しょうちゃんの繰り言


女性の人権

例の友人の言葉に「幼稚な奴ほど奇麗事を好む」という表現があった。彼が言うにはゼロ・リスクを主張し、「安全」と国で証明した事も信じない連中には共通点があるそうだ。「我こそ正義の使者」という単純な奇麗事の思い込みがそうだと言う。彼の言い分を聞いてみよう。

“被災地の瓦礫も自分の住む地域での処理には絶対反対する人達がいる。子供への影響を第一の理由に挙げているが、その子供達の食べ物に彼らはどれだけ注意を払っているのだろう。もし今の日本で絶対安全を主張するなら、あらゆる食材を自分で栽培、捕獲、若しくは飼育して、かつ自分で調理しなければ彼らの美しい正義のセオリーは完結しない。国が信じられないのなら、商業ベースで流通している食べ物はもっと信頼出来ないのではないか。主張に合理的説明が付かなくても自分たちが正しいと信じ込んでいるだけに扱いづらい連中だ。”

確かに無農薬・有機栽培を謳っている農産物も時としてその信憑性に疑問符が付くことがある。養殖・飼育したものは病気対策から過度な抗生物質の使用に懸念が抱かれていた時期があった。今では大半が善良な生産者だと信じたいが、ブランド米が生産量以上に流通していることは大人なら誰でも知っていることだ。ブランド牛でも同じことが言える。どこかで誰かが金儲けのために安易な方法を取ることは今までもあったし、これからも無くならないだろう。それに既製食品には多くに添加剤が使用されていることも用心深い彼らなら知って居る筈だ。もし自分の家族、特に子供のために安全を貫くなら、食べるものに関しては、少なくとも既製のものではなく、彼の言うように自分で栽培・飼育し調理もするべきだろう。値段の安いファースト・フードも危険な国の食材を使っている可能性がゼロとは言えない。

長くなるが彼の言い分を聞いてみよう。

“最近もそれに似た現象が橋下徹市長の発言を契機に起き、世間がそれぞれの正義を振り回している。問題は慰安婦の強制連行・拉致が戦時中、日本軍によって韓国で行われたかどうかを巡る論争だが、その事実の検証はされず彼の発言を整理せず色々な奇麗事で攻撃しているように俺には見える。まずこの対立する事実関係の認識に関して、彼の国は日本側の言い分に全く聞く耳を持たない。事実を政治決着で曲げると長く禍根を残す。精査して彼の国の言い分にそれなりの根拠があり、我が国が間違っていればその結果を潔く認め、それなりの償いをその時やればいい。敗戦国だから、事を穏便に済ませたいから、という程度の判断で腰の据わってない政治家に仕切らせるとこういう間違いを犯し、後々まで火種を残す。”ここで一息入れ、新しいタバコに火をつけると続けた。

“また別の観点から、橋下氏が言うように軍を対象にした慰安婦は日本以外にも存在したし、それが公認かどうかは別として確実に各国の軍隊は利用していた。今日(こんにち)の基準で倫理・人権問題等に照らせば受け入れられない事柄が70年前には数多くあった。いいか悪いかではなく、そういう時代だったと言うしかない。この件に関する橋下氏の指摘は何ら間違ってないし、彼の発言が女性を貶めることではない。さらに沖縄に駐留する米軍に「風俗を利用しろ」といった主旨の発言に関しては、政治家として言う必要がなかったとは思うが、一般の女性に被害が及ぶ事を考えればそんなに非難される発言でもない。売春禁止法が我が国には存在し、建前上売春は無い事になっているが、抜け道があることは皆が良く承知している。それに、高校生・大学生、中には中学生まで、少数ではあっても「援助交際」という売春が日本で流行っているのも知っているだろう。橋下発言を問題にし、女性の人権問題を取り上げるなら、むしろこちらの方を正すのが先決ではないだろうか。売春は人類最古の職業と言われ、禁止している国もあるが、認めている国や州もある。被害者の居ない犯罪と呼ばれるのが売春だ。大人ならこの程度の認識があると思われるが、橋下氏の一連の発言に方向性も確かめず世界規模で袋叩きにして蓋をしようとしている。クリントン女史も公的立場からの発言であることは理解しても、その前にまず自分の亭主に奇麗事の正論を投げ掛けたらどうだろう。ホワイトハウスで見習いの女性と不適切な関係を持つことは金を払わなかったから許されるのかね。州によって売春を認めているのも彼女の国だろう。攻撃するなら何がいけないのかをはっきりさせて問題点を明らかにするべきだ。何となく奇麗事を建前論で述べ、問題の本質を曖昧にすることは少なくとも政府要人やジャーナリストのやる事ではない。”

一般に受け入れられるかどうかは別として、彼の言うことはいつものように説得力がある。“人間の行うことには建前だけでは済まされない面がある。認めたくなくても我々は人間であると同時に365日発情可能な動物でもある。生死を賭けた戦いの渦中にある血気盛んな若い男共が女性に逃避するのは、良し悪しではなく過去にあったし今でも続いている。そんな事実を知った上で奇麗事の好きな連中は持論を述べるべきだね。橋下市長の発言を各自が自分たちに都合のいい理屈で部分的に非難するのは、俺はお門違いだと思っている。彼が政治家として正しい事を言ったと言うつもりはないが、少なくとも間違えた事を言っている訳ではない。彼は自分の歴史認識と現実に従って幾つかの問題提起をしただけで、女性を蔑視したり、その人権を無視したりしている訳ではない。”

確かにどこかで線を引かなければこの問題は建前論で終始し、友人の言う「奇麗事の好きな連中」の声はますます大きくなるだろう。もっと言えばこの問題の本質はタブーの分野に属する課題としか言い様がない。正解は「触らないでおく」ことだろうが、国家間の軋轢の原因が解明されず、また米軍基地周辺のトラブルが無くならない事を考えると橋下発言はそんなに間違った事を言っているとは思えない。

ただ橋下氏が政治家として期待されているのはドメスティックな課題である既得権への切込みであり、その分野での改革である。利権化した組合や・官僚・役所の組織を解体し、新しい枠組みで本来の国民の為のサービスを基本に置いた再編成である。しがらみの無い彼はそこでの活躍が期待されている。取りあえず緊急課題の国内問題にだけ集中し、他の余計な事には口を出さないのが現実的な対応かもしれない。

世間は知性や理性で判断してくれると思うのはある意味間違っている。判断の基準もあいまいで、正確に認識する作業さえやらない大人が大多数ではないだろうか。岸内閣当時「安保改正反対」を唱えたデモ隊の中で、参加した何人の若者が正確に中身を理解していたのか未だに疑問が残っている。私の知人の医者も学生時代そのデモには参加していたが中身は知らなかったそうだ。彼は正直に「回りも皆そうだった」と言っていた。

人は自分に都合のいい解釈をし、気に入らない相手の発言には容赦がない。少々の教育くらいでは人の持つこの本性を変える事は難しいだろう。正確な論証ではなく、反対出来ない正義の旗印を背景に物を言うのであれば知性の出る幕はない。如何に安易に「人権」が振り回されているのか考えて見たらどうだろう。

歴史はまずそれが正確なのかどうかを検証しなければならない。歴史は往々にして作られる事がある。それを含めて我々は歴史と呼んでいるが、定着したら残念ながら覆しようがない。北米大陸は誰のものか。オーストラリアは誰のものか。そういった問題提起にはどういう答えが用意されているのだろう。何の権利があって彼の国は日本軍を多数の死者が出たシベリアでの強制労働に従事させたのか。人道に対する犯罪を標榜するのであれば、一瞬にして何十万という人間を殺戮する兵器を二度も使用したことに対する人類の答えはどうなるのだろうか。戦場でない居住区間には兵士は少なく、反撃も抵抗も出来ない女性・子供・老人が原爆のターゲットになった。ここでこそ人道に対する犯罪が行われたのではないのか。先住民を征服したのは北米やオーストラリアに限らない。南米大陸でも先住民のインカは滅ぼされた。つまり歴史には勝利した側の理論だけが存在し、何が正しいかという現在の倫理上の規定は存在し得ない。その上での歴史だと言う事をまず認識するべきだろう。日本では「数は力」と言った政治家がいたが、「勝利(ちから)は正義」という原則も世界の歴史が我々に教えてくれている。今それを間違いだと言うことは出来るが、遡って覆すことは出来ない。

今回の橋下発言で女性の権利を問題にする人がいるが、前述したように日本軍に慰安婦が共生したのは70年近く前の話だ。現在の目で許せないのは良く理解出来る。そういう事実があった事を指摘していて、それを容認している訳ではないことは明白なのに、どこかで女性の人権と結び付けて騒ぐ人達がいる。「幼稚な奇麗事」と友人がからかうのも良く分かる。

我々は過去の過ちから学ぶことが多い。理不尽なこと、不条理なこと、整合性のないこと等々疑問の芽は、最初は抑えられていて小さくても人間の意識が目覚め拡大すれば世の中は必ず変る。橋下氏の発言は従軍慰安婦の制度を決して認めていた訳ではない。過去に日本にもあったという事実とその後も続いているということを指摘しただけだ。

物事の判断は各個人の人生の総決算でもある。例の友人がからかうのは、然るべき立場の人間があまりにもお粗末な判断をしているからだろう。

“判断力を養うには知的訓練が必要だ。知的訓練には本質を見極める日ごろの姿勢が必要だ。その基準を確立するには古今の歴史やそれに対する評価を知り、自分なりの価値観を持つことだ。その価値観に普遍性があれば人はいずれ認めるだろう。”珍しく真顔で彼はまくし立てた。

三流大学を出ていても、日ごろの姿勢が彼の鋭い観察眼を養ったのだ。彼が口癖のように言う“権威を疑え”というのも世間のステレオタイプの発言にうんざりしているせいだろう。考える事を放棄したような教育では、考える人間を育成することは難しい。

“いつも行き着く先は同じだが、女性の人権をお門違いに振りまく方々も少しは考える事が何かを考えてみてはどうかね。何処にも正解が出てないから連中には無理だろうがね。”相変わらずの憎まれ口で飄々としている彼が今日も哲学者に見えてきた。

落ち着いて考えれば、これは絶対に私の買い被りに違いない。アイツは何と言っても世間での評価は三流大学の落ちこぼれだから。
私も少し毒されたかな。

平成25年6月10日

草野章二


サックスの芦田さんからもらった雑誌の切抜きなどが出てきた。古い資料もある。もっと昔には、サッチモが初来日した時の珍しい写真を「お前のホームページで使え」ともらった。

しょうちゃんの話題に慰安婦が取り上げられている。終戦直後の「日本での慰安婦」の話が書かれている貴重な記事がある。皆さん、読んで見てください。芦田ヤスシさんは編集人の一回り年上のミュージシャンだった。仲良くしてくれました。

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