SUEのエッセー

ハノイの街角より

ハノイ大教会


ベトナムでは宗教の自由は保障されてはいますが、反面それに制限が有る事も法律に明記されています。 過去には、2001年、2004年に、山岳民族による暴動が元で、プロテスタントへの弾圧が有りました。 1992年には仏教教会が弾圧に抗議して、騒乱事件が起きたりしています。 仏教徒への弾圧では、これはベトナム解放前の事ですが、ベトナム戦争のさ中の1963年に、政府に抗議をして、サイゴンのアメリカ大使館の前で焼身自殺を遂げた仏教僧の事が思い出されます。

当時のゴ・ディン・ジエム大統領はキリスト教徒であり、戒厳令を敷いて、共産主義者のみならず仏教徒をも弾圧したのです。 この焼身自殺を、時の秘密警察長官の夫人が、「坊主のバーベキュー」と呼んで世界中の避難を浴び、世界が一挙に「ベトナム戦争反戦」へと向かうきっかけとなりました。

2008年のベトナムの宗教に関する資料では、仏教(主として大乗仏教1,000万人)、カトリック(550万人)、カオダイ教(240万人)、ホアハオ教(南部160万人)、プロテスタント(100万人)、イスラム教(中部6万5千人)となっているそうです。

ご紹介する「ハノイ大教会」は、ハノイ市中心のホアンキエム湖の近くにあるニャトー(Nha Tho=屋塔=教会の事)通りの小さな広場の奥にある、二つの塔を持つゴシック様式のカトリック教会で、鐘塔の高さは、31.5m、幅20.5m、奥行きは64.5mあります。 広場の中央には、イエスを抱いた聖母マリアの像が置かれ、いつも綺麗な花が飾られています。 ヨーロッパの教会や大聖堂は多くは石造りですが、このハノイ大教会はハノイの炉で焼かれたレンガとタイル造りです。


ハノイ大教会


マリア像

フランスがハノイを占拠したのは1882年、その年にこの教会の建設が始まり、1886年のクリスマスに落成しています。 ですから今は落成からもう130年が経過しています。 当初はフランス植民地支配の「負の遺産」でしたが、今はベトナムの文化的価値を持つ財産になっています。 なおベトナムの北部には、大小480の教会が有るそうです。

教会の正面扉は、ミサの時間以外は閉ざされていますが、以前は、向かって左側の入り口から入って、祈りを捧げることが出来ました。 中に入ると、全ての窓にはめ込まれている美しいステンドグラスに心が洗われたものでした。このステンドグラスはヴェネティアから運ばれたものとの事です。でも今は、余りに観光客が多いからでしょうか、この入り口も普段は閉ざされてしまいました。残念な事です。

私と家内は、毎週欠かさずこのニャトー通りへ行きますが、それはこの大教会に行くためと言うよりは、ニャトー通りに並ぶ民芸店やお土産屋や、カフェやレストランを楽しむためです。 特にこの通りには、ホーチミンとハノイで有名な Ipa Nema (イパ・ネマ)と言う、ヴェトナムブランドのハンドバッグ屋が有り、家内は毎週のようにそこへ“New Model”をチェックしに行くと言う訳です。


イパ・ネマ

娘たちのため、姉たちのため、義理の姉の為、従妹のため、誰それへのお土産のため、、、、と称して、家内はいったい何ダースのハンドバッグをここで買ったことでしょうか………….?


イパ・ネマのハンドバッグ

皆さまも、大教会を観に、又は、イパ・ネマのハンドバッグをお買い求めに、ハノイへいらっしゃいませんか?

(2015/9/28)


カッパさん、
昨日が、「中秋の名月」でした。で、ハノイの街角には、売れ残った月餅が山積みされています。

所で、「SUEの・・・」ですが、アクセス数が、1100を越えました。
「身に余る光栄」ですが、こうなると「又書かなきゃあ・・」と言う強迫観念に襲われてしまいますね。

それで、昨日一寸ハノイの街へ出かけたついでに写真を撮って、「ハノイの街角より ハノイ大教会」を書いてみました。
写真は一枚づつ送りますので、よろしくまとめて頂けますと嬉しいです。

この次までは、しばらくお休みします。
末続