ジャズと雑学 |
(28) 戦時中のジャズ・ミュージシャン |
戦時中に音楽家は何をしていたのでしょうか。誰もが思い出す名前は、グレン・ミラーだと思います。映画「グレンミラー物語」ではジェームス・スチュアートとジューン・アリスンを思い出しますが、ミラーは当時、空軍の軍楽隊を率いて各地を慰問して回っていました。1944年暮、ミラーの乗った飛行機がロンドンからパリに向かう途中に消息を絶ち消えました。この飛行機でパリに向かったのはミラーだけでした。 この軍楽隊にはマット・デニスも籍を置いていたのです。しかし、彼はこの事故には遭うことなく、2002年まで生きて天寿を全うしています。 ジミー・ヴァンヒューゼンは、やはり空軍にいたのですが、彼は戦闘機のテストパイロットとして在籍していました。しかし、この話は音楽関係のところには公表されることがなかったのだそうです。 |
1954 |
そんな危険な仕事をしていて、「いつ死ぬか分からない者に作曲の仕事を依頼するやつが居るわけないだろ」と相棒のジョニー・バークに話していたそうです。この話は後になってジョニー・バークがばらしたといいます。 アーティ・ショーは海兵隊のバンドを率いて南太平洋の島々を慰問して回りました。暑くて湿気の多いジャングルの中をツアーしたといいます。そして、17回も日本軍の飛行機に爆撃されたり機銃掃射されたのだそうです。 上記の話はすべて第二次世界大戦中の話ですが、コール・ポーターは、1920年代のことですが軍の情報活動をするためといったお墨付きを持って、パリに赴任していた時代があります。そして、パリの社交界に出入りして派手に遊びまわっていたのです。2005年にコール・ポーターの伝記映画が封切されましたが、それを見るとそんな時代のことも描かれています。彼は生まれも育ちも上流中の上流で、そんな暮らしが出来たのでしょう。 |