オーストリアスキー教程


Stefan Kruckenhauser(1904-1988)

シュテファン・クルッケンハウザー
(Stefan Kruckenhauser)

クルッケンハウザー教授はオーストリア国立スキー学校の総責任者を長年務めライカの使い手としても名高い人物である。そのカメラの腕でブンデスハイム(国立スキー学校)のスキー教師の写真を撮って本書が出来上がっている。「オーストリアスキー教程」は形の上ではクルッケンハウザーの単著ではなく、全オーストリアのスキー界のすべての人たちのかかわる組織の纏め上げた出版物となっている。しかし、クルッケンハウザー教授なくして本書は生まれない。お国柄、スキーは国を挙げてのスポーツであり、産業ででもある。1930年代からのフランスとオーストリアの競争は激しいものがある。

先ずはオリンピックや世界選手権のアルペン種目でお互いに勝たなければならない運命におかれている。どちらかの国の選手が金メダルを取れば、その選手のはいていたスキーが世界中で売れるという仕組みになっている。名誉だけでないのである。

こういう大会で成績を上げた選手の滑りは分析され、理屈づけられ、やがてスキーを学ぶものへの体系付けられた指導法というものになっていく。オーストリアはこれを国全体が一丸となって行ってきたと言ってよい。クルッケンハウザーはその中心的なオーストリアスキーの指導者の総帥だったのである。

この本が「オーストリアスキー教程」として出版された最初の本である。

1970年代になってオーストリアスキーも変化してきた。ベーレンテクニックと呼ばれる「脚の曲げ伸ばし」によるスキーの操作法である。以前の高い姿勢のすべりが腰掛けスタイルになってしまった。「オーストリアスキー教程」も改訂版が出た。

ノイマーヤーがいみじくもこう弁解した。「スキーも日進月歩」と。そんな頃から流行の滑りを追いかけるようなことは止めた。

靴も牛皮で出来ていたものが、プラスチックの硬い靴になった。スキー板もヒッコリーという木材からメタルスキーというアルミ板を張り合わせた金属スキー、さらにグラスファイバーと言ったようにスキーの材質もいろいろ変化してきた。

名選手カール・シュランツが履いたクナイスルのホワイトスターは一世を風靡した。私がはじめてお目にかかったのは、岩原スキー場のプロスキーヤー、水上さんが履いていたホワイトスターだった。フランスはロシニョールだった。

1990年代の終わりごろにスキーの形状がすっかり変わってしまった。カービングスキーが登場したのである。Curvingと間違える人が多いが本当はCarvingである。曲がるカーブではなく、雪面を彫る・えぐるの意味のカーブである。

この姿勢が基本姿勢である外向傾姿勢と言われる

当時のフランススキーの姿勢と比べると面白い

正反対の姿勢をとっている