歌をつくる人にまつわる話
The Story of Songwriters

(3) Cole Porter   Every Time We Say Goodbye

Cole Porter
(1891-1964) 

コール・ポーターは1920年代から60年代まで数々のスタンダードを書き続けた作詞・作曲家です。自分自身でも歌を唄っています。

"All Of You", "Begin The Beguine", "Night And Day", "You'd Be So Nice To Come Home To", "Love For Sale"など枚挙に暇がありません。

コール・ポーターはエール大学時代にすでに300曲もの作曲をしています。

父親はSam Porter、母親はKate Cole、両親の苗字をとってコール・ポーターというわけです。

 
James O. Cole


Kate Cole

母方のおじいさんが大金持ちで、彼を弁護士にしたくてハーバード大学で法律を学ばせますが、音楽ばかりやっていました。お母さんは知っていたのですが、お爺さんは後にこのことを知り、法律を勉強させることをあきらめ、Art & Scienceに転籍させ音楽を学ばせました。

たくさんのショーや映画の音楽を精力的に作曲しましたが、やはり、音楽にも御曹司の血が流れているように思われませんか?

第一次世界大戦中にはパリの上流社会で派手な生活をしていたのです。


Linda and Cole Porter

1919年にバツイチのLinda Thomasとハッピーに結婚し幸せに暮らしましたが、リンダが肺気腫で亡くなる1954年までの間セックスレスのままだったのだそうです。コール・ポーターの書いたラブソングはそのほとんどがリンダのために書いたものと言っていいでしょう。

別の見方をすると、リンダはコールの才能を目一杯引き出すことが出来たビジネス・パートナーであったと言えます。

しかし、1937年の乗馬の事故で両足を破砕してしまい、ピアノのペダルも踏むことが出来ず、何度も手術を繰り返したと言います。医者は切断するしかないと言ったのですが、リンダはコールの性格をよくよく知っていたので「足を失ったら音楽が書けなくなる」と切断をさせなかったのです。そんな状態の中で次々と書き続けました。

”Get Out of Town”や代表作のひとつ”Night and Day”もこの時代から40年代に書いたものです。Night and Dayは1946年のコール・ポーターの伝記映画ですが、ケリー・グラントがコール・ポーター役で出ました。この映画にはこのページの登場人物は全て出てきます。その後には”Kiss Me Kate”があります。1958年にはついに右足を切断することになるのですが、すでに最愛のリンダは4年前に他界し、創作の意欲もなくなり、社交界でのパワーも失せて、1964年にはこの世を去ります。

2005年正月には、コール・ポーターの生涯を歌で綴ったミュージカル映画「五線譜のラブレター」が公開されました。


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