ジャズと小噺

(6) 最近の若者はラブレターを書きません  Love Letters

30年間、大学で学生と付き合ってきて、彼らの文章の稚拙なことにはがっかりします。 

男子学生に「君たちはラブレターを書いたことがあるか?」と聞くと「No」です。

女子学生に「君たちはラブレターをもらったことがあるか?」と尋ねると「No」です。

本当にまったくないらしいのです。要するに書けないのです。電話というやつで「ぺちゃくちゃ」で間に合わせるのです。それを受け入れる日本女性も時代とともに情緒を失い、薄っぺらくなったもんです。源氏物語は入学試験の材料でしかないのです。おまけにエロ本みたいな漫画の雑誌ばかり読んでいます。

ですから、日本語が下手でまずい文章しか書けなくなってしまいました。「グェーッ!」とか「どばぁー!」とかやたらに汚らしい擬音が多いのです。「君たちの文章には擬音が多いねえ」というと、勘違いして「へぇ、そうどすか」。こういう人たちがコンピュータのマニュアルを書かされたりしているのです。分かりにくいわけです。

昭和20年代の電球とかけて何ととく。昭和70年代の子供ととく。心は「すぐ切れる」。彼らは、すぐに「むかつき」そして、すぐに「きれる」のです。親たちが幼稚だとこういう子供が育つのでしょう。

いや、学生だけではないのです。大学の教授や研究者たちでもひどい文章を書く人が多く、論文の査読などをするとおぞましい文章にお目にかかります。

ひどいものの一例です。「・・・は今一だった」

「今一歩」くらい書けよな。

つい先日(99.9)、これを見た一人の大学生からメールがきました。「ぼくはラブレターを書いたことがあります」と。それがジャズをやっている学生です。嬉しくなりましたね。捨てたもんじゃあないです。


  Index       Previous Next