さて、ショパンコンクールは、1927年に第1回が開催され、ほぼ5年ごとに開かれている、世界的に最も権威あるコンクールの一つで、ピアニストを目指す者にとっては最高の登竜門と見なされている事は、皆さまご存知の事と思います。エリザベート王妃国際音楽コンクール、チャイコフスキー国際コンクールと合わせて、世界三大コンクールと称されていますね。このコンクールでは、出場資格が16歳以上30歳以下と制限されています。
過去の優勝や高位入賞者には、オボーリン、アシュケナージ、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマン、ブーニンなどの名前が並んでいます。
日本人では、1965年に中村紘子が第4位(この時の第1位はマルタ・アルゲリッチでした)、1970年に
内田光子が2位に入ったのが有名ですが、日本人で10位以内が今まで12人居るそうです。(因みに、中村紘子(さん)は、中等部で僕や福井(川西)さんと同期でした。彼女は女子高には進まず、ジュリアードへ進んでプロの演奏家になりました)
さて、ショパンのピアノ協奏曲には第1番ホ短調と第2番ヘ短調の2曲があります。
実は第2番ヘ短調の方が先に作曲されたのですが、その1年ほど後に作曲された第1番ホ短調の方が 先に出版されたため、その出版時期が前後したという事情により、
現在はこのような番号付けとなっているそうです。
先に書かれたピアノ協奏曲第2番は、初恋の人
コンスタンツィア・グラドコフスカへの実らない片想いに悩む青年ショパンの想いが全曲を通して根底に流れていて、 豊かな詩情とファンタジーを湛えた楽想が豊かな感興に乗って流れて行き、聴く人の胸を打つ作品です。今回のダン・タイ・ソンの演奏は、まさにその通りの、素晴らしいものでした。
余談ですが、「世紀のショパン弾きは?」と問われたら、皆さま誰を推薦されますか?
多くの方が、アルトゥール・ルービンシュタインをお挙げになる事と思います。ルービンシュタインは、ポーランド出身のピアニストで、様々な作曲家の作品の演奏で国際的な名声を博し、特にショパンの演奏では最も優れたピアニストであるとみなされています。
ただ僕は、ルーマニアのピアニストのディヌ・リパッティ(Dinu
Lipatti, 1917年3月19日 - 1950年12月2日)を挙げたいと思っています。
彼の透明な音色と、孤高なまでに洗練されたピアニズムは古今でも随一でしょう。彼のショパンのワルツ集は絶品だと思いますし、彼が弾く、モーツァルトのピアノソナタ8番の第二楽章は、「もし無人島に流されるとしたら、いったい「三枚」何のレコードを持っていくか?」という問いへの、僕の答えの第一枚目です。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」とどちらを選ぶか、大いに迷うところです。(「無人島に電気は有るのか」なんて野暮な質問はしないで下さい。後の二枚は、ホロヴィッツの「トロイメライ」と、グールドの「ブラームスの間奏曲集」かなあ・・・)
リパッティーは、1933年ウィーンの国際ピアノコンクールで第2位となりましたが、この時審査員の一人だつたコルトーがリパッティの第1位を強硬に主張し、とうとう審査員を辞任するという事件がありました。以来リパッティは、パリ音楽院でコルトーに師事する事になります。
この演奏会の、やっと手に入れた3階のフロント席には、一枚90万ドン(4,500円)を支払いましたが、決して高くはありませんでした。
(ただ、VNSOは、いつも通りに「いまいち」でしたけど)
(2016/3/14)
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