The Journey of INDIAN PACIFIC

文: 杉作
装丁:ちび

この本は杉作の愛妻の同期生である「ちび」こと正子ちゃんが、杉作が病に倒れる前の年にオーストラリア旅行をしたときの「旅行記」のワープロ原稿から、手作りで一冊の本の体裁に作り上げてくれたものです。

杉作からこのページの材料に使ってほしいと、私の手許に送ってきたものであります。そこで、多少の画像を集めてビジュアルな絵本にしてみました。2007/12/18

Indian Pacificは週2回の運行でシドニー⇔アデレード⇔パース間、全長4352Km

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12月11日(土)
杉作

目が覚めると7時すぎ、あわてて着替えてラウンジ車に行く。きのうの朝食は7時半から、多分同じだから、その前にタバコを一服しておかなくては。煙を出せるのはここの喫煙室だけ、今のうちにすっておかないと、朝食でも1時間はかかる。

ところが、7時半になっても食堂車に向かう人がいない。喫煙室仲間のニューヨークのおばさんも来ない。おかしいなと思ってラウンジの時計を見ると、6時半すぎ、中部標準時への切り替えのアナウンスをききもらしたか。そういえば、ゆうべおそくに停まったポート・オーガスタで発車時間をきいた時に、やりとりが少しおかしかった。

こうして「インデイアン・パシフィック」の旅第3日の朝が明けた。列車は潅木のゆるい丘を蛇行しながら走る。線路に沿って車が通ったあとはあるが、それ以外に人間の生活の痕跡はまったくない。ときどき列車のすれ違いのための信号所に、鉄道関係者のものと思われる家が数軒あるのみ。いちどだけ、何もないところでアポリジニーのおじさんがこちらに手をふっていた。カレ、道に迷うかなにかして助けを求めて手を振っていたわけではあるまいな、と馬鹿なことを考える。

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地面が平らになってきて潅木が少なくなった頃にようやく7時半、食事のお知らせとともに、ナラーバー平原に入りました、これから478キロの直線が続きます、とのアナウンス。478キロといえば、東京から東海道本線なら米原の先野洲のあたり、北に向かえば仙台をはるかに越えて北上のあたり、その間カーブがまったくない。

ごくわずかの起伏はあるようだが、カープしなければならない理由がない。右も左も地平線、数十センチ程度の草が生え、ところどころにせいぜい2メートルくらいの木みたいのが立っているのみ。きのう走った平原にはカンガルーやエミューがたくさん遊んでいたけれど、ここには動物の姿もない。

朝食はアイオワのご夫婦と一緒。奥さんがポツポツ話すがダンナはあまりしやべらない。きのうまでは、アデレードで降りた渡辺さんというご夫妻と一緒に座ることが多かった。そのあと一人旅組のうち元気な連中の仲間にミソッカス気味に入りかけていたのだが、私が入ると5人、誰かがテーブルからはみでる。話していることはほとんど分からないし、他の人ともつきあってみようと、あえて抜けた。

食後もう一服してから自室に戻る。

新幹線のグリーン個室より少し広い程度か。そこに壁に収納できる洗面台と便器までついている。ベッドを作ると身動きもできない。のぞくヤツもいないのだから、ブラインドも閉めずに外を見ながらいたすのもオツなものとは思うが、いくらなんでもこの部屋の中ではね。車端には共用のトイレとシャワーがある。ファーストの2人部屋になると、各室にシヤワーがある。

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カナダの男がいたので、この次はバンクーバーからトロントの大陸横断鉄道に乗りたいんだ、と言うと、あれはいいよ、あれと比べるとこのファーストはファーストとはいえない、と言っていた。

景色はまったく変わらない。そんな中、間もなくナラーバー平原の中でいちばん大きな町クックに着く。ここには学校も病院もあります、という。よく言うよ。明らかに鉄道網係者(それ以外に誰が住むか!)の住宅が15軒か20軒、そのための学校と病院も確かにあるようだが。ここに1時間停車する。すぐそばに帯状に草がないところがあって、これが飛行場、小型双発機が見えたが、そのうちいなくなった。

燃料と水を補給する。もちろん運んできてストックしておくのだろう。

乗客は外に出てそぞろ歩き。売店もあってみやげものも売っている。店員は鉄道員の家族のひまつぶしであると断定する。インデイアン・パシフィックが週に2往復するだけであとは貨物列車しか通らない。

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人気があるのはやはり機関車で、人が集まり、写真を撮ったりしている。きのうアデレードでつけたロコで、3000KW4000馬力、強力無骨でスマートさのかけらもないが、頼もしい。日本には今はないディーゼル電気式という、デイーゼルエンジンで電気を作りモーターを回して走る。知らないうちに動き出すというすぐれもの。

機関車に群がった人の中に、日本からきた娘さん3人がいてお話する。彼女たちは、座席車・コーチクラスで、よく寝られず疲れたという。ホリデイクラスですか、というから、ファーストさ、というとうらやましがる。ホリデイクラスというのは、私のコンパートメントと同じサイズで2段ベツドになっている。早くお金持ちになってファーストに乗りな、と言ってやる。イヤミなおじさん。若いうちはできるだけぜいたくをせずにあちこち見て回るのがいいと思う。この3人(2人組たす1人)も、自分で旅を組んでこの列車に乗ったそうで、ひとと違うことをするのはえらい。ちなみにファーストでは日本人は私ひとり、シドニーからは渡辺夫婦がいたがひと晩でアデレードで降りた。

しかも彼らはご子息がアデレードに留学中で、一度乗ってみたら、と言われて乗ったのだと言う。ホリデイにも日本人はおらず、コーチで彼女たち以外に東洋人はいるが、多分中国系だと思う。

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クラスでもうひとつ露骨なのが食事。ファーストには食事がついていて、コースの中で好きなものを選択できる。テーブルにはクロスがかかる。ホリデイクラスでは、別の食堂車がついていて、テーブルはむきだしのプラスチィツク、自分で買って食べな。コーチクラスは売店で買って自分の席で食べな、という。料金は、ホリデイはコーチの約2倍、ファーストはコーチの3倍くらい。飛行機のファーストは、あんなばからしいものはない、金持ちになっても乗るものかと思うが、汽車のファーストは納得してしまう。

車掌が退屈しきって自分の車両に乗り込んだ頃に、空襲警報のようなサイレンが鳴り響く。これなら町(?)はずれまで遊びに行った人にもきこえる。やおら戻っても間に合う。クックに着く前に、発車時間になったらチャイムを鳴らすから、そうしたら戻ってくれと言っていたが、なるほど美しいチャイムでした。

きのうパースを出た、逆方向のインデイアン・パシフィックの到着と入れ違いに出発。配られている時刻表で見ると、1時間半の遅れ。

発車後のラウンジでは、しばらくは、クックというのはありやなんだという話題で持ちきり。どう思う?とニューヨークにきかれたので、静かで空気がきれいですばらしくて2度と好んで来る気にならない所、と答えたら笑ってくれた。

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発車しても景色はまったく変わらない。

ずっと、線路に沿って、道路といえるのかどうかわからないが、クルマのわだちが続いている。こちらは退屈しのぎか、ときどき意味なくカーブしてはすぐまた戻ってくる。

出発する前に、世界中をバイクで走った男の本を立ち読みした。ナラーバー平原も走ったという。その中から。

その1。平原の前後をあわせると恐らく1000キロくらいもガソリンスタンドがない。そのためサポート車が先行して、約束した場所に燃料他をデポしておく。これを他人が使つてしまうと、普通の窃盗よりはるかに重い8年だか10年だかの懲役になる法律があるという。確かに命にかかわる。

その2。どうしようもないトラブルになった時、電線をさがせ。運よく電線があったら、電柱によじのぼり電線を切ってしまえ、電気か電話が不通になった原因を調査しに飛行機が飛んでくる。

ランチはマンチェスターからのご夫婦とご相席する。4人ずつの席にポツンと2人となるとちょっと寂しそうじやないですか。ただし一緒になりなくないカップルがある。ピアスをした男2人組。カップルというのかな。

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この夫婦も奥さんがぽつぽつしやべるだけ、アイオワよりももっと口数が少ない。こちらは話をしなくてもいっこうにかまわない。お昼寝ですね、とお互いに早めに切り上げる。

昼寝からさめても景色は変わらない。コンパートメントにいる時にはふつう、せまいこともありドアは開けている。でも今はみんな閉めたまま、まだみなさんお休みですな。

意外と10キロか20キロごとに信号所があり、時おり貨物列車とすれちがう。長い。1キロ以上の長さだ。重連または3重連で、機関車の後ろに客車を1両つないでいることが多い。乗務員が交代で休むのだと思う。こちらは機関車1両、故障でもしたらどうするの、その辺の野原とは違うのだから。

すれ違う時はたいてい貨物が優先、こちらが側線で待ち、あとから来た貨物がゆっくり通過する。あれだけ重いと止まるのも動き出すののも大変だろうと思う。もっともインディアン・パシフィックも、日本のブルートレインの倍くらいの重量がありそうだが。

西オーストラリア州との境界で停車、まったく変わりばえがない中で、境界の看板の写真でも撮ったら、ということらしい。この看板にも落書きがある。命がけで落書きしに来たヤツがいたのか。

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午後遅くなって、潅木がやや増えてくる。やがて、ナラーバー平原のへり、という表示が見える。この頃から、線路の数百メートル先に、並行してフェンスが続く。ノーマンズランドがサムワンズランドになったわけか。耕作しているのでもなく、放牧ししているようでもない、誰がなんのために所有権を主張しているのかはわからない。フェンスと線路の間の、クルマが通る部分も少し道路らしくなってきた。ころがっている石ころをひろって、両側に並べている、というだけの話だが。今朝からずっと、線路沿いに道路または道路らしきものはあったが、信号所以外の所では1台もクルマを見なかった。

少し起伏が見えてきたし、気がつかないがカーブがかかり始めているのかもしれない。信号所の通過時間は相変わらず1時間半遅れ。

夕食はオランダの夫婦と一緒。メインは魚かチキンかカンガルーですと。カンガルーを注文する人がいちばん多いみたい。きのうたくさん見えたカンガルー。汽車に驚いいて、線路と直角に逃げていく。数百メートル行って立ち止まり、後ろを振り返る姿が可愛かった。私はやだよ、チキンにする。

この夫婦も奥さんが話し、ダンナはほとんど黙っている。ところが、来年行くハンガリーのこととか、ドイツが好きなのにオランダに行くことになって、7年いたらすっかりオランダ好きになって帰ってきたどこかの指揮者のことなど、話が結構はずんできたら、割り込みたがってきた。

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私は英語が下手なのでうまく言えないが、そのことについては意見がある、という具合。そうか、アイオワもマンチェスターもだんなは英語が下手なんだ、と思ってひとりでにんまり。オランダは今、経済がうまくいっており失業も2%程度、それも、日本は10時間とか12時間とか働いていろいろ言われたようだけど、オランタも同じように頑張ってきたからなんだよね、という。私よりはうまい英語で、でもなんといっても英語をマザータングとしない人とは話しやすい。

食事が終わる頃、時計を1時間半遅らせてくれという。なんだなんだ、時刻表ではクックから西オーストラリア時間、となっていたじゃないか、それなら結局時刻通りに走っていたわけじやないか。

なぜ今ごろ、と考え、そして結論、真っ正直に西オーストラリア時間にすると、次の停車駅への到着時間から逆算して、5時位から夕食にしないと片付け終わらない。時計が5時ではハラが減らない。と考えると、いま時計を遅らせるのが妙手だとわかる。ものわかりのよい人。

部屋に戻ると平原に夕日が美しく沈む。沈んだあとの夕映えも美しい。雲の係り具合がいい。最近は夕焼け評論家を開業できそうなくらい夕焼けを見ることが多いが、その中でも傑作のひとつに数えられる。

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このあとパースの夕焼けもよかったが、おっとこれはあしたとあさっての話だ。潅木が木になり、放牧の羊が散見され、先頭の機関車や最後尾の車を積んだ貨車が見える程度のカーブがあらわれはじめる。

すっかり暗くなった頃、鉱山の町カルグーリーにゆっくり到着する。鉄道関係者用以外の住宅をきょうはじめて見た。鉄道関係者以外の人間も、けさのアポリジニーのおやじ以来はじめて見る。

ここでの停車時間はなんと3時間10分。きのうのアデレードと同じく、お退屈しのぎにバスツアーが用意され、希望者は繰り出していく。アデレードでは、到着が遅れて時間が1時間くらいしかなかった。あわてて出て行ったバスツアー組が戻った時は発車ぎりぎりで、みんな汗をかいていた。夕方のラーツシュにはまったらしい。その時には一緒に行こうよと誘ってくれた通路向こうのジルねぇさんも、夜の鉱山の町を見てもねえ、と居残り。私は全長500メートルほどある列車をゆっくりと2往復ほど視察。

一度はホームに出た居残り組も、あきて車両に戻った頃にもう一度機関車のところにくる。交代した機関士が、発車までまだ2時間以上もあるのに、運転席内を点検している。ひとしきり済んだころをみはからって話しかけてみる。

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口が重そうな人、でも質問には答えてくれる。無愛想だけど責任感はしっかりしている。そんなところが洋の東西を問わない機関士気質か。明るくてお茶目な鉄道機関士なんて想像しにくい。インデイアン・パシフィックに乗りたくてオーストラリアに来た、汽車が好きなんだよね、と言うと、そんな彼がニツコリ笑って、おれも同じだよ、と言った。

あまり長く話ししていては悪いと思い、礼を言って辞去しようとすると何か言っている。わからないので聴きなおすと、しきりに中を指している。おいおい、中を見ていかないかと誘ってくれているのだよ。サンキュウサンキュウべリーべリーマッチ。大喜びで運転席によじ登る。他の人がいなくなるのを見計らってきたのだが、作戦は大成功以上だった。

いろいろなメーター類や列車を動かすレバー、列車や通信の状態を表示するディスプレイなどを説明してくれる。大きな押しボタンがあるのでこれなあにときくと、デットマン装置というのか、30秒以上何の操作もしないときにはこのボタンを押さないといけない、そうしないと自動的にブレーキがかかるという。居眠りしたくなるような線だもんね。

食べ物や飲み物を入れる冷蔵庫もついている。機関士ふたりでパースまで乗務するという。東はクックまで行くよ、とのこと。パースまで11時間、クックが10時間かかる。日本の夜行列車だと、ひとり乗務だが2時間かそこらで交代する。せいぜい2時間半も走ると、時刻表では通過印の駅に停まって交代したりする。

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もっといろいろ聴けばよかったな、あがってしまったんだな。でもよかったなとニンマリしながら駅舎の方に戻る。貧乏人クラスの3人娘がハンバーガーをばくついている。少し歩いた所に店があった、でもこわかった、アポリジニーの人たちがたむろしていて、みんなで言ってはいけない単語を並べていた、とのこと。こちらは早速自慢話、機関車のことを話すとうらやましがる。鉄道のことをもう少し話すと、こだわりがあってそれを実現できるのっていいですね、と言い出す。

あとひと晩でパース、頑張ろうね、オレはベッドでゆっくりするけど。またイヤミなおじさん。                

部屋に戻ると、自分ですると言ったのに、車掌さんがベッドを作ってくれていた。まだ発車までは1時間以上もある。発車風景は見なくてもいいや。寝るとしよう。

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  おまけ
パースにて
杉作

7泊8日の旅なのに機中2泊汽車3泊でホテルに泊まるのは2泊だけ、張りこんでやれとハイアット・リージェンシーをリクエストした。

予約票にリージェンシー・クラブとあったが、これが上等クラスらしい。エレベータも8階と9階には、キーのほかにつけてくるタッグを差し込まないと行ってくれない。こういうの好きだな、虚栄心を十分満足させてくれる。部屋も2人部屋のシングルユースで広い。2万円もしないでいいのだろうかと申し訳なくなる。多分JTBの力があると思う、あそこはバカにしてはいけないのだろう。

朝食は8階のラウンジにて、これが料金に入っている。朝食のあとは飲み物とビスケットを用意してあります、夕方6時からはお食事前のドリンクを召し上がれ、いずれも無料です、という。

6時ジャストではあまりにもがっついているかと、少しもったいつけてからでかける。あっ、しばらくすると夕陽になる、よく見えそうだ。隅の、あまりよくなさそうな、でも正面に夕陽が見えそうな席につく。

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ボーイがきて、あちらの席の方がいいですよとすすめてくれる。あのサンセットを見たいのさ、あ、それならここがいいですね。ジントニックがうまい。

お日さまが沈む方向に薄い雲が2層かかっている。最初の雲にかかって一度かくれる。すぐまたお出まし。まぶしいので部屋に戻り、サングラスをとってくる。ボーイがきて、グッドアイデアだねと声をかけてくる。

2つ目の雲に入ってまた出てくる頃には雲全体が燃えてくる。上空にある雲も美しいオレンジ色に染まる。今度はウエイトレスが見にくる。本当にきれいですね、飲み物をもうひとついかが。うん、同じものをもう一杯ちょうだい。

3度目にかくれて本当のサンセット。ご存知ですか、夕焼けがいちばん燃えるのは太陽がかくれたあと。我が家から見る夕焼けで、今日は見えないと思っていた富士山が、陽が沈んだあとに実にくっきりとシルエットを見せることもある。

しはらくは呆然と。

ボーイ、ウエイトレスに礼を言って食事場所に。

お飲み物は何になさいますかときかれて、もう飲んだ、水をくれとは言えないものだ。金を払う酒をもう一杯いただく。

   

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翌日
きのうのボーイがウインクで迎えてくれる。当然同じ席に。日が差すからとレースのカーテンをしてあるのを、開けましょうねと引いてくれる。うんわかっとる。

きょうは雲がまったくない単純なサンセット。一直線に、少しずつ色を変えながら。沈む直前には一段と輝きと美しさを増す。離れた席にいた、年配の日本人のご夫婦も気がついた。おしやべりをやめた。きれいねえと歓声をあげる。きれいだねえと連発しはじめた。同じものを見て、同じように美しいと感じてくれる人がうれしい。

そうなんだ。夕焼けの美しさは、どれが一番とか、きのうときょうではどっちがとかいうものではない。きのうの美しさときょうの美しさがあるということ。もうひとつ言えば、きのうの自分の気持ちときょうの自分の気持ちがある。

汽車の中で、何人かに、ところでどんな仕事してるのときかれた。日本人はすぐにどんな仕事どんな会社どんなポストときくというけど、きかないのにきかれたのがおかしかった。適当なことを答えたけど、2回ほど本当のことを言った。7月に会社をクローズして、始末が思った以上にうまくできて、少しくらい遊んでいいと思ってセンチメンタルジャーニーにでかけてきたと。

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ところがパースの夕陽は、少しもセンチメンタルにならず、ただひたすら美しいと感じることができた。おセンチになってもいいけれど、オレは元気だぜ、と思えたのがうれしかったわけ。

さて、赤がわずかに残り、まわりの紫が濃くなった頃席を立つ。ボーイにはすばらしいショーだったよありがとうと礼を言い、あのご夫妻には、失礼ですがきれいでしたよねと声をかけ。じつはこのご夫妻、翌朝も帰りの空港でもお目にかかったが、その都度とてもていねいなごあいさつをくださった。

なんとなく、初めてのパースは1泊では短いひとりで3泊では長いと思った。日曜日朝9時半の到着から火曜日夜の出発まで、どこに行くというあてもなくレンタカーを予約した。

 一応旅行案内書も買ったが、食欲をそそられる所はない。だいたい観光客が集まる所は自動的に避ける性分。

とりあえずインド洋を見るかと、北の方、住宅とビーチが並ぶ地区に向かう。こんな所に住んでいいのだろうか、きれいすぎる、のんびりしすぎる。人間、時には自然と厳しく対決するような所にいないとロクなものにならないと、ひがむ。ハラがへったら外に出て落ちている物をひろってきて食べればいい、となったら、人間堕落しないか。いや、別に静岡とかいうわけじやなく、でも登呂遺跡は静岡だな。

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もう一度旅行案内を広げ2日日の作戦を練るが、行きたい所がない。だいたい歴史がない。パースの近くフリーマントルという町に、オーストラリアでも一番古いクラスの物が並ぶ街があるというが、その建物が19世紀前半、他には流刑の地オーストラリア、昔の監獄が観光のため開放されているが、監獄なんてわざわざ見にいかなくてもそのうち入れられるかもしれないし。

ホテルは居心地がいいし、ここにゴロゴロしてもいいか、そうするとレンタカーがもったいない。

とにかく走ってみよう。

第2日はとにかく南に向かう。海沿いのハイウェイ。売りだし中の住宅地があるので寄ってみる。思わずオッと声が出る。あまりにもきれい。空の育と海の育と雲の自と木々の緑と家のレンガ色。戻ったハイウェイはいつまでも、右に行っても左に行ってもリゾート地のような景色が続く。   

百数十キロ走って左に折れる。買った地図にはかなり細かい道路も記入されているので、それを見ながらとりあえずあっちに行こう、という感じ。2、30キロ離れてほぼ並行するもうひとつのハイウェイがあるので、これに出てパースに戻ることにする。

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さっきの道は多分新しく、大トラをはじめかなりの交通量があるのに比し、こちらは車は少なく景色もひなびている。なかなか好ましい田園風景だ。

約300キロを走ってホテルに戻る。

きのうは北、きょうは南、となればあすは東か。まっすぐ東に行くと地図からはみでるので、南東に向かってあの低い山脈を越え、北に行ってから帰ろう。

つくづく、我ながら、天才と思いますね。誰にも教えられずに、こんなに素晴らしい所をさぐりあてるのだから。

南東に走るハイウェイは、ゆるやかな勾配を連ねながら山脈を越える。片側1車線ずつで、時折追い越し車線がある。両側に広く空き地をとって木々が並ぶ。その間からむこうに草地がのぞく。北海道の好ましい風景のスケールを何倍かにしたようなものだ。

この辺でと、斜め左の道に入る。数十キロ走ってもう一度斜め左に、これでほぼ東に向かう。もうなんと言ったらよいのかという風景。

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うまく伝わるだろうか。こんな風景。

大好きな、中部ドイツの丘陵が連なった風景というのがある。これにそっくりなのが北海道・美瑛の風景。やさしい風景で心休まり、いつまで見ていてもあきない。季節によって様子も変わるがそのことは今は置いといて。その風景を横に3倍から5倍にのばしてみたのが、パースから100キロくらい内陸に入った所の風景なのだ。丘陵のカーブはゆったり、ちょうどゴルフ場のような具合で、木々の残し方も美しい。日本のゴルフ場なんて無理して山をけずって、きれいはきれいだが、球ころがして遊ぶだけの割りにはとても高いお金がかかる。ここでは、草刈って穴をあければ即ゴルフ場という風景が、1時間突つ走ってもまだまだ続く。いくら続いてもうれしくてあきない。今は乾季、牧草も小麦も乾いた茶色に近い色、緑の季節ならもっときれいだろう。

広くて豊かなオーストラリアを体験し満喫する。ときどき、野越え山越え、太いパイプが走る。この豊かさは、人間が開き、水を引いて得たものなのだ。もったいないもったいない、私ひとりで味わうなんて。

3日目の走行距離は約450キロ。

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こちらの人は、実にまじめに制限速度を守る。なぜか。制限速度の設定が高い。人家がないところでは、そして人家などロクにないのだが、110キロのマークが出ている。センターラインもない程度の道で、なかなか110キロも出せるものではない。ときどき対向車両がくると、スピードを落として左側の車輪は舗装部分からハミ出させてすれちがう。集落、といっても5軒か10軒だったりするのだが、に近づくと70キロくらいの制限になる。

ハイウェイでも同じ。ハイウェイといっても時には街中を通り、信号もある。制限速度が70キロになれば、皆70に落とす。日本の感覚で10キロや15キロは越えてもいいだろうと思うと、いつのまにか、すぐ後ろについていた車との間隔が大きく開いていて、恥ずかしくなる。

オーストラリアでも東海岸で運転した時には、飛ばし屋も、セコイのもいたけれど、西ではまずいなかった。3日間で約900キロ走ったが、交通事故というのを一度もみなかった。

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