しょうちゃんの繰り言


何故やらないの?

例の友人が言い出した、「出来ない奴は、出来ない理由から説明する」という辛辣なフレーズがある。私の仕事の経験でも、何故出来なかったかの説明から始める人間が圧倒的に多かった。一方、有能な人間は黙って易々と仕事を片付けていた。簡単に言えば能力の差と言えるのだろうが、出来ない人は多くの場合チャレンジしようとしない本人の性向に原因あったように思う。彼等とて決して無能な訳ではなく、聞けば一流私大とか国立大学を出ていた。思い当たるのはいつものことだが、応用問題に対する心構えが無いことだった。商売相手の反応は千差万別で、誰もが同じ対応をする訳ではない。彼等には新たな問題に対する応用力が無かったとも言える。教わった事のみ解いてきた習性は、なかなか変わらない事が実証されて興味深かった。

そこで象徴的な例の友人のエピソードだが、船の契約の最終段階で、その対象船が積地に入る事は出来ても貨物を積む時、空船ではローダーと呼ばれる積荷のアームが船に閊(つか)える事が判明した。船をさらに沈めた状態で岸壁に着岸させなければ、この船は物理的に貨物を積む事が出来ない。友人はホールド(貨物を積む空間)にバラスト水(船を空船で走らせる時、ある程度沈めないと船はスピードが出ない為バラスト・タンクと呼ばれる空間に入れる水を指す)を張ればいいと主張したが、「素人の馬鹿げた思いつき」として取引先船会社のべテラン課長に嘲笑されたという。

懲りない彼はたまたま日本で建造中だった、この商談対象船の造船所にすぐ電話した結果、その一週間後に「追加の工事費は不要で、ホールドにバラストを張るのは技術的にも問題無い。今なら追加工事は間に合う」というポジティブな返事をそこの技術者から貰った。この説明で、根拠の無いベテラン課長の先入感は、仕事を始めて間もない素人の友人に打ち砕かれた。今では貨物のホールドに必要に応じて、バラスト水を張るのは海運界で当たり前のように行なわれているが、これは50年近く前に先鞭を付けた彼の功績かもしれない。もちろん契約は出来たし、何度かのその港への航海でも問題は一切無かったという。彼の20代半ばでのエピソードだ。

人間の習性としては、長年慣れたものに対して疑問を持つことが無くなるようだ。又、人はある程度の年齢に達すると変化も好まなくなる。生き方を左右する問題なら議論の余地があっても、単に船の物理的特性を論じる時、先入観を持たなかった友人の判断は見事に問題を解決に導いた。残ったのは、ベテラン課長の面子の問題だけだった。

先日、テレビのドキュメンタリー番組が島根県の隠岐諸島にある海士町を取り上げていた。老齢化や過疎化は日本の農・漁村の大きな社会問題として、地方自治体は殆ど例外無く対策に努めている。同じ問題をより深刻に抱えた海士町の山内町長が取った手段は:−

まず、自分の給料を半分にする
CAS(キャス)と呼ばれる新しい冷凍システムを採用して、高値で鮮魚の取引を行う
新しく島に来る人には住宅を提供する
新規住人には、最初の3年間事業が軌道に乗るまで町から月15万円の補助を出す
町の事業へ一口50万円の出資を一般から募り、町役場が出資者に保証を与える
金利として、取れた魚介類を定期的に出資者に宅配で送る

この試みで町の人口は増え始め、廃校が予定されていた高校も生徒数が増え、存続される事になった。もちろん小さな子供の数も増えていた。ここでは、過疎化も、人口の高齢化も見事に解消されていた。
一番印象的だったのは島から出ていった若者が故郷に帰って来たのではなく、全国各地から若者がこの島に移住して来たことと、人の表情の明るさだった。人は遣り甲斐があればどこでも希望を持って生きていける事を、この番組は私達に教えてくれた。

結果から見れば町長は特別変わったことを試みたのではない。現実に即した解決策を生み出し、それを力強く実行した。活性化が進まないところは強力なリーダーも無く、第一歩を踏み出せないでいる。計画しても実行することが肝心で、そこに遣り甲斐や生き甲斐が海士町のように見られれば若者は来るだろう。何かを始めなければ、何も変わらない。

当然、山内町長の取り組みには多くの難題があったと思われる。しかし簡単に分かり易く纏めれば前に記したような六つの対策に絞られるだろう。

まず山内町長は自分の給料を率先してカットし、町の財政支出を出来るだけ抑えた。役場の人達もカットする比率は違っても町長の決意に倣う人が出て来た。これで役場の一体感と町民の協力する気運が高まったものと想像出来る。次の問題は離島で捕れた鮮魚は、本土(島根県の魚市場)への海上輸送と言う時間のハンディーがあり、翌朝のセリに回される為価格が安く抑えられていた。この問題を解決するため、魚の鮮度が保てるCASという新しい冷凍システムを採用して町費で冷凍庫を調達した。この冷凍庫を広く漁民が使えるようにした結果、鮮魚の価値が下がらず、漁民が冷凍庫の分担金を払っても彼等の利益が増大する結果に繋がった。大きな賭けだったが、町長の決断は正しかったことが証明された。

次に若者を町に呼ぶため住宅を整備し、それに財政的支援を加えた。若者には資金力は無いがやる気のある者は居る。商業ベースの金融機関であれば、可能性だけでは若者であっても絶対金を出さないだろう。
又、最初の3年間毎月15万円の町からの補助は、新規事業を立ち上げた若者には大いに助かる。出資金も、金利分として海産物を定期的に送る事でそれを免除して貰えば助かるし、出資する方も単純な金利よりこの方法がより実利がありそうだ。まして出資金を町が最終的に保証してくれるのであれば出資者も安心して投資出来る。これは単なる金儲けの仕組みではなく、新しい価値を参加者全てで生み出す経済を超えたシステムだ。

テレビに映る新・旧町民の姿には全く違和感が無く住民が一体化していた。町民が心から新町民を歓迎しているからだろう。そして何よりの成果は、町民全てが自分達の仕事に遣り甲斐を見つけている事だ。

日本の地方行政は過疎化を含め、財政的問題で例外無く頭を悩ましている。山内町長の試みは、日本の各自治体の首長には良い参考になると思う。是非、柳の下の二匹目、三匹目の泥鰌でいいから真似して欲しい。一方では、前にも私の拙文で触れたが知事選挙中に「私は、退職金は要らない」とテレビのインタービューに応えていた男が、知事になった後日のインタービューでは「退職金は頂きます」と臆面も無く応えていた。山内町長と、首都圏の知事を経験し現在参議員を務めるこの男との志には、格段の差がある事は言うまでもないだろう。他意も無く自分の言ったことを忘れているのであればもっと始末が悪い。

総じて日本人の受けた教育レヴェルは高く、強力なリーダーシップがあれば住民は付いて来る可能性は高い。国民性故か日本人は、自らはあまり積極的に動こうとしないが、内容を理解さえすれば少なくとも協力は得られるだろう。特に互いが顔見知りの社会では、その可能性はもっと高まるだろう。ただ、残念なのは、せっかくの名案も提案だけでは関心を示す人は少なく、また携わる首長や地方議員も目先の事案に捉われ、全体的な事を判断出来ない事が多い。新しい挑戦には強力なリーダーシップが必要不可欠で、魔法のような解決策があって成功した訳ではないだろう。海士町も、自分達が出来ることから手を付け、決して天才的な閃きからの計画ではない。ただ、町長の実行力には特筆すべきものがある。

私達が地方自治体の話題をニュースとして聞くのは、殆どの場合議員の金銭に関する不祥事絡みだ。政務費として出されている資金に特に不正利用が目立っている。情けないほどに劣化した彼等の実態は、背景に選挙に金が掛る理由があるからだろうかと、つい考えてしまう。いやしくも、選挙戦の最中「私は、退職金は要らない」とテレビのインタービューで明言すれば、選挙民の中には意気に感じて投票する人は出てくる可能性が高い。悪いが、この程度の男が県のトップで仕切っても大した事は期待できない。まして国政に出て何をしたいのだろう。

彼等は全て選挙民によって選ばれている。本人が勘違いして出てくるのは止める事は出来ないが、選挙民がちゃんとした目で判断すれば相応しくない議員は国会を含め幾らでもいるようだ。国の内外で難問に直面している我が国は、出来る事なら知性豊かな実務家にその舵取りをやって欲しい。これは、決して高学歴を意味するものではない。どっちの方向にせよ、選挙民が納得出来る方向を示して欲しい。国内では高齢化と過疎化は現実の大きな問題として既に存在している。

政治には全ての国民が納得する解決方は存在しない。反対でも傾聴に値するものがあれば少数意見でも尊重するべきだろう。ただ、反対の為の反対は意味が無いことを、極めて少数の割合で支持を受けている政党は考えて欲しい。あなた方の支持率が低下の一途を辿っている理由はそこにある事を早く知って欲しい。反対するなら、もっといい案を出して国民を納得させればいいだけだ。

対外的には今日の問題としてテロ対策がある。自衛権・集団自衛権、その延長で国の憲法の改正等々、我々が出すこれからの結論は国の基本的なあり方が問われている。
例の友人は過激な言葉で訴えていた。
「隣国の機嫌を取っていれば我が国は安全だ、といった程度の認識で議員をやって貰っては困る。国を守るにはコストも犠牲も必要だと堂々と平和ボケした集団に教えてあげるべきだ」
最近は、本音で言えば友人の発言にそんなに過激だと思わなくなってきたようだ。

政治には理念と実践が必要で、特に国内問題はやれることから各自治体が手を付けるしかない。やり方では見事に町を再生した例が幾つか紹介されている。私も故郷の活性化の為に幾つも提案をしているが、残念ながら殆ど無視されているのが現状だ。それでも市は皆様のご意見を今でも募っている。多分私の提案が取るに足りなかったせいだろう。

友人の娘がまだ小さい時に言った「何故やらないの?」という合いの手に友人と共に爆笑したのを思い出した。分かり切った事でもやろうとしない行政の閉塞性に互いが盛り上がったタイミングだった。友人はその時娘に「大人にはやらない理由が沢山あるんだよ」と諭していた。
その娘も今では子供が二人いる。彼女にもやらない理由が沢山出て来たことだろう。

平成27年2月12日

草野章二