ジャズと雑学 |
(55) 英語の発音とSinger's English |
昨晩、秋葉原でLighthouse Orchestra恒例ののSummer Liveがあり、ゲスト歌手はキャロル山崎でした。彼女は綺麗な発音で歌いました。そんな気持ちのよいライブを聴いて帰ってきて、ジャズを歌うみなさんのために、1ページ書く気になりましたよ。 キャロちゃんは上品で上手だった。若い時、沢チンの教室に通っていたのです。
辻 裕史(pf)はピアノが無い会場なので、こんなキーボードを弾かされました。昨日、66になったばかりですが、急にキーボードですか?しかも、1人だけ舞台からはみ出た外野席です。おー、健気にも辻はキーボードで奮闘してくれました。 いつもはベースの新井や太鼓の伸ちゃんと目を合わせることが出来る位置にいます。今夜は蚊帳の外。LHOのライブで、わたしはこんな光景を初めて見ました。
LHOのブログにある写真ですが、見てください、辻 裕史が写っていません。ひどいもんだねェ!
お友達のダイショーが携帯で撮った動画を送ってきた。わかGの言わんとすることが分かってもらえるかも。英語の歌に限ったことではありません。日本語の歌手でも、歌う時は話し言葉とは違うでしょ?当たり前の話なのです。キャロちゃんはSinger's Englishを心得た歌手です。
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さて、ここからが「雑学」の本題です。 人間が言葉を覚えるのは幼児の頃である。3歳になればペラペラだ。大きくなってからは遅いのである。言語中枢が発達するのは、生まれた直後から始まるのだ。 しかし、日本の学校教育は「外国語教育」の最適時期を全く無視している。子供の耳が言葉を聞き分け、その音声学的な特徴と発声法との関連、つまり、発音する口や舌の動かし方を脳に刻み込むのは、小さければ小さいうちの方がよい。 その結果、入学試験をペーパーテストで受け、東京大学に入学した学生が、「Lesson One」を「レッスン オネ」と読んだ話は笑い話ではない。悲しい事なのだ。巨人のN監督が立教大学時代に「the」を「テへ」と読んだという話は本当の話だとテレビで放送されたことを思い出す。 20年ほど前に、芦田ヤッさんが「自分の記事がある」と送ってくれた芸団協のPERFORMER誌に「LとRの使い分けも出来ないような歌手が英語の歌なんか歌ってはいけない」と書いてあったが、子供の頃に英語を聞いていない大人には、その違いを耳が認識できない構造になってしまっている。大人に教えても子供時代に覚えた一種類の発音しか発せられません。 日本語には無い「TH」の発音に「S」や「Z」の音で代用してはいけません。中学生になって英語の時間に「There is a pen」を読めと言われて「ゼヤリズアペン」としか発声出来ない人が沢山います。 「ウィールハブマンハタン・・・イッツラブリーゴーインスルーーザーズー・・・」って分かります?アメリカ人には分かりません。 We'll have Manhattan・・・it's lovely goin' throuth the zoo・・・ 日本語の「ル」は「RU」でも「LU」でもありません。舌の位置がその中間です。ラブの「ブ」は「ブ」ではなく、本当は「ヴ」です。「V」の発音は日本語にはありません。 明治生まれのお婆ちゃんは「F」の発音が出来ませんでした。私が「Fa」と聞かせても「Hua」と発します。 世の若い親御さんよ、子供が生まれたら日本語だけでなく、最低、正しい英語の発音を教えてやるようにお願いします。学校に行ってからでは遅すぎます。そういう大事なことは文科省の役人どもには分かっていないのでしょうか。はい、分かっていません。私は文部省で、高校に新教科「情報」設置に関する委員会で働かされました。直接、高校の先生たちのための講習会では東京・神戸で講師もやりました。その時、文部省のキャリアにも知り合いました。それ以外の役人は、地方の教育委員会から出向して来る人たちで、2,3年すると元のところに帰ります。本省にいる間は目立たぬように焦らぬようにじっとしていました。仕事をして失敗は禁物です。 講習会では「高校生にコンピュータ嫌いを作らないように」と力説しました。 「コンピュータ嫌いを作らないようにするには、どうやって教育をすればよいのですか?」 「それは、先生、あなたの熱意と愛情です」 人が理解のできない話をしても、授業にはなりません。理解をさせるには「熱意」と「愛情」が不可欠なのです。熱意と愛情のある教師は教えるための工夫を考えるのです。面白い教材作りも大切です。 この回答に一番喜んだのは文部省の課長でした。咄嗟に出た言葉でした。面白い授業をしなきゃダメです。私は大学や社会人研修で面白い講義をしました。面白いことが分かれば、人間は自分で勉強するものです。 ◆◆◆◆◆ わたしは4歳半で終戦を迎え、直後に我が家にアメリカ将校が2人「日本家庭にホームステイしたい」といって一緒に暮らすことになりました。幸いなことでした。毎晩、キャプテン・シュレイダーは私を膝の上に乗せて英語で話してくれました。この齢の子供には何の苦も無く耳に入ってくるのです。5歳になる頃は、片言でしゃべっていました。キャンプからレコードを持ってきてかけました。ビンクロも憶えています。ダイナ・ショアも。こんな頃に、当時のポップ・ソング、今でいうスタンダードを聞かされていたのです。 キャプテンは、年が明けて昭和21年になって「クニが学校に上がるには朝鮮では駄目だ。日本に帰りなさい」と両親に話しました。それで明治10年生まれの渋谷の婆ちゃん宅に引き揚げて来ました。空襲にも焼けずに氷川町一角は昔のままでした。 それで、米軍人との生活は数カ月で終わりましたが、幼稚舎2,3年の頃に、中村キルビーお婆ちゃん先生が、広尾の磯野家の応接間で私達何人かを集めて英会話レッスンを始めてくれました。私たちの担任に話があり、私たちのクラスの子供が習いに行きました。後に新宿西口の焼け跡の広場にキルビー学院という英会話学院が設立され、私たちの個人レッスンは終わりました。昭和26,7年頃でした。 中村Kirby Mary先生(キルビー学院サイトより) 大正時代から幼稚舎で中村キルビー・メリー先生(英国人)は英会話を教えていたと聞かされました。終戦後、「また幼稚舎の子供に教えたい」といい、私たちは通うことになったのです。天現寺から広尾までは歩いても5分くらいです。都電も走っていますが、みんなブラブラ歩いて行きました。
私には基本的な耳の訓練は4歳半から始まっていましたが、40代の頃、Dolly Bakerに出会ってから、今度は歌う時の口の動かし方、唇・舌の動かし方を目の前で見せてくれました。話し言葉の英語と歌う時の英語とは違う事を教えてくれました。Singer's Englishを身につけるには、いい先生いい環境が大切です。ドリーには「語尾の子音を丁寧に歌うこと」を教えられました。話し言葉では語尾の子音は殆ど消えてしまいます。何故、ドリーなんて凄い歌手と親子のように親しくなれたのか不思議です。92歳で亡くなるまで大事にしてくれました。 子供の頃に、こういう基本的な英語発音回路が脳に出来ていない人が二十歳過ぎてバークリー音楽院に留学しても、Singer's Englishが認識できないまま卒業して帰ってきます。そんなジャズ歌手がごろごろいるのです。何人も出会いました。可哀想ではありますが、その歌手が悪いのではありません。幼児の時にいい耳を作ってくれる人がいなかったのです。留学する頃には耳は既にカチカチに固まってしまっていたのです。 わたしにはフランス語の耳がありません。ついに小学生の時から大学院を修了するまで仏語をやりませんでした。高校3年から理系に進学のためドイツ語が必修で、フランス語は履修出来ずです。大学に行っても同じでした。そのくせパリで遊ぶのが趣味でした。行きつけのシャンソニエがありました。 仏語の発音も口の動かし方を知らないのです。幼児期に耳からインプットされることがなかったのです。耳って不思議な器官ですね。大人になって聞かされても、それに連動して口に出すことは出来ません。時すでに遅しです。カタカナ仏語で「コムーノ ダバダバダ・・・」と歌わされたことがあります。 皆さん、一番身近なSinger's Englishのお手本は、フランク・シナトラです。 大きくなっても外国語は覚えられます。話せるようにもなります。 「そんな幼児期の経験はないが、おれは喋れるぞ!」って誤解しないでください。喋れる人間なんてゴミの山ほどいるよ。ここでのお話は発音の仕方です。いい発音でしゃべり、さらに「歌を歌うための発音の仕方を学ぶとイイ」という話なんですよ。どれだけの人が理解できるか疑問です。難しい話でごめん。 ♪ウェナイフォーリンラーブウィズユー♪ って歌って平気な人がいます。 (2016/8/1) ◆◆◆◆◆ |
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