歌とミュージシャンにまつわる話 |
(406) 稲垣次郎死去90歳 |
稲垣次郎(1933-2024) |
稲垣次郎さんの訃報を見つけてしまいました。2024年1月18日、肺炎のため亡くなっていました。90歳でした。今日は3月12日ですから、2か月近くなります。 最後にお会いしたのは、2018年12月12日の前田憲男さんの追悼コンサートでした。本来は前田さんトリオで阿川泰子が歌うというキャスティングでしたが、前田さんは11月25日に亡くなってしまいました。しかし、主催者の服部真二からは「コンサートはやります」との通知がきました。 前田さんの代わりに7人のミュージシャンが呼ばれていました。次郎さんをはじめ、平原まことさんや原田忠幸さんらです。 |
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私の親友であり、ジャズの師匠だった沢田靖司は、最初のレコーディングが稲垣次郎とソウルメディアでした。後に、コロンビアはCDに復刻もし、私の所に沢チンの分と2枚を送って来たのです。それ以前に、昭和初期のコロンビアバンドの古写真をコロンビアに送ってあげたので、私はコロンビアには大切にされたのです。 平原さんも昔からの仲良しですが、大阪在住で中々会う機会が無いのです。まさか、わかGが来ているとは思いもしないはず。クリビツだったのです。でも、2021年11月26日に69歳という若さで亡くなってしまった。 原田忠幸、たーちゃんは笈田敏夫の「ゲソの気まぐれコンサート」出演で、OZSONSのバックをやってくれたことが有るんですよ。 ◆ ◆ ◆ 会場には可愛い後輩の中川ヨウちゃんが来ていて、「終わったら楽屋に行こう」と。「平原さんは、久し振りだから・・」と楽屋に入って行きました。 なんと、前田憲男の一人部屋が予定通り用意されたままになっていました。 昔、阿川泰子さんは沢チンの所でジャズボーカルを勉強していたころがあります。以前にも沢チンのライブで一緒になったことがあり、同じテーブルで話をしたことを思い出します。会うのはそれ以来。初めて会ったのは30年程前、夜更けの遊び場、六本木のDOMINANTに現れた時でした。わかGの歌を聴いて彼女は言いました。「本格的ですねェ」と。
次郎さん、どうぞゆっくりお休みください。R.I.P. (2024/3/12)
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