ジャズとコーラス

(3) 金門四重唱団 Joshua Fit de Battle of Jericho

ミルス・ブラザースの影響を受け、ミルスが初レコーディング3年後の1934年にGolden Gate Quartetというゴスペル・黒人霊歌のコーラスが誕生しました。最初は、ニューヨークのワシントン・ハイスクールの合唱団のなかから選ばれて結成されました。50年代終わりから60年代にかけてはよく来日し、各地でコンサートを開いてくれました。東京での公演には必ず出掛けました。ライブでは伴奏は常にピアノ一本でした。オーケストラの伴奏は邪魔なのです。このことはレコードを聞いていただいてもわかります。

しかし、このグループが1930年から歌い出したという話が、彼らの古いサイトにあった記憶がありますが、Wikipediaでは、1934年に結成とあります。


初代 Golden Gate Quartet  Group #1 (1934-1939)


Orlandus Wilson          Clyde Riddick
Henry Owens  Willie Johnson

Group #2 (1939-1943)


Clyde Wrightがメンバーになる直前か、もうひとつ前のグループです。
Group #8か#9


Orlandus Wilson    Caleb Ginyard Clyde Riddick Clyde Wright
初来日のGolden Gate Quartet  Group #12 (1955-1971)


Clyde Riddick  Orlandus Wilson Calvin Williams Paul Brembly
Group #13 (1971-1985)
   


Group #14 (1985-1994) Clyde Wright復帰
   

結成当時からのリーダーはバスのオーランダス・ウイルソンという写真前右のおじさんですが、腹に響く低音と歯切れのよさはグループの支えになっておりました。左はクライド・リディック(Top)、真ん中はクライド・ライト(2nd)、右後ろはポール・ブレンブリー(Baritone)ですが、カレブ・ジニャードが健康を損なって唄えなくなり、オーランダス・ウィルソンの甥っ子が、1971年から加わったのです。カレブ・ジニャードは1978年に亡くなりました。

「ジェリコの戦い」といえば、想い出す方も多かろうと思います。デューク・エイセスは彼らを模倣するところから始まりました。私の高校から大学時代にはゴールデン・ゲートの真似もずいぶんやりました。

とにかくゴールデン・ゲートは男性カルテットの基本中の基本なのです。ジャズはもちろん、ラテンやハワイアンまで幅広く彼らのスタイルで聞かせてくれました。

昭和44年夏、まだ生後3ヶ月の長女をステレオの前に座らせ、いろいろなレコードをかけてどう反応するか実験したことがあります。

バラードにはまったく反応しません。当たり前です。生後3ヶ月の幼児にラブソングを聞かせるなんて。難しい和音もだめです。そうか、おしゃれなハーモニーもだめなんです。

ゴールデン・ゲートをかけると、きまって手足をばたつかせそのビートとリズムに反応するのです。どうやら嬉しそうなんです。大変に興味深いことだと思いました。

1940年代の後半にカナダにツアーをしていますが、そのステージを見てFour Ladsが誕生します。道理でニグロを唄っていました。それに続いてCrew CutsとDiamondsも結成されましたが、彼らはポップコーラスのジャンルでヒットソングを残しています。(1998.10)



Orlandus Wilson(1917-1998)

1950年代に我々の心をゆすったゴールデンゲートの名バスで創設時からのリーダーだったオーランダス・ウィルソンが1998年12月31日にパリで亡くなった。81歳だった。

マイクから3mも離れて高い音を歌ったClyde Riddickは82歳で引退し、1999年10月9日に86歳の生涯を閉じた。


Clyde Riddick(1913-1999)

1994年は結成60周年を祝い殿堂入りが決まった"UGHA Hall of Fame Awards Celemony"に出席し、およそ40年ぶりにNYCで唄いました。1958年からは、ゴールデンゲートの活動の拠点はパリで、ヨーロッパが中心だったのです。

お分かりだと思いますが、人種差別の激しいアメリカでは、黒人ミュージシャンはいろいろな面で白人から差別を受けます。ミルスからよく聞かされました。多くの黒人たちは、フランスに逃げたのです。私の家族同然のサリナ・ジョーンズは、「これじゃ、歌えなくなる」といい、65年にスペインに渡り、翌年からロンドン郊外に住みつきました。

アメリカの原住民はアメリカ・インデアンです。白人の移民がやって来る前は、東部の豊かな地が彼らの居住地でしたが、ご承知の通り、土地は取り上げ同然で、西部の居留地に追い払われました。3割くらいのインデアンが真冬の道中で死んでしまったのです。


Paul Brembly  Frank Davis Clyde Wright
Terry
Francis
Group #18 (1999-2005)

1995年からトップにFrank Jerome Davis(上)、1999年から2ndのクライド・ライトがグループに再復帰し、同年中頃、バスにTerry Francis(下)が加わりました。オーランダスが亡くなり、甥っ子、ポールはグループのリーダーとなります。


BassにRichard Phillips
Group #19 (2005-2006)


Anthony Gordon (Bass)加入
Group #20 (2006-2012)


Timothy Riley(2nd)  Frank Jerome Davis(Top)  Paul Brembly(Baritone)  Terry Francis(Bass)
Group #21 (2012-2017)

80周年のYoutubeがこのメンバーで歌ってます。Terry Francisが復帰です。

  

2012年以降、Clyde Wright はPaul Bremblyと別れてフランスに戻り、歌っていました。2013年までコンサートの案内がクライド・ライトのホームページに出ています。ソロでも歌っていたようです。その後のことは書いてありませんので、現在は歌っていないものと思われます。(2017/2/9)


Clyde Wright Quartet, 2013

  

「Golden Gate Quartet 2014」と書かれたVideoが出て来ました。


Paul Brembly   Frank Davis  Clyde Wright  Terry Francis

https://youtu.be/kMGXxQjWBKg

一時的にクライド・ライトが戻ったのでしょうか。ピンチヒッターらしいです。


2019年は85周年です。そこで、久し振りにFacebookのGGQのページを眺めに行ったら、新入りさんがいました。

このグループは、2017年からのようです。


Terry Francis(Bass)  Paul Brembly(Bari)  Micheal Robinson(2nd)   Frank Jerome Davis(Top)
Group #22 (2017-2021)

(2019/7/17)

 

  

 

私も歌いました。

     
  メンバーの変遷  

(1)1934-1939
William Langford : 1st 1934-39
Henry Owens : 2nd 1934-51
Willie Johnson : Bari 1934-43
Orlandus Wilson : Bass 1934-44

(2)1939-1943
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Henry Owens : 2nd 1934-51
Willie Johnson : Bari 1934-43
Orlandus Wilson : Bass 1934-44

(3)1943-1944
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Henry Owens : 2nd 1934-51
Joe Johnson : Bari 1943-44
Orlandus Wilson : Bass 1934-44

(4)1944
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Henry Owens : 2nd 1934-51
Alton Bradley : Bari 1944-46
Orlandus Wilson : Bass 1934-44

(5)1944-1946
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Henry Owens : 2nd 1934-51
Alton Bradley : Bari 1944-46
Clifford Givens : Bass 1944-46

(6)1946-1948
Clyde Riddick : 1sr 1939-95
Henry Owens : 2nd 1934-51
Willie Johnson : Bari 1946-48再
Orlandus Wilson : Bass 1946-98再

(7)1948-1950
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Henry Owens : 2nd 1934-51
Orville Brooks : Bari 1948-54
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(8)1950-1951
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Alton Bradley : 2nd Tenor 1950-51
Orville Brooks : Bari 1948-54
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(9)1951-1954
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Eugene Mumford : 2nd 1951-54
Orville Brooks : Bari 1948-54
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(10)1954
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Clyde Wright : 2nd 1954-71
Bill Bing : Bari 1954
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(11)1955
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Clyde Wright : 2nd 1954-71
Frank Todd : Bari 1955
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(12)1956-1971
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Clyde Wright : 2nd 1954-71
Caleb Ginyard : Bari 1956-71
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(13)1971-1985
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Calvin Williams : 2nd 971-1985
Paul Brembly : Bari 1971-
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(14)1985-1994
Clyde Riddick : 1st 1939-95
Clyde Wright : 2nd 1985-95再
Paul Brembly : Bari 1971-
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(15)1994-1995
Frank Davis : 1st 1994-2021
Clyde Wright : 2nd 1985-95
Paul Brembly : Bari 1971-
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(16)1995-1998
Frank Davis : 1st 1995-2021
Charles West : 2nd 1995-99
Paul Brembly : Bari 1971-
Orlandus Wilson : Bass 1946-98

(17)1999
Frank Davis : 1st 1995-2021
Charles West : 2nd 1995-99
Paul Brembly : Bari 1971-
Terry Francis : Bass 1999-2006

(18)1999-2004
Frank Davis : 1st 1995-2021
Clyde Wright : 2nd 1999-2012再々
Paul Brembly : Bari 1971-
Terry Francis : Bass 1998-2006

(19)2005-2006
Richard Phillips : 1st 2005-06
Clyde Wright : 2nd 1999-2012
Paul Brembly : Bari 1971-
Terry Francis : Bass 1999-2006

(20)2006-2012
Frank Davis : 1st 1995-2021
Clyde Wright : 2nd 1999-2012
Paul Brembly : Bari 1971-
Anthony Gordon : Bass 2006-12

(21)2012-2017
Frank Davis : 1st 1995-2021
Timothy Riley : 2nd 2012-2017
Paul Brembly : Bari 1971-
Terry Francis : Bass 2012-21再

(22)2017-2021
Frank Davis : 1st 1995-2021
Michael Robinson : 2nd 2017-
Paul Brembly : Bari 1971-
Terry Francis : Bass 2012-2021

(23)2022-
John Garner : 1st 2022-
Michael Robinson : 2nd 2017-
Paul Brembly : Bari 1971-
Daniel Keeling : Bass 2022-



Daniel La Monte Keeling   Paul Brembly  John Alexander Garner III  Micheal Robinson
Group #23 2021年11月に2人入れ替わったようです

もうだいぶ前からHomepageは閉じられ、Facebookで素人の投稿だけになりました。幅の狭いFacebookのページでデザインが出来ないSNSだけとは何という堕落なのでしょう。Homepageを運用していくには、素人には無理があります。プログラミングが出来ません。FBなら子供でも投稿できます。頭と金を使わない方法です。爺ちゃんは厭になります。

2024年は90周年となります。因みにミルス・ブラザースは1922年に始まりました。今年が満100年です。Johnが差別に苦しみながら頑張っています。

(2022/8/7)


今夜(2002/12/15)のことです。自分で老人と称している脇地 駿さんという男性からメールをいただきました。このページをご覧になって懐かしくてメールを書かれたものです。

はじめてお便りします。
貴サイトの標記を拝見し、懐かしく思いました。
若かりし頃、The Hit-Paradeという映画を見て、その中のJoshua fit de battle of Jerichoの場面に興奮したものでした。
ヒットパレードらしく、ご都合の良い筋書きでストーリーは進みます。
悪漢が追い詰められ(?)最後に walls came tumblin' down でガラガラと周りが崩れ落ち、悪漢が御用!となるのでしたっけ。
彼らが大統領の御前演奏をしたとか。(それはルーズベルト大統領の就任祝賀会です(爵士樂堂注記))
来日の際は何をおいてもコンサートに駆けつけました。
伴奏はピアノだけ、とありましたが、厳密にはThree Rhythm(Piano, String bass, Drums)伴奏でした。
<たしかに他のグループとは違い、バンドの伴奏はなかったと記憶します>
特にドラムのスネアに痺れたものでした。

ついつい老人の思い出話になってしまいました。失礼

♪♪♪ わっきー ♪♪♪

Hit Paradeという映画は毎年作られていたようで、上記の話は1943年のものらしいです。ダニー・ケイが主演していたものです。わたしが2歳か3歳のときの映画です。戦後になって上映されたのでしょう。脇地さん、ご自分のことを老人とおっしゃっていますが「わっきー」などというニックネームを使い、何々、お若いではありませんか。

バンド演奏によるコンサートはあったか無かったか定かな記憶はありませんが、レコードにはいろいろありました。

その後日談です。

脇地さんという方は、只者ではないという私の直感がありました。

同志社大学時代あるいはその後も、CCD(同志社の混声合唱団)やグリークラブで指揮者をはじめ指導的な役割を果たされ大活躍した人物で、同志社大学関連のSiteには脇地さんのことがたくさん書かれていました。関西ではその名を轟かせた方だったのです。

驚きました。同志社1959年卒とありますから、まだまだ若者です。大阪・京都ゲヴァントハウス合唱団で現在も活躍中ではないかと思います。ホームページも出来ました。(2004/8/3)

そのまた後日談です。(2005.2.8)

同志社には伝統のあるカルテットが目白押しですが、脇地さんの後輩に当たる佐藤道雄さんからメールをいただきました。このページを見てビックリしてのことです。


Four By Four

熟年コーラス”Four By Four”をやっておられます。そのホームページを見て、私は「う〜ん」とうなったきり仰け反ってしまいました。この方達は100年もコーラスをやっている妖怪に違いありません。レパートリーを見て御覧なさい。

むかし、私はゴールデンゲートのレコードを擦り切れる程聴きました。4by4の十八番の1曲だと思います、Shadrackを聴いてください。

京都とはなんという土地柄なんでしょう。


脇地さんは歌える間は歌おう、歩ける間は歩こうを実践されています。

2006年の夏にはアルプスの三大名峰をトレッキングをされて沢山の美しい写真を撮ってご自分のホームページを飾っています。

先日、久しぶりにそのホームページを開いたところ、驚くなかれカウンターは丁度10000を指しています。

すぐに知らせました。記念にこの写真をいただきました。こうしてお付き合いが続いています。(2006/9/24)


脇地さんから久しぶりにお便りをいただきました。そこには月下美人が今年も咲いたとあります。あまりに見事なので、皆さんにもお目にかけましょう。(2007/9/16)

月下美人の特別ページへ


Four By Four 東京で初ライブ

神楽坂 The Glee

2012/6/23


西村兼男(pf)  森島敏夫(2nd)    長谷川邦男(Top)  佐藤道雄(Bari)    堀部勝也(Bass)

神楽坂にThe Gleeというライブ用のミニホールが出来ました。オーナーは同志社のグリーOBです。そんな関係でフォーバイフォーに声がかかり、東京での初お目見えとなりました。

脇地さんから「4×4が東京で初ライブをやります」とお知らせがありました。早速、佐藤さんに連絡を取り予約をお願いしましたが、85名の満席でのライブでした。歴史の古いカルテットのMCはそれぞれの人柄がにじみ出て、ユーモアにも富み、アンコールも3曲という大サービスでした。

もともと、レパートリーの凄さに驚かされたのですが、今夜はジャズ・スタンダードと古いPop Songが中心でした。Four Freshmen、Four Nights、DriftersからInk Spotsも登場、2nd SetではGGQの”Shadrack”も聴けました。さらに、和田アキ子の「あの鐘をならすのは・・・」もあったり、ジャンルの広さにも驚きますが、お客様をあきさせないようなプログラム構成となっていました。

このグループは脇地さんの後輩になるのですが、「長谷川君が大病後というのにようやる、とちょっと感動してご案内に及びます」というメールだったのですが、長谷川さんは一番高いパートを2時間もフルに歌われました。

平均年齢が70歳とのことでしたが、まだまだ歌い続けるに決まっています。見ただけで分かります。和やかで素晴らしいライブでした。(2012/6/23)


◆   

2月4日の脇地さんのブログに長谷川さんの訃報(2月3日没)が出ていました。4×4の佐藤さんの1月の便りでは入院中で練習が中断しているということが書いてありました。同日、佐藤さんから傷心のメールが届きました。

メンバーは、今は先のことなどは全く考えられない状態でおります。
落ち着くまでは、時間が必要なのだと思います。
今思えば、よく東京でライブをやったものだ、と思えます。
彼にも、きっと良い思い出になったことでしょう。
一緒にもっと歌いたかったなぁ、というのが本音です。

長谷川さんのご冥福を祈るのみです。(2013/2/5)


   ◆


脇地  駿さん,2013.4.1

脇地さんから桜の便りが来ました。(2013/4/2)

⇒ http://www.saeranosushi.sakura.ne.jp/hiking2013/0401daimonji/daimonji.html

   から 「2年ぶりに大文字に登る」 にお入り下さい。


映画「Hit Parade 1941」

BS3で放映

今は2016年10月21日午後1時、NHK BSテレビで1941年の「教授と美女」を1948年に再映画化した「Hit Parade 1941」を再放送中です。また、きよGからの「BS3.13時からヒットパレード。ダニーケイ、ベニーグッドマン、トミードーシー、ルイアームストロングなど、一緒にやる場面あり」と通知です。

何処かのページで映画Hit Paradeの話を書いたことを思い出しました。それがこのページです。脇地さんが映画のことをメールに書いてくれたからです。

映画の一部がYou Tubeに上がっていました。

Golden Gateは黒人霊歌”Blind Barnabus”を歌っていました。一体何十年ぶりに聴いたのだろう。

(2016/10/21追記挿入)


Charlie Barnet  Tommy Dorsey  Benny Goodman  Luois Armstrong  Lionel Hampton

 


今日は2018年9月12日です。また、2年の月日が過ぎました。

先週の土曜日に、久しぶりに奈良からのコーラス友達、荒木 豊さんと再会しました。彼は同志社のOBなので、脇地さんや佐藤さんの話が出ました。奈良に帰ってから、連夜、メールのやり取りです。し残した話があるからです。

そんな話の報告が佐藤道雄さんに伝えたら「若山さん? おぉ、懐かしいお名前!」と。そこで、昨晩、佐藤さんにご機嫌伺いのメールをしたところ、喜んで近況を伝えてくれました。

そこで、新ページを起こしました。 ⇒ フォーbyフォー物語

 (2018/9/12)


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