しょうちゃんの繰り言
靖国の子 |
先日、新聞で「靖国の子」という表題が目について記事を読んだら、父を戦争で亡くした方の亡父に対する切々たる心情が述べてあった。筆者は終戦当時10歳位だったらしいが、戦争が終わっても彼の待つ家庭に父は帰ってこなかった。国のために戦って戦死された父や兄といった家族の方々が国の英霊として靖国神社に祀られていて、残された遺族の子供や弟がその記事では「靖国の子」と表現されていた。 日本中で彼のような境遇の家庭は決して珍しいことではなかったのだろう。父や兄を戦争で亡くした子供たちを「靖国の子」と呼ぶ習わしがあるのかどうか不明にして知らなかったが、言われてみれば私には極めて胸に響く表現だった。 私も、そういう意味ではまぎれもなく「靖国の子」の一人だ。だが、私はその事実を高校二年まで知ることはなかった。両親(養父母)やその親族の大半が他界してしまった今は、しがらみや心理的な負担も軽くなり個人的な事情も幾らか冷静な心境で綴ることが出来る環境になった。ただ、本音としては好んで私事を書いているわけではなく、どこかにまだ逡巡の気持ちが強く残っている。 「墓まで持っていく」という表現があるが、私は自分の家族(妻や子供)にも父(養父)が亡くなるまでその事実を打ち明けなかった。結果として養父の死後家族に打ち明けた時、私は既に還暦に近い年齢になっていた。ちなみに、養母は養父より早く他界していた。ここでは分かり易くするため「養父・養母」という表現をしているが、心情的には父・母と呼ぶのが今でも正しい私の認識である。それまで打ち明けなかったのは自分の負い目として隠していたのではなく、生前の父・母に対して自分の妻や子供たちが事実を知った後、何か奇異な感情や違和感を持つのが嫌だったからだ。そして、子供たちは充分に成長し、打ち明けた時は既に大人として判断力を持つ年齢に達していた。 20世紀の戦争は、職業軍人のみならず徴兵された国民、それに銃後の一般市民も巻き込み、特に空からの攻撃では戦地ではない市街地でも大量に死者が出るようになった。焼夷爆弾による東京大空襲や広島・長崎の原爆被災は、その代表的かつ典型的な例だ。どんな事情が国にあろうとも家族を亡くした人たちは、それぞれが耐えられない苦痛を味わうことになった。国の為とはいえ、国民は平静な気持で身内の犠牲を受け入れたわけではないだろう。 平安の現在の日本では想像出来ないだろうが、人の死は病気や災害だけが原因ではなく、人を殺すという明確な目的と意志を持った相手からの攻撃が原因にもなっていた。その戦いを我々は戦争と呼び、同時に我々も敵となる相手に対して攻撃を加えた。日本の場合、戦時中の死は戦場だけの出来事ではなくなり、一般市民にとっても日常起きうることだった。アジア諸国の民を我々日本人が巻き込んだ歴史も同時に残っている。 戦いについての当事国の言い分はそれぞれに充分あることだろう。しかし、全てが終わってみると必ず犠牲になった国民がどちら側にも残されることになる。戦争に勝つにしろ、負けるにしろ、犠牲になった遺族には大きな後遺症が残った。人類は何度この悲劇を過去の歴史の中で繰り返してきたことだろう。そしてこの悲劇はこれからも絶え間なく続けなければいけない、人類に課された宿命なのだろうか。 結婚直前の相手が徴兵され、帰還しなかった例は戦後の日本で数多くあったに違いない。今の時代なら「出来ちゃった婚」で終わる若者たちも、相手が戦死した場合、当時の社会情勢と世間の目は厳しく、未婚のまま残された女性たちと亡くなった恋人との間に生まれて来た子供たちは予期せぬ道を歩むことになった。その多くの場合、残された母・子の生活が決して平穏なものでなかったことは想像がつく。 戦前の価値観ではシングル・マザーとその子供は「ふしだらな女」と「私生児」という烙印が世間から押され、いつまでも世間の好奇の目と非難から逃れられなかった。わずか70年前までは、いいか悪いかは別として、日本とはそういう文化と価値観の国だった。 私の場合、嫡男として戸籍上では記載されていたが、そういった世間の目を逸らすための防御策だったと思える。養父・養母たちの知恵だったのだろう。その代り私には一切の事実が伏せられ、不自然な形だったが実母が私と内密に会うという長年の思いが高校二年の時叶えられた時、初めて知ることになった。その実母も父に関しては名前を含め一切の情報を明かさないまま鬼籍に入った。養父・養母への配慮だったのだろう。その為、私には自分のルーツを辿る術が無くなった。ただ、見たこともなく名も知らぬ父の御霊は靖国神社に祀られている。 妊娠して恋人の帰国を待つ実母へ届いたのは戦友からの、愛する人の戦死の知らせだった。「貴女の写真が彼のポケットに入っていました」とその手紙には書いてあったそうだ。 結婚してなかったため国からの公式な連絡ではなかった。従って私は公には「靖国の子」を名乗ることは出来ないのかもしれない。 国の営みや歴史の流れは、国民一人一人の事情を斟酌して反映されたものではなかった。生まれた国の社会情勢は必ずしも個人の願望や努力で簡単に変わるものではない。今でも個人の声など無視されている国は近隣を含め世界には幾らでもある。若しかしたら、日本にも幾らかその傾向が随所に残っているのかもしれない。 国民にとって我慢の限界を超えた時、そして反乱の指導者が現れた時、社会が大きく変わった「革命」の例は歴史上幾らでもある。それでも大きな変化が結果として国民の幸せに貢献しなかった例も又数多く残されている。個人の立場から見ると不条理と思えることは、どんな社会でも幾らでもあることだろう。 紛争や戦争は簡単に纏めれば国同士の利害の衝突だ。人の争い事は根底に全て利害が絡んでいる。個人的な利害対立の中のみならず国単位でも互いに対立した時、理不尽なことを主張する例は21世紀になっても存在する。その正当性は強いて言えば経済力と武力によっての圧力に裏打ちされ、とても知性や理性で判断出来る範疇での主張ではないこともある。特に歴史を自国の都合で捏造し、在りもしないことを事実として掲げる様は醜悪としか言いようがない。紛争や戦争の火種はどんな時代でも常に存在し、国によっては理性的な話をする共通の認識や言葉が見られないケースもある。人類の歴史はこういった対立と武力による戦いの記録とも言えよう。ただ、その主張内容は概ね自国に都合よい解釈がなされていることも推測出来る。 我々が歴史を学ぶのは入学試験に受かる為ではない。物知りになる為でも、クイズで正解する為でもない。過去の人達が下した賢明な判断や、愚かな判断を知ることによって自分たちが生きている時、大きなトラブルを避けられる可能性がある。過去の歴史は我々にとって大事な、そして生きた教材なのだ。歴史の冷静な分析と判断で我々は紛争に面した時より良い解決法を掲げることも出来るだろう。 各個人の私的出来事は全体から見れば小さなものだが、当人にとっては人生を左右する程の重みを時として持つことがある。個人の延長線上に社会があり、国があることを考えれば、互いに共通する問題には普遍的な基準が出来る筈だ。その意味では「靖国の子」には社会に対して価値あるメッセージを送ることが可能だ。 例えその悲劇が自分に直接関係が無くとも、我々は地震や津波の被災者に救いの手を伸べることが出来る。原爆被災者の声も自分のことのように感じる人も居るだろう。たとえ自分の夫や父が戦死してなくても靖国の子を慮ることも出来る。 社会や国を構成する一員として自分だけの枠から抜け出た時、新しい発見がある筈だ。生きた喜びは自分と家族の幸せを求めるだけの人生では味わえないだろう。 多くの人が個人の利害に拘り、極論すれば自分の損得のみの判断で生きれば、争いも戦争も無くならない。残念ながら経済が支配する世の中は、人の持つエゴを拡大させ、決して品のいい社会を形成することは出来ない。経済超大国での品の無い争いは大統領選挙運動にも見られる。資産の平等を謳った共産主義社会でも党の幹部による巨額な不正蓄財は世紀末的な様相を呈している。 人が変われるのは教育だと信じていても、学校でいい成績を残した男が日本の首都の知事に選ばれ「セコイ」という言葉を世界中に流行らせただけだった。最高学府を優秀な成績で出た自称頭の良いこの男は結果として世間の顰蹙を買っただけだった。この類に留まっている有名大学を出た成績の良かった男はどこにでもいる。共通点は学校や成績の割には役に立たないことと、本人や世間が認めたほど実は頭は良くなかったことだ。成績が良くても教育の結果が出なかったいい例だろう。知性と品性が磨かれ優れた人は幾らでもいるのだが、彼等は自分から売り込んで表に立とうとしないことが多い。身に付けた知性や品性が世間向けのパフォーマンスを拒否しているからだろう。 いつも言っていることだが、定型化したペーパ・テストで若者を仕分ける愚を早く改めることだ。一億人以上の人口の国では、確率的に優秀な人品卑しからざる人材は必ず一定の割合で出現する筈だ。それに人は教育次第で変わることも出来る。 お勉強は出来たが自分の利益だけに終わった人が、その知性や品格に疑問が持たれている。お勉強が出来たのなら自分が「原爆の子」や「靖国の子」でなくても、彼等と同じ痛みを感じ得る人間性も養うべきだろう。 教育によって、いずこの国でも相手や被害者の心情を理解出来る人間が増えれば、少なくとも互いに品の無い主張は少なくなるだろう。 私は運命のいたずらで「原爆の子」と「靖国の子」という二つの看板(?)を背負うことになったが、被害者意識を強調している訳ではない。同じような経験をした人や、もっと酷い現実を強要された人も多数いるに違いない。 能力が有ろうと無かろうと、頭が良かろうと悪かろうと、自分の利益だけを優先させた人生を歩めば他人との軋轢は確実に増える。すべてのトラブルの原因は人の持つプレミティブなエゴにある。個人のエゴ、企業のエゴ、国のエゴを少なくすれば、それぞれでの争いは減ると思われる。教育とその方向性が変われば、独りよがりの指導者や、あざとい政治家は確実に姿を消すだろう。 靖国の子・原爆の子・戦争孤児といった負の枕詞で語られる子供たちを出来るだけ少なくするのは、使命感を持つ理念と品格ある指導者(政治家)が各国で多く出ることだ。親の力やテレビの力、それにパフォーマンスで出てくるような政治家には多くを期待出来ない。 それを決めるのは国民であることも忘れてはならない。 草野章二 平成28年10月25日
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若山教授 |