ジャズと小噺 |
(24) 司会者MC |
小島さんは11PMの司会者となり、そのソフトな話し口とベストドレッサーの紳士としてお茶の間の人気者となったことは記憶に鮮明に残っていることと思います。 それまでの司会者は、ミュージシャンを「さん付け」で呼んだものです。歯の浮くようなお世辞もたらたら述べる司会者がうようよしている時、小島さんは全くスタンスが違っていました。「これから、ナンシー梅木が歌います。笈田敏夫が歌います」といった具合です。出てくるミュージシャンは小島さんの番組での「売り物」なんです。自分の身内に「さん」なんてつけることはありません。司会がコンサートや番組を取り仕切るマスター・オブ・セレモニーという地位を確立しました。 こちら側は1つ、あちら側はお客様というわけです。 ◆ ◆ ◆ ◆
さて、時代は変わって新しい話です。ブルーコーツの創始者、長尾正士さんが1998年に再結成したオルフェアンズのディナーパーティが2002年に皇居前パレスホテルで開催されました。
このアホ司会者は「姓はシバ、名がコウジ」だと思っていたのです。彼にはBaron Shibakojiを知る由もありません。ただ、人が「しばこうじさん」と呼んでいるのを、耳で聞いただけなのです。 さすがの芝小路さんも「むっ」とした表情を見せました。この夜はきわめて不愉快な夜となってしまいました。 これには主催者の長尾さんは参ってしまいました。2年後のパーティにはOZ SONSもゲストで呼ばれましたが、司会は鈴木治彦アナウンサーでした。ユーモアたっぷりの紹介をしてくれました。これは、気持ちよかったです。事前に私達にプロフィールをちゃんと聞いてメモを取っていました。名前のフリガナも間違うことありません。 ◆ ◆ ◆ ◆
誰が彼を指名したのか全く存じませんが、よく喋る司会でした。どんどん時間が経ちます。ただでさえ次々とバンドが入れ替わりますから上手く進行してもらわないといけません。その進行役が一人でくちゃくちゃ喋りまくって、われわれの予定時間は約40分以上遅れてしまいました。 この男もバカ司会者の見本です。 ◆ ◆ ◆ ◆ つい先日、沢村美司子の妹の沢村まみのイヤー・コンサートがありました。司会は鈴木治彦さんでした。さずがにまみちゃんはコンサートで一番重要なのは司会者だという事がわかっていたのでしょう。 司会者を決めることはパーティやコンサートを成功させるかどうかの分かれ道です。 (2011/6/8) |