歌をつくる人にまつわる話 The Story of Songwriters |
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Doc Pomus ”ラストダンスは私に”はシャンソンではない (in English) |
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越路吹雪の大ヒット「ラストダンスは私に」は、フランス産のシャンソンだと思っている人が多いと思います。 実際、ダリダがフランス語歌詞の"Garde-moi la derniere dance"をフランスでヒットさせたからです。日本では、越路のマネージャー、岩谷時子が訳詩をしたわけです。 もともとは白人では珍しいブルース歌手Doc Pomus、後にソングライターが専門、とピアニストのMort
Shumanが一緒に作った歌なのです。 |
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このコンビでプレスリーの数々のヒット曲"Viva Las Vegas"などを送り出しています。
ご当地アメリカでは、1960年ごろにThe Driftersが"Save the Last Dance For Me"の大ヒットを飛ばしていました。ディーン・マーチンやマントラも多くの歌手やコーラス・グループが唄っています。という訳で、そもそもは男歌です。岩谷時子はこれを女声の歌詞にしているのです。 このDoc Pomasが90年代に入ってから、不遇のどん底にいたJimmy Scottをもう一度表舞台に送り出そうと、親身になって骨を折りました。しかし、その労が実らないうちに肺がんでこの世を去ってしまいました。 「俺が死んだら、ガーシュインの"Someone To Watch Over Me"を唄ってくれ」とJimmyに言い残したのです。葬儀の教会で、Jimmy Scottは一世一代の"Someone To Watch Over Me"をDocに唄ったのです。
誰もがたまらなかったものと思います。Warner Brothersのレコード会社、Sire Recordの社長、Seymour Steinがその場に居合わせ、感銘を受けたのです。そして、Jimmy Scottは60代半ばの歳でカムバックを果たしました。 Doc Pomusという善意の人間がいて、われわれはJimmy Scottの歌をライブで聴くことが出来たのです。 後年、ジミースコットが来日した時に撮った写真があります。
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