ジャズと歴史にまつわる話

Louis Armstrong and his Hot Five and Hot Seven

Louis Armstrong and his Hot Five

Lil Hardin-Armstrong
(1898-1971)
ルイがニューヨークから帰った1925年の暮に "Louis Armstrong and his Hot Five"、 続いて"Hot Seven"を結成します。

ルイの若き時代の黄金期をむかえます。

その後、2人は1938年に離婚することになりますが、終生よき友人として付き合っていたということです。

1926年2月26日にルイは、初のスキャット・ボーカルをレコーディングしました。歌のタイトルは"Heebie Jeebies"ですが、わざと譜面を落っことして、やむおえず演じたと見せかけて、じつは用意周到にそういうチャンスを待っていたという話があります。

1932年、トランペットの南里文雄がニューオリンズを訪れ半年間滞在していました。ルイは南里を「日本のサッチモ」と呼んだのです。


南里文雄(1910-1975), 1933

サッチモが日本に来たのは1953年で、All Starsを伴っての来日でした。爵士樂堂は中学生になったばかりの頃で、もちろん見てもいませんし、聴いてもいません。帝国ホテルの犬丸さんの話を聞くだけです。

1971年、彼女はルイが亡くなった2ヶ月後シカゴで行われた「ルイ・アームストロングの追悼コンサート」で"St. Luis Blues"の演奏中に亡くなりました。すごい話だとは思いませんか?二人はあの世でもう一度結ばれたのかもしれません。(1998/10)


Marian McPartlandからもらったHot Fiveの古写真


Hot Seven


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