今年の末には、通算6年間滞在したハノイから最終帰国となる「見込みとなった??」ので、業務の間を縫って、ミャンマーへミニ旅行をしてきました。
インドシナ半島
インドシナ半島は、東の南シナ海から西のベンガル湾まで、
・ベトナム
・ラオス(北)とカンボジア(南)
・タイ(北)とマレーシア(南)とシンガポール(南端) そして更に、
・ミャンマー
と並んでいます。
ハノイからミャンマーのヤンゴンへと、同じくハノイからタイのバンコク迄とは大体似たような距離、ハノイから香港までも、東京から九州までの距離と大体同じようなオーダーでしょうか。 いづれにしても、皆「近くの国々」です。
ミャンマーは1824年から1937年まで、英国の統治下(植民地)にありましたが、1943年から1945年にかけて日本の支援を受けて独立し、1948年にはミャンマー(ビルマ連邦)として独立しました。「ビルマ」も「ミャンマー(この単語は元々文語として使われてきたとの事です)」も、ビルマ語での国名は変っておらず、変更したのは、英語の表記のみです。
「ビルマ」という言葉で思いだすのは、小学校生の頃に見た「ビルマの竪琴」と言う映画ですが、この名作を覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。 日本の「南進政策」で、ビルマで英軍と戦った日本軍の水島上等兵が主人公で、モデルは、ビルマで終戦を迎え、復員後僧侶になった群馬県利根郡昭和村の雲昌寺前住職
中村(武者)一雄だったと言われています。
水島は、道々で目にする無数の日本兵を葬むろうと、帰国することを諦めて出家し、本物の僧侶となった、と言うのが、映画のストーリーでした。 映画の最後で、水島が飼っていたインコが「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と、水島からの最後の手紙を読む隊員たちに呼びかけるシーンが思いだされます。
さて、ミャンマーの首都はずっとヤンゴン(旧ラングーン)でしたが、2006年からはネビドーが首都になっています。 なお、ヤンゴンの空港のIATAの名称が、YGN(ヤンゴン?)ではなくRGN(ラングーン?)なのは、その名残でしょうか?(末続の勝手な思い込みです)
飛行機で飛びながら下を見ると、緑の木々(と言っても、マレーシアやインドネシアなどの熱帯の鬱蒼としたジャングルでは有りませんが)と、多くの川(支流)と、茶色の農耕地が続いています。 統計では、豆、コメ、落花生、唐辛子、ニンニク、胡麻などが主要農産物のようです。
ヤンゴンは、バンコク、シンガポール、ジャカルタ、クアラルンプールと並べる事が出きる大都会です。 ミャンマー総人口(約5000万人)の15%がヤンゴン地区に居住しています。 ハノイでのバイクの洪水と雑踏に慣れた身には、極めて整理された近代的都市に感じられました。
そのミャンマーのGDPは、日本の約1/60で、人件費もベトナムより更に低レベルですので、ここハノイに進出している日系企業の幾つかは、すでに、次の進出先にミャンマーを見据えています。ただ、道路や交通や電力、その他のインフラがまだまだで、「まだ、一寸だなあー」と言うのが正直な雰囲気でしょうか。
「ミャンマーは仏教国」と言う認識は充分持って訪れましたが、とにかく見渡せば、あちらにもこちらにも、これでもかこれでもかと言わんばかりに、金ピカのパゴダ(釈迦の遺骨や経文を納めた仏塔)があり、いたるところで托鉢するお坊様にお目にかかるので、「なあるほど」と思ってしまいます。
どのパゴダにも、東・西・南・北に、これも金ピカの大仏(座像だったり立像だったり、様々ですが)が鎮座しており、多くのミャンマー人が祈りをささげていました。
今回の旅行では、ヤンゴンの他、ミャンマーのほぼ中央にある仏教都市のパガンを訪れました。 バガンは、西暦874年に最初のビルマ統一王朝であるパガン朝が出来た時の都で、カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡と呼ばれる遺跡群です。 仏塔の数は、3000を超えるそうです。
中でも、ポッポ山の頂上にある「天空の寺院 タウンカラット(尊敬される者という意味らしい)」は素晴らしい遺跡で、頂上まで770段もの石段を登らなければなりませんでしたが、それだけの価値は十二分にありました。(おかげで5日経った今でも、ふくらはぎが痛みます。)
ポッポ山と、頂上のタウンカラット
その他にも多くの遺跡を訪れました。この季節の気温は37〜38度で、覚悟していたほどの暑さは感じませんでしたが、お寺に入る時は、何処でも靴も靴下も脱いで裸足で入らなければなりませんので、とにかく歩くたびに、足が「アチチ、アチチ」となってそれが大変でした。
最終日はヤンゴンへ戻り、「寝釈迦佛」で有名な、チャウタッジーパゴダを訪れ、その後ハノイへ戻りました。
チャウタッジーパゴダ
パゴダの大仏様
余談ですが、日本の大仏は丸顔で、頭は螺髪(らほつ)=丸まった髪の毛=になっていますが、もしかするとこれは、仏教の伝来元の印度民族の顔なのでしょうか?
バンコックで見た大仏は細面で切れ長の目で、家内と「綺麗なお顔ねえ」と感心してホテルに戻りましたら、ホテルのレセプションの女性が全くその「綺麗なお顔」でしたし、今回ミャンマーで見た少々ふくよかな、丸顔の大仏様と、バガンからヤンゴンへ戻るミャンマーの国内線のスチュワーデスが、まるでそっくりでした。 仲間の皆で、「そっくりねえ」と、大笑いしてしまいました。
皆様も、日本からミャンマー旅行を企画され、途中ハノイで一日ストップオーバーされませんか? 土曜日を「ハノイ自由行動日」として頂ければ、一日ハノイをご案内致します。
ただし、今年の8月頃までですけど・・・
末続(2018/3/27)
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