歌と歌手にまつわる話

(181) Darby and Joan The Folks Who Live On The Hill


Hammerstein and Kern

2年先輩の物識り、葛西さんがFacebookで「”Darby and Joan”になるまで、人生は一度だから」という書き込みです。私がどれほどJazzを愛してきたかと思うと、こんな言葉が浮かんだのでしょう。

ふと、私の頭をよぎったのはJerome KernとOscar Hammerstein IIの古い古い歌”The Folks Who Live On The Hill”の歌詞です。1937年の歌です。

しかし、”Darby and Joan”の原点は、1735年にHenry Woodfallがロンドンの雑誌The Gentleman's Magagineに書いた詩、The Joys of Love never forgot. A Song.に溯ります。HenryはJohn Darbyのもとで印刷業の見習いだった男です。

後に”Darby and Joan”は「仲睦まじい老夫婦」という意味を持つ代名詞になりました。


Darby and Joan(Royal Doulton)

Oscarさんは、200年後に”Darby and Joan”という老夫婦の名前を歌詞の中に取り入れている。200年前の雑誌の古事を読んでいるということです。驚くべき教養高き作詞家だと思いませんか。そう、それをご存知の葛西さんも。その歌詞には、

・・・・
And when our kids grow up and leave us
We sit and look at that same old view

Just we two, Darby and Joan
Who used to be Jack and Jill

・・・・

という一節がある。Bing Crosbyが最初に歌い、1957年になってPeggy Leeが歌いヒットさせた。

The Folks Who Live On The Hill とは、この年寄り夫婦のことを指しているのだ。

ところが、Peggy Leeは、Baby and Joeと歌っている。おそらく、アメリカではDarby and Joanという名前の意味が、この歌が出来てから20年も経っているのに、まだ、一般人には通じなかったという解説がある。1981年にPeggy Leeが歌っているシーンがYou Tubeにある。そこでもBaby and Joeと歌っている。一生、こう歌ったのだろう。

なぜ、原詞のとおり歌わなかったのだろうと思うでしょ。それはですね。彼女は作詞家だからです。

  


尉と姥

さて、このような伝説は日本にもある。西暦300年代後半に神功皇后の命により建てられた兵庫県の高砂神社の「相生の松」は一つの根から雌雄2本の松が生え、じょううば(いざなぎ、いざなみの尊)の宿る神木と称された。「尉と姥」は”Darby and Joan”と同じく「老夫婦和合」の象徴である。

世阿弥の能「高砂」は相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能で昔の結婚式では、

高砂や〜、この浦舟に帆を上げて〜・・・

と謡曲が演じられたものだ。「あいおい」は「相老」にも通づる。

Oscarさんが生きていたら教えてやるのになぁ。

  

ボサっとして見ていると混同するタイトルの歌がある。”The Fool On The Hill”だ。翻訳すると「丘の上の愚者」となる。冗談でこういうタイトルを付けたのか、この愚者とは地動説のガリレオを指している。ガリレオを馬鹿にする歌なのだ。歌詞を読んでみてください。おちゃらけで歌のタイトルをつけたり、詞を書くというのは不謹慎に見えませんか。大体のビートルズファンは、そういうところを見ていないのです。私はビートルズの悪戯だと思います。

1935年の”I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter”というFats Wallerの弾き語りで有名になったスタンダードがあるが、”I'm Gonna Sit Right Down And Cry Over You”というのが出てきた。パッと見たときは「また、同じかよ」とヒヤッとしたもんだ。つまらなくて1コーラスで聴くのを止めた。ビートルズ世代の人にはFred E. Ahlertなんて作曲家は知る由もない。今どき、”Mean To Me”なんて粋な歌を歌う人は滅多にいなくなった。

ついでにもう一つ書こうか。1934年の”P. S. I Love You”がある。Johnny MercerとGordon Jenkinsのコンビが書いた佳曲だ。知りながらか、知らずしてか同じタイトルの”P. S. I Love You”を1962年に発売した。レコードのプロデューサー達は「A面には相応しくない」とこの歌をB面にしたという。後ろめたかったのだろう。今や、ネットで検索してもオリジナルの歌にはちとやそっとでたどり着けません。

エイ、もう一つ。ビートルズの”Yesterday”を聴いたとき、新鮮なメロディとユニークなコード付けにはびっくりしたのだが、とっくの昔、1933年にJerome Kern/Otto Harbachにより”Yesterdays”が書かれている。「何故、この人たちは紛らわしいタイトルの歌を出すのだろう」といぶかしく思ったものだ。

60年代に登場して世界の隅々にまでその名を轟かせたことは確かだ。しかし、ジョン・レノンが

「ビートルズはキリストより有名になった」

とまで言った。若気の至りもここまで来るとは・・・。後年、ローマ法王庁は「有名になった若者が豪語したに過ぎない」という見解を出したそうだ。ジョン・レノンは子供扱いされたのですよ。

  

ありとあらゆる歌手がこの歌をカバーしてきたが、私が一押しにするのはクロスビーでもペギー・リーでもない。1911年(明治44年)生まれのマキシン・サリバンの、しかも、このバージョンです。バックはライオネル・ハンプトン楽団で1955年のレコーディングです。

 

↑↑映像を開始してから歌詞をクリックしてください

マキシンは亡くなる前の年、1986年に富士通コンコード・ジャズで来日しました。わたしはこのお婆ちゃんが大好きでした。(2015/7/2)

  

オージーサンズのレパートリーにビートルズが3曲ばかりあります。これらは大原江里子の編曲ですが、1曲目のアレンジができたとき、オリジナルのメンバーだったKさんが「ビートルズをやるなら辞めます」と言って、96年にコーラス・グループから身を引きました。メンバーはK氏の偏見と思っていたのでしょう。

私は後になってその話を聞き「そこまでしなくてもいいのに・・」と思った時代もありますが、K氏はこういうビートルズの行状を知っていたのでしょう。だから、コーラスグループを辞めたのです。何も知らない人はハッピーです。

というわけで、現在のオージーサンズがあるのはビートルズのお蔭だという話になった。「K氏が続けていたら、わかGがグループに加わることはなかっただろう」という話だ。

K氏とはカサイさんのこと。

⇒ オージーサンズのメンバー変遷

(2015/8/15・70回目の終戦記念日)


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