ジャズとコーラス Story of Jazz Chorus |
(57)The Rhythm Boys and Bing Crosby |
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ビング・クロスビー=”White Christmas”の方程式を思い浮かべるだろう。 ビングも元々はソロシンガーではなく、学生時代からAl Rinkerとバンドを作り、Duoで歌っていた。RinkerはMildred Baileyの弟だが、姉を頼って2人でロサンゼルスに出てきた。 そこで、ポール・ホワイトマン楽団に雇われ、Harry Barrisが加わりトリオのコーラスとなった。30年封切の映画「King Of Jazz」に出演したが、ホワイトマン楽団を首になり、Gus Arnheim楽団に鞍替えする。 そこで、ソロでレコードデビューし1931年の”I Surrender Dear”がラジオで大ヒットした。これが、ビング・クロスビーの名を知らしめることになる。 |
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それでRhythm Boysは解散となり、クロスビーはソロシンガーとして出世の階段を上ることになった。 1941年の映画「Holiday Inn」で歌った”White Christmas”は1億枚のレコードを売上げ、ギネスブックの世界記録となっていた。後にマイケル・ジャクソンが破ったらしい。 シナトラもHoboken Fourというコーラスが出発点である。メル・トーメは自分でMel-Tonesというコーラスを作っていた。さらに言えば、アンディ・ウィリアムスも兄弟4人のWilliams Brothersが最初である。多くの人はクロスビーもシナトラもメルトーメもアンディもコーラス出身と知らない人が多かろう。 日本ではこのような例は見られない。底の浅いところか?
(2017/2/16) |
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