも関わらず、「今にも動き出しそうに見え」ますし、風景画では「時々刻々動いていく風景と周りの空気」が感ぜられ、その表現力に「なーるほど」と感心します。 以上、熊谷の本をご紹介いたしました。 ■ ■ ■ ■ ■ |
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